第413話 平穏無事
食事を終え、洗い物はフェルに任せ、僕は部屋に戻った。風呂に入る為の着替えを取りに来たのだ。
「にいさま居る?」
『ああ、貴方の目の前に居るぞ、座っている』
とん、と何かを胸に押し当てられ、僕はそれを受け取る。
『ヘルの着替え。色彩の国で買ったものだから少し派手かもしれないけど、僕が選んだものなんだから似合わないはずないし、どうせ見えないんだから変な服着てても何ともないよね』
どうやら渡されたのは僕の着替えらしい。渡される着替えと言うとどうしてもリンを思い出してしまって駄目だ。
『確かに鮮やかな色合いだな。ヘルは普段彩度の無い服ばかりを着ている、偶にはそういうのも良いだろう』
『だよね、流石はアル君分かってる』
リンの話を美化せずに兄に話せば、きっとリンは灰か餌かになってしまうだろう。
「……ねぇ、これめちゃくちゃ丈短かったりフリルたくさん付いてたりしないよね?」
『装飾のないスウェットの上下だけど、気に入らなかったかな。ごめん……お兄ちゃん、あんまりヘルのこと知らなくて、服の好みとか……分からなくて』
自分勝手なくせに近頃はこうやって落ち込むようになってきた。僕の事を考えてくれるのは嬉しいが、慰めるのは面倒なのでやめて欲しい。
「あ、いや、えっと、地味ならいいんだ。装飾とかそういうの要らないんだよ、その、大事なのはいかに肌を隠せるかだから」
『それも違うと思うが』
「いっつも全裸のアルは黙っててよ」
『……全裸と言わないでくれ』
陽射しに衆目、虫刺されや擦り傷、それらを避けたいと思うのは当然の心理だ。どうせなら顔も隠してしまいたい、それはそれで目立つだろうか。
「ほら、昔……引きこもってたけどさ、鏡とかは見るじゃん。あれで痣が見えるの嫌で……」
『……え、僕あれ好きだけど』
「…………お風呂、入ろうか。行こ、アル」
『あ、行ってらっしゃーい』
そういえば、フェルはわざわざ痣を作っていたか。顔の傷は治して、腕の傷は演じて、痛くもないのに痛いフリをする。それが全て兄の趣味だと言うなら、分かっていたことだが兄は異常者だ。
アルの説明では風呂はかなり広く、浴槽は泳げるほどで浴場は走り回れるほどだと言う。分かりにくい説明だ、泳ぐも走るも人によって変わる。
『中心に像があるな』
「へぇ、どんなの?」
『神の像だろう、よく見る形だ。悪魔に溢れたこの国にも有るとはな』
「あぁ、えっと……頭がとんがってて、顔はつるんとしてて、腕が長くてでっかい鉤爪があって、下はタコとかイカとかみたいな……」
『…………何だそのおぞましいものは』
魔法の国で一般的な神の像だ。略式されたものは足こそ多いもののイカにそっくりだった。
そうアルに伝えたが、アルは何も言わずに僕を座らせ湯を浴びせた。
「えーアル知らないの? 顔の無い神様。最近あの像見てないけど、見ると何となく落ち着くから結構…………待って、魔法の国の神様?」
僕はアルが無言で僕を洗っているのを気にせず、アルに話しかけ続けた。
「……ナイ君じゃん! あぁ、そうだよく思い出したらそうだ! あの像のままだった!」
『…………煩いぞヘル』
『僕アレ見て落ち着いてたんだ、ちょっとムカつく』
僕を洗い終えたアルは僕を浴槽に誘導し、自分の身体を洗い始める。浴槽の前に置かれたボトルに手を伸ばし、僕は洗髪を始めた。髪くらいなら自分で洗えるだろうと言われたのだ。
「別に身体も一人で洗えるけど」
『石鹸や手桶の場所が分からんだろう』
「……いや、膝ついてぺたぺたしてれば見つけられると思う」
やりたくはないし、アルに世話を焼かれるのも心地良いけれど、出来ないだろうと言われると反論したくなる。
『なら今度からは一人で入るといい』
「えっ、やだ。アル一緒に入ってよ、髪も洗って」
『……無茶を言うな。私には器用に動く指が無いんだ、貴方と違ってな』
浴場を後にすると僕と同じ大きさの手に腕を掴まれる。その手はどんどんと増えて、タオルを何枚も使って僕から水分を拭いとる。
「……フェルのやつかな?」
『ああ、予備触手だ。しかし、何だ。傍から見ると気持ち悪いな。大元は黒いのに触手の先端だけが貴方の手を象っている、気持ち悪い』
「二回も言わなくても」
