第443話 感覚共有
ヴェーンとベルゼブブの幼稚な言い争いと、それを囃し立てる鬼達の声。彼らは僕の相談事なんて忘れている、ため息をつきながらも僕はこの騒がしい空間が尊く感じられた。
『戻ったぞ、ヘル……これは何の騒ぎだ?』
「あ、おかえりアル。いつもの言い争いだよ、気にしないで」
プレゼントの相談を本人に聞かれるなんて失敗はしたくない。僕は手探りでアルの耳を押さえ、頭を抱き締めた。
『む……ヘル、擽ったいぞ……』
「嫌? ならやめるけど」
『幸せだ。もう少し、このまま……』
アルの頭を撫で回しているとベルゼブブ達がアルに気が付いて言い争いを止める。プレゼントの相談についての記憶と配慮はあったらしい。
『ヘールー、ちょっと試して欲しい魔法あるんだけど』
『……そうそう、戻る途中で兄君と会った』
機嫌を悪くして部屋を出て行ったはずの兄は機嫌を良くして戻ってきた。
「どんな魔法? 痛いのやだよ」
『痛くない痛くない。見えないと色々不便でしょ? だから、ヘルの魔物使いの魔力の特性を活かせる新しい魔法作ってみたんだ』
兄は何の断りもなく僕の瞼を無理に開け、義眼を取った。
『魔物使いの魔力の特性……他者の魔力を侵し、根を張り、その者の魔力を占有する。その指向性も完璧に操れば他者の五感の占有も可能。この魔法は指向性を操りやすくする補助魔法。対象の五感を完全に奪うことも出来るだろうから、共有に留める気遣いも付けた。流石は僕だよね、加減に慣れるまでは安全装置が必要だよ』
乱暴に義眼を押し込まれ、ぐりぐりと角度を調整させられ、眼孔が痛む。
『僕にはこれが限度、どんな式を構築しても魔物使いの魔力には勝てないからね。あくまでも補助だから、使いこなせるようになるには時間かかるだろうし、そうなる前に魔眼が戻せるかもしれない。でも、感覚共有ならびに占有は覚えておいて損は無いと思うよ』
「……えっと、ありがとう」
魔眼を治してもいいとベルゼブブと兄が認めるのはいつになるのだろう。魔眼の力を操れるようになるには魔眼を持って練習しなければならない。だからベルゼブブが求めている条件はおそらく ──魔眼を暴走させて天使に居場所が感知されても撃退できるだけの戦力を集めること。兄が求める条件は──分からない、兄の考えを考えたくない。
「にいさま、その……これってさ、何を補助されてるの? っていうか、どうやったら使えるの?」
『兄君の説明が長ったらしいからバカなヘルシャフト様が理解出来てないじゃないですか。天才を自称するならバカに合わせて説明するくらいやりなさい』
バカだバカだと言わなくても頭が悪い自覚はある。
『それを使いこなすことが出来たら、魔物……そうだね、アル君の五感、つまり視覚や聴覚を共有出来るんだよ、アル君が見たものや聞いたものがヘルにも分かるの。使い方は感覚的なものだからね、説明は難しいし僕は魔物使いじゃないからなぁ……魔物使いの力を使う時と同じようにやってみたら?』
『だから長いんですって、ほら、ヘルシャフト様のこのアホ面見てください』
「今の説明で分かったよ! 僕はバカだけどそんなにバカじゃないから!」
アルと五感を共有出来るということは、人間よりも優れた聴覚や嗅覚も体験出来るということだ。早く使いこなせるようになりたい。
『一応言っておくけどね、蝿さん。ヘルは昔一晩で辞書を丸暗記した。大学で扱ってる詠唱研究をやらせてみたらその年一番効率的な式を書いた。僕の弟なんだ、馬鹿じゃないよ』
そうだ、実技が出来ないだけで筆記は出来る。というより出来なければ兄に殺されるかもしれないという恐怖心があったから出来た。出来たから今ここに生きている。
『貴方がボコボコ教育してるからでしょうね。やーすごい、普通子供をそこまで殴れませんよ、それも弟を。やっぱり兄君は平々凡々とした人間共とは違いますよ』
『…………あぁ、そうだよ。僕の教育が良かったんだ。今もヘルはいい子だろ?』
『えぇ、えぇ、いい子ですよ。どこかの鬼畜生以下のサイコクズ野郎の弟にしてはね』
空気が張り詰めるような錯覚がある。おそらく、数秒後に乱闘が始まる。
「家ん中で喧嘩すんなよ……魔力もったいないし何かゲームで勝敗つけるとかにしろよ。靴箱の空きスペースにボールあるぜ、庭で適当にやって来いよ」
『…………三点先取』
『分かりました。腕でも賭けましょう。勝った方が負けた方の腕を喰う、で』
