第342話 鬼の角

憎悪に燃える僕に倒れたままの茨木が冷静に声をかける。


『復讐誓うんも結構やけど、その前に自分で立たれへん哀れな鬼を助けて欲しいわぁ』


「あ……うん、分かった」


とは言ってもどう起こそうか。腕が無いから掴む場所がない。

服でいいかな。いや女性の服を掴むのは……


「よっ……重っ!?」


首に腕を回して引っ張ってみたのだが、上手くいかない。


『ヘル、代わろう』


アルは尾を茨木の体の下に滑り込ませ、器用に立ち上がらせた。


『おおきに。やっぱり腕ないと不便やねぇ』


「…………あ、あの、ごめんね? えっと、君が重いんじゃなくて、僕の力が弱いだけだから、その……君は別に重くないから」


年齢と体重には触れてはいけない。特に女性は。経験からそう学んだが、その学びは生かせなかった。


「ごめん……」


僕は俯いて、相手に聞こえるかどうかも考えず小さな声で呟いた。


『そない謝りなや。うちはそこらの女と違って鍛えてるからなぁ、酒呑様に尽くす為に……ふふ、重くて当然や』


僕の予想に反して、茨木は今まで会ってきた女性と違って体重の話をしても怒り狂わないらしい。助かった。


『貴様の比較対象は男だろう』


『あら、男の人みたいに逞しいて? ありがとうなぁ』


『…………もういい』


足音に顔を上げると、支払いを終えたらしい酒呑が居た。

がま口の財布を覗いてため息をつき、目を細めて僕を見る。


「な、何?」


『…………腹減った』


『あぁ、もうずっと食べてはらへんかったん忘れてたわぁ』


「住み込みで働いてたんでしょ? さっきの酒場にもご飯あったのに……」


本格的なものではないがツマミ程度ならある。僕もクラッカーを注文した。昼食には少ないかもしれないが、元々小食の僕には丁度よかった。


『鬼は基本人喰いやからねぇ』


「え……あ、そうなんだ。ダメだよ」


『腹減った……』


『すんまへんなぁ。うちに腕あったら若い娘の一人や二人捕まえてきますのに』


「人食べちゃダメだってば」


どうせ鬼も他の魔物と同じで食事が人間に限定されている訳ではないのだろう。なら僕が側にいる限り人を喰わせはしない。


『…………まぁええわ。はよ行くで』


「素直……ってそうだアル、ここから科学の国ってどれくらいかかかる?」


『ふむ、確か酒食の国から飛行機で砂漠の国へ、そこから船で。の道が一番近いはずだ』


「結構遠いね。一日ちょっとはかかるかな。って……その前に、鬼だって分かんないようにしないと…………どうする?」


帽子でなんとか見た目は誤魔化せるだろう。だが空港の魔力検査には引っかかるだろうし、アルが近くにいたからだと言い訳しても手荷物検査か何かで帽子を脱がされてしまったらどうしようもない。


「……ねぇ、角隠せないの? 帽子とか髪の毛とかじゃなくて…………ほら、天使とかは翼消せるし、悪魔も角とかは隠せるし」


『無茶言いなや。自分ハサミ使わんと髪短うせぇ言われたら無理や言うやろ、それと一緒や』


「うーん……? 無理ってこと?」


『なら切り落とせ』


『角は鬼の誇りや。そう簡単に切ってたまるか』


「でも……角があったら鬼だってすぐバレちゃうし。科学の国は国連加盟国だから魔物には厳しいんだよ…………ってそうだ! パスポートは!?」


『ぱすぽーとは神降の国で造ってもろたで。鬼やったら入られへんのか? ぱすぽーとには人間て書いとるけど。あかんのやったら俺らは外で待ってるさかい自分らが義手作ってきてぇな』


「本人いないとダメだと思うけどなぁ」


どうやって義手を作るのかは知らないが、本人がいなければピッタリ合うものにはならないだろう。


『……しゃーないな』


『正気ですか酒呑様! いけません、角を落とすなんて!』


『せやけど……そうしやんとお前の腕が』


『酒呑様の角と引き換え言うんやったらうちは腕いりません!』


酒呑の角だけではなく茨木も角も切らなければならないのだが、そこのところは理解しているのだろうか。


「角って一度切ったらもう生えてこないの?」


『半年で生え変わるんや、この角も後二ヶ月程度で抜ける思うで』


「……じゃあいいじゃん」


『せやろ、そう思うやろ。けどな』


『いけません!』


『って言うんや』


「…………何で?」


二ヶ月の間角が無いくらい我慢して欲しい。

そもそも角は邪魔にならないのか? 無い方が眠ったりはしやすそうだ。


『誇りや言うてますやろ、鬼の頭領が角切るなんていけません!』


「分からなくもないけどさぁ」


そもそもとして義手が必要なのは茨木だから、彼女さえ入国できればいいだけで酒呑が角を切る必要はない。そう伝えた。


『……うちの角切るん? い、嫌や! 絶対嫌や!』


『せやな。俺は外で待っといたらええんか。よし、頭出せ茨木、折ったるわ』


『嫌、嫌ですって! は、離し……』


腕が無ければ抵抗は出来ない。茨木は角を掴まれたままバタバタと足を振る。


『離して……離し、はなっ…………離せ言うとるやろがボケぇ!』


その足は酒呑の鳩尾に叩き込まれ、追撃に頭突き……角での刺突が顔を狙う。


「落ち着いて落ち着いて落ち着いて! 待って待って! 止 ま れ ! もう……とりあえず酒食の国に行こ。角切らずに行ける方法思いつくかもしれないし」


『あぁ……すんまへんなぁ。見苦しいの見せたわぁ。せやね、とりあえずその酒食の国ちゅーとこ行こか。裏道教えてくれはるかもしれへんもんね』


「不法入国はもうやだよ……やるしかないならやるけどさぁ」


麓までは何時間かかるだろうか、以前来た時はどうだったかな。僕はそんな事を考えながら酒場で貰ってきた地図を回す。


『おい、赤髪の。早く来い』


『あー……腹痛ぁ』


『置いていくぞ』


『待ちぃなもうせっかちやなぁ』


酒呑を引っ張り起こしたアルが茂みに入る僕の服の裾を咥える。


『どこに行く気だ』


「酒食の国だけど」


『地図を貸せ…………反対だ。私が先導する。着いてこい』


「え……ま、待ってよ僕地図読めるって! 方向音痴じゃないから! 絶対こっちの道だって!」


アルは僕の弁明に一切聞く耳を持たず、地図を奪って先導する。

僕の予想とは反対の方向に進んでいるが、本当に大丈夫なのだろうか。

そんな僕の不安をよそにアルはずんずんと進んでいく。だが、いつしか僕はアルを見失わないように歩く事に精一杯になり、いつしかそんな不安も忘れてしまった。


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