第364話 三つ巴の戦い
視力が戻った、と言ってリンが僕から手を離す。瞬きを何度かすると、僕の目も見えるようになった。アルや鬼達も回復したようで、目前の敵をじっと見つめている。
『──霊体捕縛完了』
『神、我等が神、神託を──』
彼らは数体破壊されていた。それをやったカヤは光り輝く網の中でもがいていた。
「……カヤっ!」
『頭領、俺より前出るな』
酒呑が飛び出そうとした僕を止める。
「でも……カヤが……」
『…………犬神は完全な霊体のはずや。攻撃ん時にも実体化はせぇへん。相手の力量が分からん時は下手に動いたあかん』
『とりあえず殴ったらええ思います』
『茨木……黙っとれ』
科学技術に詳しいのはこの中ではリンだ。僕はリンに説明と対処法を求めた。
「霊体については科学的な解明は進んでないんだよ、人間は……だけどさ。でも…………電磁波を完全に支配下におけたら、なおかつそれに魔術的な意味を持たせられたら、電気だとか水分だとか言われてる霊体にも接触は可能かも……」
僕には理解出来ない言葉を並べ立てるリン。その推察を遮るように、赤いドレスの女から拍手が贈られる。
『素晴らしい! けれど訂正がある。霊体は電気でも水分でもなく、霊体だ。ま、性質は似てる。動物と魔獣の違い、人と悪魔の違い、そんな違いだ』
「……カヤを返せよ」
『使者を騙った少年! ワタシ達はキミを気に入っているようだけれど、ワタシはキミに興味が無い。悪いけれど……要らない』
女が指を鳴らすと彼らは下ろしていた銃を持ち上げ、カヤへ向け、僕達へも向けた。
『ゲームをしよう。こっちまで来る度胸があればこの犬を返してあげる』
反射的に飛び出そうとした僕を酒呑とアルが止める。
『シャイニング・トラペゾヘドロン……どうやって手に入れたのかは知らないし、興味が無い。あの石だけでワタシの使者を騙ったんだ、度胸が無い訳が無いね。お仲間は慎重派なようだけれど。それにしても……あれだけで騙される方も騙される方だ、この重たい身体で動くのは大変だって言ってるだろ』
女に軽く睨まれ、彼らは身を縮こまらせてブルブルと震える。僕はそんな三文芝居を見て、ぐったりと頭を垂らし始めたカヤを見て、自暴自棄に陥る。
「酒呑、アル、離 せ 」
僕の肩を掴んだ手と僕の足に巻きついた尾から力が抜ける。
酒呑の結界は僕には見えないし、触れても出ても感じ取ることも出来ない。だからこそ、何の躊躇もなく結界の外に出られた。
僕は自分に向いた銃口を見ないように、女を睨みつけて、ゆっくりと歩を進めた。
「……カヤを返せ」
『その石を寄越せ』
「…………交換?」
『どうしたい?』
首にかけた紐を引っ張って、黒い石を服の中から取り出す。手の中に移動したそれは僕の体温が移っていて生温かい。
カヤと交換……命に代わるものなどない、けれどこれは優しい兄の形見だ。彼が居たという最後の証拠なのだ。
僕はそれを握って、願った。神降の国の時のように、僕を助けてくれないかと。
「兄さん……お願い、僕を助けて」
石から黒い霧が噴き出して僕を包む。女は微動だにしなかったが、彼らは動揺して隊列を乱した。
『……おい、待て、分かるだろう。ワタシだ。自分を殺す気か……?』
「……どういう意味? 早くカヤを返せよ!」
『煩い黙れ! 返せはこちらの台詞だ! 顕現の一つや二つ、どうなろうと構わないが……少し魔力が人より多いだけのガキに入れ込むなんて、ワタシのプライドが許さない!』
「何を言って……」
『おい、撃て! 石ごと破壊して構わん!』
女が右手を振り上げると、彼らは慌てて銃を構え直し、僕に向けた。
「……っ! 全 員 動 く な !」
僕はアルが僕を助けに来ないように、僕の盾にならないように、振り返って叫んだ。その一瞬後に僕に向けての斉射が始まる。黒い霧は光弾を呑み込み、揺らぎ、形を変える。
『人間の顕現のくせに、石に人格を移して保つなんて……随分と人間離れした芸当じゃないか、あぁ?』
「…………兄さん、ありがとう」
『出来損ないじゃなかったのか、いや、不良品は不良品だな。獲物に同情するなんて……しかし、まずいな、ワタシより強い神性に成りやがった』
