第365話 火種となりうる者

酒呑は自分から食事を奪って何の説明もせず自分を放って僕に構いだした男に苛立ったようで、男の髪を掴んで顔を上に向けた。


『誰や聞いとんねん! 調子乗ってんとちゃうぞ!』


『…………悪いが、名乗る訳にはいかぬ。余には貴様と違って身分を考える頭があるからな』


茨木が酒呑に加勢する為に走り寄り、そのいざこざから僕を守る為にアルが駆け寄り、それら全てのトラブルから遠ざける為にリンが僕の腕を引っ張る。


『酒呑様には頭あります、アルコールで縮んどるだけです』


『せやせや! いや……待て茨木、自分今何言いよった』


アルは男の顔を覗き、慌てて酒呑の腕に尾を巻き付けて男から引き剥がそうとする。


『手を離せ鬼! この無礼者、命が惜しければ早く離せ!』


『なんや急に……』


『いいから早く離せ!』


酒呑が男の髪から手を離したのを確認すると、アルは素早く男に向き直り、頭を下げた。


『申し訳ございません!』


『いや、よい。気にするな。今日は忍びで来た』


『……お忍びで? 何故またそんな事を』


『自滅しかけたブブに魔力を渡すついでだ。貴様と外来種が魔界の結界を根こそぎ壊して行ったお陰で出入りも楽になったことだし、分身を作って貴様の主の顔を見に来た。順調に育っているようで何よりだ』


アルと男は知り合いのようだが、僕は彼を知らない。けれど、彼の目的は僕の様子を見に来る事だったらしい。また頭がこんがからがってきた。


『……のぅ茨木、何か分かるか』


茨木は左の手のひらを男に向け、目を閉じてうーんと唸る。


『……レーダーはんは物質のフリをしてる魔力の塊言うてますけど』


『れーだ……?』


『探知機です』


『ほーん、で、物質のフリてなんや』


『魔力の実体化……酒呑様が祟った時の蛇みたいなもんや思いますけど』


『あれは変換や』


『そうですか。うちあんまそういうの詳しないんで、ご自分で考えてください』


『拗ねんなや』


酒呑と茨木の会話を盗み聞きし、魔力の実体化について考える。前にこの国に来た時にベルゼブブがフォークとナイフを実体化させていた。あれはどうやら上級悪魔の中でも限られた者だけが使える業らしい。

その他で見たのといえば、魔界でサタンが魔獣を創り出して……サタン?


『ベルゼブブ様のご様子は如何でしょうか』


『体調に問題は無いがこの上なく不機嫌だ。余に助けられたのが気に入らんようだな、そろそろ余に下ってもいい頃だと思うのだが……これがなかなか』


男はアルと世間話のようなものをしている。僕は彼の顔を覗き、思い出してきたサタンの姿と比べた。角や翼はない、尾もない、けれど顔は記憶と合致した。


「ま、まさか……さた、んっ!?」


サタンと言おうとした口を素早く抑え、男は人差し指を立てて自分の唇に当てる。しーっ、と子供に言い聞かせるように言うと、僕の口から手を離した。


『人界に来ている事が天使に知られると厄介なのでな、悪いが名は呼ばないでくれ』


「ご、ごめんなさい……?」


強い悪魔や天使が人界に現れると神魔戦争の火種になる、とは何度か聞いた。

その割にはミカやベルゼブブは人界で暴れていた。けれど今サタンは正体を隠したがっているし、以前会ったラファエルは「降りるのに手間取る」だとか言っていた。線引きがよく分からない。


