第343話 不本意な不法入国
険しいけもの道、山を下るのは山を登るよりも大変だと思う。
僕は途中からアルの背中に乗っていたし、三回ほど転げ落ちた茨木は酒呑におぶられたのだから間違いない。
登るのは足腰を痛めるが、下るのはバランス感覚が問われ一歩間違えれば滑落、もう一歩二歩間違えれば死だ。
「だからさ、下りる方が大変なんだよ多分」
『言いたい事はそれだけか。数分歩いて「疲れた、乗せて」と喚いて……挙句の果てに屁理屈か』
『ほんま、酷い男やわぁ。男はもっと頼りがいあらんとな、酒呑様みたいに』
僕と同じように自分の足で下りていないくせに、茨木は僕に嫌味を言ってくる。
『転がった方がはよ下りれるんちゃうん』
『酒呑様、男には優しさも必要や』
『ほー、そうか。まぁ物は試しや』
『本気ですか酒呑さまぁぁぁぁ…………』
酒呑は茨木を振り落とし、急な斜面に蹴り落とす。
『ふぅー……軽なったな、はよ行くで』
「…………友達っていうの嘘だったのかな」
普通、両腕を失って「バランスが上手く取れないからおぶってくれ」と友人に言われたら麓まで背負っていくものだと思うのだが。それは人間の常識なのか、鬼には当てはまらないのか、彼が異常なだけなのか。
『私は貴方を落としたりはせんからな』
「あ……うん、お願いね。あれやられたら僕多分死ぬよ」
急な斜面を転がり、木に当たり、岩に跳ね上げられ、大木に引っかかって止まる。
僕なら頭の骨が砕けている。
『痛た……もぅ、酒呑様ったら無茶しよるわぁ』
『お、まだ行けそうやな。もっかい行け』
『え、ちょ、ちょっともう無理で……ぁあぁぁぁ…………』
『おー転がる転がる』
本当に酷い奴だ。ますますもって何故彼が慕われるのか分からない。
『お、何か見えてきたで』
「酒呑の国だ……あれ、門番いない?」
『だぁれも居らへんみたいやなぁ』
『なんや茨木まだ元気やないか。もっかい……』
『もう傾斜緩なってきたから自分で歩きます!』
『ほうか。残念やわぁおもろいのに』
山の動物が入ってこないようにと建てられた鉄柵、それに連なる門。あの門には二人の門番が居たはずだ。
アルは僕の胴に尾を巻きつけ、枝や岩を足場にして飛び、翼を広げ滑空する。
『……居ないな』
門の前に着地し、首を回す。
「飛ぶなら飛ぶって言ってよ……もう」
『あぁ、済まないな』
柵の隙間から中の様子を伺う。
柵の周囲には風俗店や酒店はなく、静かな住宅街が見えた。
人の影は見えない。
『…………入るか?』
「ん〜……どうしよう、不法入国はしたくないんだよね」
『めんどくさいやっちゃのぉ、そんなん気にしぃな。ほら開いたで』
門をこじ開け、酒呑は躊躇せず中に入っていく。それに続いて茨木もフラフラと入っていく。
「もー……しょうがないなぁ。行こ、アル」
自治部隊のようなものに捕まったらアシュメダイに泣きつこう。僕はそう決めてアルの背の上で伸びをした。
『しっかしええ匂いするわぁ、上等な酒の匂いと…………ぉん?』
『っと……如何されました酒呑様』
前を歩いていた酒呑が足を止め、それにぶつかる形で茨木も止まる。
アルは鼻をひくひくさせながら首を回し、ため息をついた。
「……アル? どうかしたの?」
『ふむ、目を閉じておけ』
「え……?」
無言のまま再び歩き出す。僕は言われた通りに目を閉じて手で覆った。
しばらく歩くと足音が変わる。
今まではアルの爪がタイルに当たりカチャカチャと音を立てていた。だが今はピチャビチャと粘着質な水音が混じった。
「な、何? 何の音…………っ!?」
音だけではない。匂いもおかしい。
鼻をつく生臭さ、鉄錆に似た匂い、間違いない。これは血の匂いだ。
「ア、アル? 血……なの?」
『どっちかっちゅうと臓腑やな、ええ匂いや。まぁちょっと時間経ちすぎやな、勿体ないわぁー』
「うっ……」
『お、おいヘル、私の上で吐くなよ』
「……っ、ぅん……ま、まだ見てないから、ギリギリ……」
目を閉じているせいか嗅覚と聴覚が鋭敏になる。匂いが吐き気を煽る。音が光景を想像させる。赤い景色が瞼の裏に映される。
「ぅ……ご、ごめんアル、下ろして」
少し離れた所で吐いてこよう。そう考えての発言だったが、アルの返事はない。
「アル?」
『静かに。気取られる』
何に? なんて質問はしなかった。聞かなくても分かりきっている、この惨状の犯人だ。人、かどうかは分からないけれど。
足音は聞こえなくなった。皆動きを止めたのだ。
何か居る。近くに居る。足音も立てずに歩き回っている。
『…………離れた。行くぞ!』
胴に巻かれた尾がきつく締まる、消えていた揺れと浮遊感が訪れる。
『ヘル、もう目を開けていいぞ』
アルは屋根の上に飛び乗っていた。
「何が居たの?」
『分からん』
助走をつけて飛び立つ。
思ったよりも山を下るのに時間がかかった、今日はもう便がない、適当な宿に泊まろう。
そんな事を空を飛びながら話した。
酒食の国は悪魔が住める国だ、この国なら角を隠さずに外を歩けるし、店にも入れる。
砂漠の国はどうだろう、国連加盟国ではなかったとは思うが、魔性を恐れるかどうかはまた別問題だ。
「四人分の宿泊費……せっかくいっぱいもらったのに、これじゃすぐ無くなっちゃうよ」
『しゃーないやろ、俺もう財布すっからかんや』
「飲むからだろ! もう……義手作ったら働いて返してよ、絶対だよ」
『へいへい』
踏み倒す気だ。
鈍感な僕でも分かる、酒呑は金を返す気などない。なら茨木に? ダメだ、彼女は酒呑の言いなりだ。酒呑が払う気がないのなら払わなくていいのだと認識しているだろう。
先程の正体不明の殺戮者や科学の国にどうやって入るかだけでなく、どう取り立てるかまで考えなければならない。
僕は全てを忘れる為、酒を欲しがる鬼を無視して風呂に向かった。
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