霧の中に目玉が現れる。その三つに割れた瞳を見て、彼らは僕の後ろに並ぶ。
『……裏切りか? 正しい判断だ。それもワタシだし、ワタシより強いワタシだ。あぁ正しい、あぁ素晴らしい、ワタシの教育は成功だった』
「なんなんだよ君達は……」
彼らはカヤを解放し、カヤは僕の元に戻ってきた。再会を喜ぶ間もなく姿を消してしまったけれど。
『残念だな。ワタシにこのまま傅いていれば、遠い国の邪神の申し子が手に入ったかもしれないのに……』
女は僕の後ろに──酒呑達の方に目を向け、それから彼らを順に見てわざとらしくため息をついた。
「ねぇ、なんで僕を襲ったのか聞いてもいいかな。答えないと……」
『撃つ、か? それもいい、ワタシの鼓動を止めてみろ。別のワタシが出てきて大暴れ、だ。この国ではつい最近あった事だろう? また大量の死者を出すのか?』
「いいから答えろよ! じゃないと、じゃないと…………拷問、する」
『はっはははは! それは怖い、それは嫌だ、だが少年! ワタシはキミに興味が無い、ワタシが欲しかったのはそこの邪神の申し子だ!』
女が指差した先にいたのは酒呑だ。その直後、女の人差し指の爪が剥がれた。
『……素晴らしい。良い障りだ』
赤く塗られたその爪が床に落ちると、爪から無数の小さな蛇が生まれ、床に溶けて消えていく。僕はその奇妙で生理的嫌悪を煽る現象に言葉を失った。
『なぁ、そこの鬼。ワタシの実験台になれ』
『……俺に言うてんのか?』
『勿論。だが、幼馴染みを差し出すなら、それで妥協してやってもいいぞ』
『断る。自分、今の状況で人脅せる思てんのか』
『どうだろう……けれど、ワタシの実験台にならなければ、あと…………そうだな、十二分で死ぬぞ』
ヒタヒタと足音を立て、酒呑は僕の前に出る。結界はもう必要ないと踏んだのだろう。
女の額に触れて、一言呟いた。
『災いあれ』
『…………いいデータが取れたよ。感謝する』
酒呑は女から手を離すと僕の腕を掴んで後ずさる。
女は嫌らしい笑みを浮かべたまま苦しみだし、胃液と共に黒く細長いものを大量に吐き出した。それが先程剥がれた爪から生まれたものと同じだと理解するのに時間はかからなかった。
『十二分、なぁ。そないかからんかったな、なぁ頭領』
「え……ぁ、うん。何かする気だったのかな」
『せやろ思うけどな』
「なんか……違和感あるっていうか、この人……なんなんだろ」
女だけではなく、僕の後ろで銃を構えた彼らもだ。コロコロと寝返って狙いが全く分からない。
酒呑はそんな事には興味が無いようで、蛇に内側から喰い破られた女の身体を漁る。露出した肋を剥がし、まだ動いている心臓を抉りとった。
『おーおー……元気ええなぁ』
心臓は酒呑の手の中でも鼓動を続けている。
「な、なんで動いてるの」
『人間ちゃう奴にはようあることや。まぁまぁ美味そう……』
目を閉じて口を開け、酒呑は心臓を丸呑みしようとする。だが、口に入る直前で心臓は奪われた。
いつの間にか酒呑の横に黒いスーツを着た長身の男が立っていた。
『……なんやお前』
『愚鈍なる者よ、一つ教えてやろう。外来種のうち最も忌むべき者の鼓動を止めてはならぬ』
男は心臓を彼らに投げ渡す。彼らは慌てて別室に走り、残らず姿を消した。
男は汚れた手を酒呑に擦り付け、呆れたような表情を向ける。
『…………人間か?』
『分からんのか?』
嗜虐的な笑みを浮かべた男はその金色の瞳を僕に向け、いつの間にか霧を消していた首飾りに手を伸ばす。
僕は石を握り締め、男を見上げる。金眼は上品ながらもどこか邪悪で、癖のない真っ直ぐな黒髪は耳を半分隠す程度の長さで、褐色の肌が彼のシルエットを整えている。
『余には見せてくれんのか』
身を屈め、首飾りに伸ばした手を引っ込める。
彼の立ち居振る舞いは今まで会った誰よりも上品で丁寧なものだったが、それに反して僕に本能的な恐怖を与え続けた。
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