第414話 不振な男

部屋に戻ってベッドに腰掛けると兄らしき人物に顔を掴まれた。


『……何この目』


「グラスアイだって。ヴェーンさんに貰った」


『ヴェーン? あぁ、ダンピールの』


兄はすぐに手を離し、僕の湿った髪を撫で付けて両目を観察した。このグラスアイはどんな見た目をしているのだろう、前の僕のと同じだろうか。


「どう? 似合う?」


『まぁ、無いよりはいいけど……』


兄はあまり気に入っていない様子だ、僕が他人から貰った物を身に付けているのが気に入らないのだろうか。


『……派手だよね。ダイクロイックアイって言うんだっけ。色が半分ずつ違う』


派手という言葉に嫌なものを感じ、僕は眼の特徴を詳しく話すよう促した。


『右眼は赤と緑、左眼は青と黄。あと、模様が……五芒星、ハート、四つ葉、飾り文字……』


「模様!?」


『魔眼にも模様あったからそんなに気にしなくていいと思うけど?』


魔眼の模様は魔法陣に似ていて、派手なのは嫌だったがデザインとしては気に入っていた。だが、ハートやら四つ葉やらは許容出来ない、そんな可愛らしい模様は嫌だ。


『それより、もう寝なよ。いい子は寝る時間だ、ヘルはいい子だよね?』


僕をベッドに転がし、毛布をかけ、兄は部屋を出ていった。僕は毛布を頭の上まで引き上げて、変わらない暗闇の中に意識を沈めた。



時間帯は分からないし相変わらず目は無いけれど目が覚めた。隣にふわふわとした毛の感触がある、触れ慣れたそれはすぐにアルのものだと分かった。

少し硬い胸周りに、柔らかくへこんだ腹回り、呼吸による上下の遅さから深く眠っているのだろうと判断する。


「……フェル、起こして」


気持ち良く眠っているのなら起こすべきではない。

近くに触手が居るだろうと手を伸ばすと無数の手が僕の身体を起こしてくれた。


「ありがと。ねぇ、トイレ連れてって。喉乾いたからキッチンにも」


触手は指示した通りに動いてくれた。フェルは知能が無いと言っていたが、僕はそうは思わない。

ザラザラとした舌触りの甘いコーヒーを飲みながらそんなことを考えていた。


『……三秒後、カップが割れる。五秒後、椅子が倒れる』


人気の無いキッチンに僕でない者の声が響く。僕は驚いて立ち上がり、その途中でコーヒーカップを落とした。カップは机の上に落ちたようだったが、上手く乗りはしなかったのか床に落ちて割れた。音と足に触れた破片からそう判断した。

誰かが居るということと、カップが割れる音で混乱した僕は椅子の背もたれに手をかけたまま慌てて後退し、椅子ごと倒れた。触手は僕だけを支え、椅子はカップよりも大きな音を立てた。


『……吃りながら、誰? と聞く』


「だっ、だ、誰?」


『……四秒後、ヘルシャフトは叫ぶ。六秒後、私奴わたくしめには回避不能の攻撃』


気味が悪い、起こること全てを先に言っている。聞き覚えのない平坦な声の不可解な言動に僕は思わず叫んでいた。


『ヘルシャフト様! ご無事ですか!』


叫んだ直後、大きな物音が鳴った。扉を乱暴に開けて、不審者に攻撃を仕掛け机を壊した──で合っているだろうか。


「べ、ベルゼブブ? ねぇ何? 何なの? さっきから……気持ち悪い人が」


『顔も見ずに殴りましたからね、少々お待ちを』


ガシャガシャという音は壊れた家具や食器が鳴らしているのだろう。


『酷い事を致しますね、ベルゼブブ様。ようやく馳せ参じたと言いますのに』


『……誰ですか?』


「え、し、知り合いでもないの……? 何なの、怖いよ」


『……ふむ、このままここに居ると殺されますね。ではまたの機会に』


廊下を走ってくる音が聞こえる、一人ではない。


『あ……消えちゃいましたね。何なんでしょう』


このまま居ると殺されると言っていたか、逃げたのだろう。誰に殺されるというのだ、僕も危険なのか?


