第442話 生温かい幸せ

アルの背や頭、翼の生え際を撫でつつ考える。『黒』にあげるのは指輪だけれど、アルには何をあげたらいいのだろうかと。アルの前足には指輪なんて着けられないし、首輪は嫌がるだろうし、金具は毛に絡まるだろうし、アクセサリーそのものを嫌っているかもしれない。


「ねぇアル、何か欲しいものある?」


こうなったら直接聞こう。


『……ヘル』


「そ、そういうんじゃなくて……いや、食べたいなら好きにしていいけど」


アルは枕の下に突っ込んでいた鼻先を出して、僕の頬に擦る。顔を傾けるとそのまま頬を舐められる。


『貴方が居れば……それで。貴方が居なければ私は何も要らない』


「…………プレゼントしたいな、とか考えてたんだけど」


『ぁ……そ、そういう事か。貴方から下賜される物なら、なんだって……と言ったら困るか?』


夕飯は何が食べたいと聞いて「なんでもいい」が返ってくるのが一番困るのと同じだろう。少し前にフェルがそんな愚痴を言っていた。


「アルってアクセサリーとか着けられるのかなって……」


『自分が買い与えた物で身を包ませたいと? やはり人間の女が良いのか? 悪かったな、四足歩行で』


「そういう意味じゃなくてさ。アルみたいな子のアクセ買えるとこあるのかなって。ほら、メルは角に飾り付けてたし、足輪付けてる鳥この間見たし、セネカさんは羽に何か引っ掛けてたでしょ?」


『……別に、身を飾る趣味は無い。そう気を遣うな。貴方の恋人に成りたいと言ったが、受け入れなくても構わないし、そういったふうに扱う必要も無い』


そんな辛そうな声を出して僕を欺けると思っているのだろうか。アルの心に触れた一時、アルは女の子の姿になって僕と手を繋いだ。物語の中の姫のように僕のキスで目を覚ました。

アルがどう扱われたいかは鈍い僕でも分かる。


「そっか、分かった。じゃあこれまで通りでいいんだね?」


僕はアルが本心を見せてくれることを期待して、そう言った。


『………………あぁ、構わない。これまで通り……』


けれど、アルは本心を隠した。


「分かった。じゃあさ、ちょっとリビングにでも運んでくれない? みんな心配してるかもだし、ちょっと話したいんだ」


『…………分かった』


他の女と話すなと言うくらいだ、アルがこの提案を気に入らないのも分かっていた。我儘を言って欲しかった、ここに居ようと誘って欲しかった。


「……ねぇ、アル。本当に我慢しなくていいんだよ? 我儘言っていいからね?」


『…………私はそう強欲では無いよ、ヘル。傍に置いて貰えるならそれだけで構わない』


傍に居るだけで我慢出来なくなったから、あんな狂い方をしてしまったんだろう。

アルの背に乗って運ばれながら、アルの強情さにため息を吐いた。


『あ、ヘルシャフト様! お元気ですか? 先輩も……大丈夫そうですね』


「ベルゼブブ? 今は人型?」


『ええ! 兄君が魔力を分け与えてくださりまして』


兄がベルゼブブに手を貸すとは珍しい。砂漠の国で何かあったのだろうか。ほぼ全員揃っているようだし聞いておこうと、僕は向こうであったことを尋ねた。


『まぁー何や死体やらがゾロゾロ動いてなぁ、その後炎がゴーッ上がってなぁ、なんやえらいことなってたわ』


「全然伝わってこない」


『呪術師と邪教徒と戦うて、神様は出てきてしもうたけどあにさんがすぐ帰しはったわ』


鬼達に端的過ぎる説明をされ、大まかな経緯を何となく掴む。このところ兄は大活躍らしい。


『ぁ、あの、お兄ちゃん。ちょっと話さなきゃならないことが……』


「フェル? 何?」


フェルは僕の隣に座り、僕の手を握る。その力は強く、何か覚悟を決めようとしているように思えた。


『ぁ、あの……あのね、そ、そのっ……』


自然と全員黙り込み、フェルの吃音だけが部屋に響く。


『ごっ、ごめ……ごめんなさいっ!』


「フェル? どうしたの? 何かあったの? ちゃんと話してよ、怒ったりしないから、ね?」


『ごめんなさいっ、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいっ……生まれてきて、お兄ちゃんの形してて、人間のフリして、弟だなんて勘違いさせて、全部全部ごめんなさいっ!』


