鬼の義肢と襲いくる災難

第337話 腕無しの鬼

空を飛びながらの遠吠えが何度か繰り返されると、どこからともなく声が聞こえてくる。


『…………ぉーーいぃ』


遠吠えに返事をしているらしいその声の元に降りる。それは覚えのある場所だった。

人の形をして、動物の耳や尾を生やした者達が住む村。獣人の国の肉食の村だ。


『何をしている、貴様ら。私が何度貴様らを呼んだと思っている』


『せやから今返事したったんや、そうカリカリしぃなや』


返事をしたのは公園のベンチに座っているボロボロのメイド服を着た腕の無い女。


「茨木? えっと、なんだっけ……酒呑? は?」


『酒呑様ならそこで女囲うて呑んではるよ』


茨木の視線の先を辿れば、開け放たれた酒屋の扉からチラリと酒呑の姿が見えた。

動物の耳や尾を生やした少女達が彼の世話を焼いている。


『……私の声は聞こえていたのか?』


『聞こえとったよ。酒呑様にも言うた。けどなぁ、あの御方はえらい気分屋で……』


『…………文句を言ってくる』


アルは僕を下ろし、酒場へと向かう。

僕は「ミーアに会ったら気まずいな」と周囲を確認してから茨木の隣に座る。


「お酒好きなんだね」


『酒呑呼ばれるくらいやからねぇ』


「……女の子にもモテるんだね」


『見ての通りの美男子やからねぇ』


かなりの強面だと思うのだが、獣人の若い女性達はああいった顔が好きなのか。態度だって横暴で、言葉遣いも荒いのに、何故あれだけ人を集められるのだろう。


「君は……嫉妬したりしないの?」


『嫉妬? 何に?』


「え……ほら、酒呑モテてるの…………あ、まさか君、恋人じゃないの?」


『……えらい気持ち悪いこと考えはるんやね。うちは友人、うちは子分、恋人なんかやあらしまへん』


茨木は目を細めてそう言った。

機嫌を損ねたらしい、そう認識してしまった僕の体が強ばる。


「あ……そ、そう。ごめんね? 勘違いしてたみたいで」


『あんたが小鬼やったら捻り殺しとったわ』


「怖いこと言わないでよ……」


『あら、怖かったん? 冗談や、じょーだん……ふふっ。でもなぁ、あんたはうちの腕吹っ飛ばしはったからなぁ。他にも色々と借りあるわぁ…………月の綺麗な夜だけや思とったあかんよ?』


それは殺害予告だろうか。夜闇に紛れて殺すと、そういう事か。


「君が先にアルの前足吹っ飛ばしたんだろ。それに、お詫びに科学の国で義手作れるように取り計らうって言ってるじゃないか」


『……酒呑様がその案に賛成なようやからうちはあんたに何もせぇへんけど、鬼と取引できるなんて思たあかんよ』


「僕は出来るよ。魔物使いだからね」


脅しには屈しない。怯えていると相手に悟られたら負けだ。

僕は鼻で笑ってみせ、自慢げな表情を作る。


『ふふ……また無理矢理従わせはるん?』


「それでもいいけど」


『腕無いようなん従わせてもしゃーないやろ、捨てぇな』


「…………僕は君が悪いと思ってるし、今だって殺せるならそうしてやりたいと思ってる。けど考えなしに仲間になるかもしれない鬼を撃ったのは失敗だったかなって、そう思って挽回しようとしてるんだよ」


嘘だ。残っていた腕まで奪ってしまって、罪悪感が湧いたからだ。

アルを傷つけた報いだからと言って納得出来れば良かったのに、心のどこかが引っかかった。

その罪悪感を消す為に義手の提案をしたのだ。

これで恩を感じて鬼が魔物使いの力を使わずとも僕に従うようになればいいな、なんて打算もあったけれど、それは後から湧き出た考えだ。


「僕は僕の為に君の義手を作るの」


『ふんっ……まぁええわ。うちみたいに強力な鬼なんかおらへんからなぁ』


「君、強いの?」


『鬼ん中では二番目や……そもそも鬼があと何人残ってんのかも知らへんけど』


「…………鬼ってそんなに少ないの?」


『玉藻は鬼鬱陶しがっとったからなぁ、えらい減らされたわ。人間も鬼退治に躍起になりよってからに……隠れ屋敷持っとらへんやつは人間に、持っとるやつは玉藻に。っちゅー感じやったなぁ』


陰陽師がどうとかいう話は前にも聞いた。一度見に行ってみてもいいかもしれない。

無関係な僕が国の政策に口を出す事なんて出来ないけれど、逃げ遅れた善良な魔物がいるのなら連れ出したい。


「隠れ屋敷っていうのは君達が住んでた……あの、ボロ屋敷のことだよね? 結界なんだっけ?」


『指が入るかどうかの差ぁズラすだけの結界。大したことあれへんよ』


「ズラすって……何?」


『そのまんまや。ズラした世界は招かれん限り入られへんし出られへん、なんなら見えもしぃひん』


茨木は温和な笑みを浮かべたまま、僕に理解出来ない説明を並べ立てた。


「透明になるってこと?」


『猫やら鳥やらが窓にぶつかってんの見たことありはる? あれは硝子がある分からへんから……知らへんからぶつかってるんや。でも人間はぶつかれへん、知っとるからなぁ。人間にとっては硝子は硝子、不気味な壁やあらへん。それとおんなじ』


首を傾けて僕の顔を覗き込み、艶っぽい笑みを作る。


「……えっと?」


『隠れ屋敷に入られへんのは招かれてへんからや。硝子にぶつかるんは知らへんからや。透明や思うんは知らへんから……ふふふっ』


堪え切らない、という演技を混じえたわざとらしい嘲笑。


「…………あの、もしかしてなんだけどさ。馬鹿にしてる?」


『あら、そんなふうに聞こえはったん。それはえらいすんまへんなぁ』


僕を窓にぶつかる猫や鳥と同じ扱いをしているのか。

まぁ、結界について説明しろというのも無茶な話か。


『理論的には……せやねぇ。三次元を四次元的に扱って…………ちょっと浮かせて被せてるんや。あんたはんらが紙重ねるんと一緒。空間重ねてるんや』


「あー……次元とか言われたらもう無理」


『ふふっ、子供は元気が一番や。小難しいおべんきょは嫌いやなぁ?』


「元気もないけどね……やっぱり馬鹿にしてる?」


独特な抑揚とゆったりとした話し方。それは僕には馴染みのないものだからなのか、苛立ちを増幅させる効果を持っていた。


『そないに聞こえはった? えらいすんまへんなぁ』


ベルゼブブに馬鹿にされるのとはまた違う。彼女の言葉を針に喩えるなら、茨木の言葉はヤスリだ。

そこまでの痛みはなく、不快感をジリジリと与えてくる。

僕は茨木との会話に嫌気がさし、アルを追って酒場に入った。

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