着替えも滞りなく進む。アルは翼や毛皮の分乾くのに時間がかかるので、先に部屋に帰ることにした。
スライム──お兄ちゃん専用フェルシュング予備触手に手を引かれ、長い廊下を歩く。
前からコツコツと革靴の音が聞こえてきて、僕は少し壁際に寄る。けれどその足音は僕の前で止まり、触手も僕の手を引くのをやめた。
「……ヴェーンさん?」
「よく分かったな。何、お前にいいもんやろうと思ってな」
兄が履いているのは布製のブーツ、フェルはスリッパ、トールは金属製のブーツ、酒呑は裸足で茨木はヒール。ベルゼブブやグロルは足音が軽い。聞き分けるのは容易だ。
「何もずっと家にこもってる訳じゃないだろ? いつまでも目隠し巻いてちゃ不格好だ、グラスアイやるからハメてみろよ」
「グラスアイ……?」
「ガラス製の義眼だ。追視が起こるようにもしてあるし、裏に出っ張りがあるから反対向いたりもしねぇよ。俺はこれでも人形作家でね、結構人気高いんだぜ?」
手のひらに冷たい球が転がされる。
「付けてやるよ、瞼上げろ」
前髪をかき上げられ、瞼を無理矢理捲られる。目の周りの痛覚は消されているから痛みはないけれど、不快感はある。
眼孔に冷たいものが押し込まれ、瞼がそれを覆う。二、三度瞬きするとゴロゴロとした感覚がなくなった。
「なかなかいいな。ちょっとデカい気もするが……瞼閉じるんなら大丈夫だろ、目は大きい方がいいって言うしな」
「……何も見えないけど」
「義眼だって言ったろ。ただの飾りだ」
義肢は物を掴んだり変形して銃になったりする。
「目ぇ閉じずに普通に過ごしてみろよ、誰もそれが義眼だなんて気付かねぇぜ? 俺が作ったんだからな」
「…………一応、お礼はするよ。ありがとう」
僕は襟首を引っ張り、頭を傾けた。
「……いいのか?」
「家貸してもらってるし、倒れない程度なら」
晒した首筋にチクリと痛みが走る。血が失われていく感覚が少しずつ快楽に変わる。ヴェーンの口が離れると、触手が噛まれた箇所を覆った。
「めちゃくちゃ美味ぇな……意識飛びそうだ」
「……あんまり吸ってないみたいだけど」
「ダンピールなもんでね、そんなに血は要らないんだよ、飲み過ぎると腹壊す。それもお前みたいな……上等な、濃い魔力の血はな」
セネカに噛まれた時とは違い、我を失うほどの快楽はなかった。それもヴェーンが混血だからだろうか。
「……ねぇ、ごめんね? 君の、お母さんと、お兄さんのこと」
「あぁ? ああ、いいいい。気にすんなって。縁切ってたし、むしろあのババアが持ってた土地買えて儲けたんだから」
「…………家族なのに、悲しくないの?」
「血が繋がってるだけの奴等が殺されて、綺麗な眼と美味い血のお前を恨むなんざ勿体なくて仕方ねぇよ」
綺麗な眼と美味い血、か。どちらも魔物使いでなければ持たなかったものだ。
「お前のことは前に痛めつけたし。お互い様でいいだろ?」
お互い様とは言うが、ヴェーンに被害はない。少なくとも彼はそう認識している。けれど僕は違うから、その提案を受け入れた。
「……そういえば、何でアシュメダイに……」
「それだよ! むしろそれ! お前を取り返しに来たあの魔獣があのクソ淫魔連れてきやがって! 俺はアイツに捕まったんだよ!」
ヴェーンは食い気味に声を荒らげる。
「捕まったって……」
「あんっのクソ淫魔に見られただけでぶっ倒れるんだよ俺は! お陰様で俺ぁアイツのペットだ! クソっ……ちくしょう、俺みたいな半端じゃあの眼に抗えねぇんだよクソッタレ!」
「眼? あぁ、そういえば魔眼とか言ってたっけ」
「……珍しくて欲しいんだよなぁー」
怒り狂っていたように思えたが、眼の話題を出せばすぐに落ち着く。扱いやすいと見るべきだろうか。
まぁ、彼に何かさせたければ眼球をやるだとか血をやるだとか言えばいいだけだ。血をたらふく飲ませればいくらダンピールだろうとその魔力は僕由来のものになり、僕の操り人形になる。そうすれば裏切る心配もなくなる。
「……これからよろしくね」
「ん? おぅ、よろしく。いつまでも居座んなよ?」
改めて義眼の礼を言って、湯冷めするからと会話を切り上げた。
戦力は順調に増えている。
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