「……本気にするとは思わなかったぜ」
足音が二人分部屋を出ていく。本当にボール遊びで決着を付けるつもりらしい。賭けの内容は殺伐としていたが、僕は僕が巻き込まれない限り平和だと思い込むことにした。
「……魔物使いの力を使う時と同じように、か」
自分の眼が無くとも物を見る事が出来るようになったら、アルに贈る物も自分で選ぶことが出来る。どちらにしても誰かに相談はしたいけれど。
「…………アルギュロス、視覚を寄越せ」
アルの頭を撫でながらそう呟く。暗闇だった視界が光に溢れ、誰かの──僕の顔が見え、すぐに暗闇に戻る。
『何か見えたか?』
「僕……かな」
『私は今貴方を見ていたからな、成功だ』
「うーん? もう一回、何か違和感が……」
もう一度アルに意識を集中し、視覚を……と念じる。光が溢れ、また僕の顔が見えた。アルに頼んで首をゆっくりと回してもらう。自分は何もしていないのに視界だけが動くというのは中々に不可思議な感覚だ。
『ちゃんと見えとるんか?』
「な、なんかおかしい! いつもより広い……っていうかぼやけてる、いや、色褪せて……あれ? ん?」
アルは今机に顎を置いているらしく、向かいに座っている鬼達が真ん中に見える。いつもなら絶対に見えていない斜め後ろに立っているヴェーンも見える。
その景色はどこかハッキリしておらず、彩度も低い。
「後ろも……見えてる?」
奇妙な感覚だが、後ろの景色もしっかり見えている。前の景色とは断絶されており、見え方も違う。
前方の景色は青っぽく、後方の景色は紫っぽい。こんな色合いの館ではないと思うし、酒呑の髪の色も覚えているものと異なっている。
「……酒呑、髪染めた?」
『染めてへんよ。ずっと前から真っ赤や真っ赤』
「赤……? え……?」
赤には見えない。いや、視界に赤色が無い。
酒呑の髪は灰色がかった黄緑で、彼の体全体に青いモヤが見える。
『ヘル? 何かおかしいのか?』
視界が揺れ、僕の顔が真ん中に来る。僕の動きとは違った視界の動きは酔いを煽る。
「い、いや、おかしいっていうか……なんか、すごく視界広いし、でもなんかぼやけてて、色が変な気がする……」
『私はいつもと変わらないが……しっかり共有出来ていないのではないか?』
「…………いや、多分出来てるぜ。犬っころ。聞いた事がある、犬は色盲だってな。俺は犬じゃねぇからその真偽は知らねえが……視界が広いのは目の付き方からして当たり前、後ろも見えるってのはこの蛇じゃないか?」
後方の景色がぐるんと回り、ヴェーンの顔が大きく映る。
「うっ……吐きそ……」
『ヘル! ヘル、大丈夫か? ヘル?』
前方の景色も揺れる。僕の顔や首、耳が大きく映っては激しく変わっていく。自分の目で見た景色ではないと分かっていつつも目を押さえると元の暗闇に戻った。感覚共有を無意識に切ったのだろう。
「つーか広い視界二つ分なんか処理しきれんのか?」
『ヘル……気分が悪いのか? 吐きそうか? 何か飲み物を……』
「……大丈夫、落ち着いた。平気だよ」
そう言っても心配を止めないアルが僕の手をコップに誘導する。僕はそれを飲み、改めて呼吸を落ち着かせた。吐き気はゆっくりと消えていった。
「ねぇ、ヴェーンさん。色盲って何?」
「お、聞こえてたか。そのまんま、色が見えにくい、判別付かないとか、そんな感じ。俺は違うからよう分からん」
『私も違う、色は見えている』
「…………お前の場合魔獣だからなぁ。魔力視でそれを補助したりしてるだろうし、普通の犬だって嗅覚や聴覚が優れてるから一概に色が判別出来ねぇってのもなぁ……俺も聞いた話だし」
眼球に詳しいヴェーンにしては弱気な言葉だ。
『……俺の髪何色や』
『真っ赤だそうだな』
『…………見えとるんは?』
『薄汚い灰色。そもそも火属性のモノ以外で赤を見ることは無いぞ、貴様は青っぽい』
『見えとらへんやないか!』
『黙れ! 貴様より視力は良い!』
僕にも枯れた芝生のような色に見えた。感覚共有自体は上手くいっていたらしい。
視界の広さや二つ分ある事、色の見え方や視力からして、アルの視覚を借りるのは良策とは言えないだろう。
僕はそう結論付け、酒呑と口論するアルをとりあえず宥めようと背を撫でた。
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