『ヘル! どうした!』


『お兄ちゃん無事!?』


『ヘル! 何があったの? 誰がやったの? この悪魔なの? どうやって殺すかの希望ある?』


なるほど、確かに不審者にとっては危険だ。特に兄が。


「……もう逃げたよ。怖かったけど、僕は平気」


少し叫ぶだけで人が集まり、僕を心配してくれる。その事実が何より嬉しい。


『……外から入ってきてその上逃げたって? この家には結界を張った、僕の許可無く入ったら灰になるはずだよ』


本体であろうフェルに引っ張られ、アルの翼に包まれる。兄は家具や食器に修復魔法をかけながらベルゼブブを問い詰めている。


『殴った時の手応えが弱かったので、おそらくは魔力で作った分身でしょう』


以前会ったサタンのようなもの、という事か。つまりは魔力の扱いが上手い上級悪魔だと。


『で、その魔力は私から溢れ出たもの。なので私にはあれが誰なのか分かりませんし、兄君の魔法にも引っかからなかったという訳ですよ』


『……君を殺せばいいの?』


『面白いことを言いますね。今の私は魔界の最深部に居る時の十三分の一の力を発揮出来ますよ?』


それは強いのだろうか。


『…………ふん、まぁいいよ。見逃してあげる』


強いらしい。


『ベルゼブブ様の魔力を借りられたという事はベルゼブブ様に近しい者では?』


「あの人もベルゼブブのこと知ってたみたいだし、部下か何かじゃないの?」


『私の魔力使ってたんですから魔力反応私と同じで見ても分かりませんよ。ヘルシャフト様、気持ち悪いとか言ってましたけど、何がどう気持ち悪かったんです? 何か特徴があれば分かるかもしれません』


「……起こることを全部先に言ったんだ。カップが割れるとか、僕の言うことだとか、全部」


割れると言われなければ僕は驚かず、カップは割れなかっただろう。今は兄に修復されて、また僕に甘いコーヒーを与えているけれど。


『情報ありがとうございます、分かりません』


「……知り合いなら見た目とかで分からない? 僕には見えなかったけど、ベルゼブブは見たでしょ?」


『見たは見ましたけど、人間に化けた姿なんて魔界ではまず見ませんし、人界に来てからは呪いかけて国乗っ取ってる悪魔くらいにしか接触してませんし』


「そっか…………とりあえず、みんなを集めようよ。あんな入り方が出来るなら言っておいた方がいいし、もしかしたら何か知ってるかも」


僕はアルに乗り、リビングルームに運ばれる。この家で一番大きな部屋だ。

フェルが家の中を駆け回って全員を呼び、長い時間をかけて集めた。


『……集まりましたね。ところでなんですが、どうしてヘルシャフト様の叫び声を聞いて集まらなかったんですか? まさか聞こえなかったとは言いませんよね?』


僕は長机の上座の横に座らされている、ちなみに上座はベルゼブブだ。アルは机の下にもぐっていて、僕に撫でられている。


『まず堕天使! 答えなさい!』


「勘弁してくださいよベルゼブブ様。俺が行っても意味ねぇでしょ。俺今は最弱ですし? ベルゼブブ様や狼や兄ぃが居るなら任せた方が得策って訳ですよ」


『はっ! 小賢しい!』


「ひでぇな」


アザセルの言い分は正しいのだが、合理的が過ぎて腹立たしい。僕を王と慕うならそれなりの態度を見せて欲しい。


『次! 鬼共!』


『誰か行くやろ思てな。めっさ眠かってん』


『うちは行こ思てたよ? 髪整えて、化粧して、着替えてから……なぁ?』


『ドクズですね! 次は……』


アザセル以下だ、酒呑も茨木も自己中心的が過ぎる。


『…………外来種?』


『何も聞こえなかった』


『……貴方はそんな感じですよね』


兄がトールを呼んでも良さそうなものだが、忘れていたのだろうか。僕はその疑問を媚びへつらうのを忘れずに尋ねた。


『お兄ちゃんが信用出来ないの? お兄ちゃんだけじゃ不安? なんてね、焦ってただけだよ、気を付ける』


案外とまともな答えが返ってきた。

僕を心配して焦っていたのならどんな失敗だって気にならない。僕は軽く感謝を伝えて、進行役をベルゼブブに返した。


『貴方に聞くのもお門違いな気もしないでもないですが、アシュメダイのペット、貴方は?』


「いや俺は向かってたよ、地下室に居たから時間食っただけで。俺お前らと違ってガキがどこに居んのか分かんねぇし」


ヴェーンはフェルが皆を呼びに行ってしばらくしてやって来た。フェルが声をかけたのだろうと思っていたが、入れ違いになっていたらしい。


『……なんで向かってたんですか? 来る必要ありませんよね?』


「は? いや、子供が叫んでたら見に行くだろ普通」


『なんで普通の感覚持ってるんですか? おかしいですよ』


「うるせぇなぁ、ここ俺の家だぞ? 何かあったんなら見に行くだろ普通」


『普通語らないでくれます?』


まさか眼球蒐集家が一番まともな感性を持っているとは思わなかった。

とりあえずこれで全員への問い詰めが終わった、責めるのは個別にするとして、次は謎の悪魔の情報集めだ。

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