第341話 ねこかぶり

アルとミーアでは可愛さの種類が違う。

そんな僕の発言にミーアは静止してしまった。


『ヘル、ヘル、私は可愛いのか?』


「可愛いよ」


『そうか!』


ミーアとは正反対にアルは嬉しそうだ。

別にミーアよりアルが可愛いと言った訳でもないのに、どうしてここまで反応に差が出るのだろう。


「………………ムカつく」


「え? ミ、ミーア? あの……」


「にゃ? どうかしたのかにゃ? ヘルさん」


「い、今……なんか」


「今? にゃ?」


ミーアは首を傾け、いつも以上の猫なで声を出す。誤魔化していると言っているようなものだ、何を誤魔化したいのかまでは分からないけれど。


「うーん……まぁいいか」


『なぁヘル、鬼に「何時まで呑む気だ」と言って来てくれないか? 長髪の方で構わないから』


「え……? あぁ、うん。僕一人で?」


『凶暴な赤髪の方は眠っているし、私は猫と話していたい。頼めないか?』


「別にいいけど……仲良くなったんだね」


アルに仲の良い友人が出来るのは喜ばしい事だ。

……嫉妬なんてするな。僕を除け者にしてアルはミーアと何を話すんだろう、なんて考えるな。僕の愚痴を言い合うのかななんて、そんな事を考えているから嫌われるんだ。


「にゃん! 行ってらっしゃいにゃ!」


僕が立ち上がるとミーアは横に詰め、肘掛けに顎を置いたアルに近づく。


「…………ね、ミーア。あんまりアルに触らないでね」


「にゃ? にゃあ、分かったにゃ」


不審に思われただろうか、でも構わない。

アルが僕を抜いて他人と会話するのを許しているのだから、この程度のワガママは通してもらわなければ。




酒場の扉をくぐるまでの間、ヘルは一度も振り向かなかった。

けれどミーアはヘルの姿が見えなくなるまでずっと手を振っていた。


『……徹底しているんだな』


嘲りを込めた褒め言葉。

ミーアは頭の上で振っていた手を下ろし、アルの額に置いた。


「ヘルさんは分かってにゃいにゃー、それとも私の質問が悪かったのにゃ? 好きなのはどっち? じゃなくて恋人にするならどっち? って聞けば良かったにゃあ」


ミーアは猫なで声のまま、手に込める力を強めていく。鋭い爪はゆっくりと銀色の毛の中に沈んでいく。


『それならヘルも貴様を選んだだろうな』


「……意外。現実見えてたんだ? そう、私を選ぶに決まってる。当然じゃない。ヘルはまだ女の子よりもペットが大事な年頃なだけ。今にあなたは私に負ける」


『女を欲しがるのなら私が見繕う。田舎臭くも獣臭いもない、床上手な処女をな』


「負け犬の遠吠えって分かってても……ムカつく、目潰してあげようか? そうすりゃすぐに捨てられるね、ボディガードが隻眼なんて、ねぇ?」


ミーアにアルの目を潰すような度胸はない。

ヘルがすぐに帰ってくるだろうから、この魔獣も猫を被るだろうから、多少の苦痛には耐えるだろう。

そう考えてはいたが、ヘルにバレる可能性もあるのに痕を残すような度胸は無かった。

それに魔獣が目を潰されてまで猫を被るかどうかは分からない。

だが、分かりにくい場所には傷を付けてやろう。


「……ねぇ、痛い?」


『何がだ?』


ミーアは額に置いていた手を首に移動させていた。鋭い爪に分厚い皮膚が微かに裂けて、ポタポタと血が落ちる。だがアルは余裕そうに笑ってみせた。


「…………ほんっとムカつく。この牝犬っ! あのオスは私のもんなのよ、ベタベタ引っ付いて犬臭くしないでもらえる!?」


このまま皮を剥がしてコートにでもしてやろうか。ミーアがそんな考えにまで至った頃、酒屋の扉から出てくるヘルが見えた。

ミーアはベンチの後ろの植え込みにハンカチを突っ込み、朝露で濡らし、アルと自分の爪の血を拭った。


「ただいま。アル、仲良くしてた?」


『あらあら……白い仔猫はん。綺麗な足だして愛らしいわぁ。うちもあんなふうなカッコしてみたいわぁ』


何故か着いてきた茨木がミーアを見て、ニコニコと笑顔で僕に同意を求める。

ミーアが履いているのはホットパンツ。茨木はまだメイド服を着ているから、足首まで隠れる長いスカートを履いている。


「短いの履きたいの?」


『まさか! うちには似合いまへん』


アルの頭を撫で、「酒呑は今金を払っている。彼が来たら出発しよう」と伝える為にアルの耳に顔を近づける。


「…………何かした?」


血の匂いがする。


『いや、何も』


アルはそう誤魔化して視界を塞ぐ。僕はアルの頭を抱き締めて抑え、赤い斑点模様の地面を見た。


「何したの? 怪我したの? どうして隠そうとしたの? どこ怪我したの? もう治したの? どうしたらこんなちょっとの間で怪我できるの?」


アルの頭を両手で挟み込んで問い詰める。


「ねぇ何で? 早く全部答えて」


『落ち着きぃな』


「落ち着けるわけないだろ!?」


「にゃ……にゃ、ヘルさん」


宥めた茨木に怒声を浴びせ、恐る恐る名を呼んだミーアを睨む。そうだ、ミーアなら知っているはずだ。頑固なアルよりもミーアを問い詰めた方が早い。


「ねぇミーア、どうしてアル怪我したの?」


「にゃ……にゃ、分かんにゃいにゃ、知らにゃいにゃ。ちょうど目を離してて……」


『……仔猫はん、綺麗な爪やねぇ。ちょっと見せてぇな』


「茨木! 邪魔しないでよ!」


ミーアは震えながら左手を茨木の前に突き出した。


『……そっちの手ぇも見たいわぁ』


目を固く閉じ、両手を突き出す。

ミーアは茨木が鬼だと分かっているのか? 他の村人と同じように牛の獣人だと思っているのなら、これほど怯えるはずはない。


『ふふっ……ええ匂いしますわぁ。強い魔獣の、よーけ力貯めはった血ぃの匂い』


「ひっ…………ゃ、いや、私……私知らないもん!」


ミーアは茨木を突き飛ばして逃げていった。その足の速さには「流石は猫」としか言えない。

突き飛ばされた茨木はといえば、バランスを取れず受け身も取れず、地面に寝転がっていた。


「血……血の匂いって言ったよね? な、なに? 嘘……ミーアがしたの? 何で? だって分からないって…………言ったのに、何だよそれ」


仲良くなったのではなかったのか? 事故? いや違う、事故なんて起こりようがない。

アルには触れるなと言っておいたし、話していて爪を振ることなどありはしない。

そもそも故意でなければアルの丈夫な皮を裂けはしない。


「あいつ……あの恩知らずっ!」


アルに助けられたくせに。

アルを傷つけるなんて、許せない。

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