「…………何しに来たんですか?」


魔界では酷い目に遭った。彼に直接痛めつけられた訳ではないけれど、彼に良い印象はない。強力過ぎる悪魔は操れない分天使よりも警戒が必要になる。


『言ったろう? ついでだ、と。貴様がどれだけ力をつけたか見ておきたかった』


「……ベルゼブブ、何処にいるんですか?」


『さぁ、なぁ?』


魔界で会った時のような魔力の圧力は感じない、けれど、その威圧感には遜色がない。

恐怖心を表に出さないように気を配っているから、僕の思考はいつも以上に遅く会話にも時間がかかる。


「ね、ねぇヘル君? 危機は去った、って感じなのに……なんか、さっきより緊迫感あるんだけど、なんで?」


『……貴様、なんだそれは』


僕の背後に隠れながら話しかけてくるリン。その姿を見て眉を顰め、僕を睨むサタン。どちらへの返答も思いつかない。


『只の人間。魔力も無ければ加護を受けた訳でもない、筋力すらも平均以下。何故それを置いている?』


「えっ……何、俺めっちゃ馬鹿にされてる?」


『なぁ魔物使い、貴様は人間だ。だから人間の侍従を欲しがるのは理解出来る。だがな、質は見極めろ。貴様は余の一番の駒となる者、貴様は下賎を好んではならん』


「馬鹿にされてる……んだよね? ねぇちょっとアルギュロスさん? 翻訳お願い」


サタンに詰め寄られる僕を放って、気まずそうに頭を下げたアルに駆け寄る。サタンから逃げるうまい口実を見つけた……そんな表情が読み取れた。


『…………ヘルに貴様が釣り合わない、と仰っている』


「えっなにそれ。あれヘル君のお父さんか何か? 俺そういう趣味な訳じゃないんだけど……」


『……もう帰れ。貴様はもうこれ以上関わらなくていい。私を造った者の子孫とはいえ、貴様は何の義務も無い人間だ。これ以上魔物の話に首を突っ込むな』


「…………首突っ込んだ覚えはないよ。君達が巻き込みに来てるんだから」


リンは吐き捨てるように言った言葉に僕は打ちひしがれて、サタンの「人間の質とは何か」の話も聞けず、ただ立ち尽くしていた。

最初からそうだった。ほとんど無関係なリンを巻き込んで、無茶な願いを通させて、ひたすらに迷惑をかけてきた。


「…………ごめんなさい」


『ようやく理解したか? そうそう、余は加護を受けた人間はあまり好まん。だからだな、人を弄ぶような人から外れた精神構造をしている優秀な魔術師だとかが理想だ。そういった知り合いはいるか?』


「え? ぁ……どうでしょう、分かりません」


思わず声に出たリンへの謝罪はサタンに勘違いされ、僕は聞いていなかった質問に万能の答えを返した。


『ふむ、余が見繕ってやってもいい。好みはあるか…………っと、来たようだな。話をしている暇はなくなった』


立ち上がり、天井を見上げる。表情が見えず彼の感情は少しも読めず、言葉の内容も手伝って僕の不安を煽った。


「何が来たんですか?」


『そこの醜女が言っておったろう、あと十二分だと。アレだ。そこな鬼が愚かしくも角を晒して往来を練り歩いたから、だろうなぁ』


『んな真似してへんわ。なんなんや自分。実体に見せてるだけの雑魚が俺に喧嘩売っとんのか、あぁ?』


「ちょ、ちょっと……黙っててよ酒呑、何が来るのか僕まだ分かんない。あと君は多分勝てないって」


酒呑にはある程度僕の力が通用するが、サタンには全く通用しなかった。その事から考えても、サタンが悪魔の王と呼ばれている事から考えても、酒呑がサタンに勝てるとは思えなかった。


『……警察記録を消すのも監視カメラの映像を消すのも、どちらも遅過ぎたか。油断したな、ここは科学の国…………登録されていない魔物が、ましてや人型がいれば……』


アルは何かを察しているようだった。アルは僕の足に尾を絡め、背に乗るよう誘導した。

僕がアルの背に跨った直後、大きな金属音と共に天井に亀裂が入り、割れた。

天井が壊れたのは僕達が立っていた場所とは離れていて、落ちてきた瓦礫は躱す必要も無かった。けれど、それに起こされた土埃は僕達の視界を奪った。

腰に巻きついたアルの尾の感触、落ちてきた者達が放つ清浄な光、おそらくは茨木の義肢であろう金属音。それらが僕に認識出来る全てだった。

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