「……フェル、ちゃんと話して」


ソファの上で膝を曲げて頭を抱え込み、嗚咽を混じらせながら謝罪を繰り返す。僕は手探りでフェルの背を擦り頭を撫で、慰めるよう試みた。


『ヘル、どいて。それじゃいつまで経っても話さない』


兄が僕の手をフェルから引き剥がす。戸惑っていると鈍い音が響いた。


『…………構われたいだけだろ? 出来損ない。僕や僕の弟に手間かけさせないで。話したいなら話せ、話したくないなら黙ってろゴミ』


「に、にいさま! 何してるの!? また殴ったの?」


立ち上がって手を振り回し、兄を見つけて腕を掴む。すると何か細いものが首に巻き付き、絞められた。


『兄君! やめろ、ヘルに手を出すな!』


『……ヘル? どう? 髪を伸ばして先の方だけ触手に変えてみたんだ。いいアイディアだと思わない?』


首に巻き付いた紐のようなものを引っ掻くも、ゼリーのような感触のそれは傷付く事なく僕の喉の皮膚だけが剥がれた。爪先が床から離れ、意識が朦朧とし始める。

もうダメだと思った瞬間、僕の身体は床に落ち、生温い液体を浴び、狼の唸り声を聞いた。


「ぅ……ア、アル? けほっ……どこ? 平気?」


『あーぁ、汚しちゃって。浄化魔法……よし綺麗』


頬に手が触れる。それを蛇の尾が払う。舌打ちが聞こえ、足音が遠ざかる。兄が離れていったのだろう。

僕は手探りでソファに這い上がり、アルを探した。


『此処だ、此処。ほら……よし』


手がアルの首に触れ、そのまま抱き締める。


『大丈夫ですか? 先輩。あと弟君も。ちょっと休んだ方がいいですよ、貴方帰ってきてからずっとコソコソ何かやってたでしょう?』


「そうなの? アル、悪いけどフェルを部屋まで送ってあげてよ」


『……分かった。弟君、歩けるか? 行くぞ』


隣に座っていたものが同時に立ち上がり、微かな寒さを感じる。廊下を進むカチャカチャという可愛らしい足音が遠くなる。


「…………ね、相談があるんだけど」


アルが離れたのを耳で確認し、話を切り出す。


『私ですか?』

『俺やな』

『うちやろ?』


ベルゼブブと鬼達が一斉に応えた。


「アルにプレゼント……アクセとかあげたくて、その相談」


『私ですね! なんてったって美少女ですから』

『俺やな。女の心掴むんやったら俺に任し』

『一番女心分かっとるんはうちよ、頭領はん』


「えっ……と、ははっ……」


誰か一人を選んだらまた喧嘩になる気がしないでもない。

アクセサリーの相談なら茨木が一番信頼出来る気もするが、魔獣についてならベルゼブブの方が詳しいのか? 酒呑の異性を惹き付ける魅力についても気になるしここは酒呑か? いや……


「とっ、とりあえず。そういうの売ってる店あるか分かる?」


三人は黙り込む。


「あの……?」


「バーカ、よそもんに店聞くな」


「……ヴェーンさん? びっくりした……居たんだ」


「最初っから居たぞ」


見えていないのだから居るなら声を上げて欲しい。

確かに、この辺りで探すならヴェーンが一番詳しいだろう。だが、別にこの国だけで探そうとも思っていない。


「俺の仕事を忘れたか? 人形作家だ。女の客は多い、似合うアクセや趣味のパターンが分かってる。材料買ってる店繋がりでアクセ売ってる店は分かるし、金と血寄越すんなら俺が作ってやってもいいぜ」


『ずっるいですダンピール! 面白そうなことは私がやります私ですヘルシャフト様!』


「そんなどこぞの邪神みたいなこと言われても」


ナイといいロキといい邪神は趣味の悪い面白いことと度の過ぎた悪戯が好きだ。ロキにはかなり助けられているから邪神呼ばわりするのは気が引けるが、彼のせいで植物の国が攻め込まるようになったし、善い神ではないのは事実だ。


『誰が邪神ですか! 私は高潔なる悪魔の最高司令官ですよ!』


「糞にたかってる蝿のくせしてよく言うぜ」


『私は美食家ですよ! 私の子供達はしてるかもしれませんが私はしてません。それに、種族単位で処女好きな変態コウモリにとやかく言われたくありませんね』


「うるせえ処女美味いだろうが!」


悪魔の最高司令官だとかの地位についていて、その実力もあるのに人界に住む下級悪魔に「うるせえ」と言われるとは、ベルゼブブには上に立つ才能が無いのではないか。


「そもそもお前も処女好きだろ?」


『好きですね』


「ほらー」


『私のは純粋な食欲ですから。貴方達みたいに性欲と隣接したおやつ欲じゃありませんから』


半吸血鬼と対等に言い争うベルゼブブに僕は僅かながらも親近感を覚えた。

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