第338話 食い違う願望
店の奥で足を広げて座り、酒をあおる酒呑。その周りに集う程々に酔った人々。
そして机の下に潜り込んだアルは酒を飲んでいた。
「何してるの!?」
『……ああ、ヘル。いい酒があってな』
「文句言いに行ったんでしょ!? なに仲良く飲んでんだよ!」
『…………済まない』
普段はしっかりしているのに、たまに間の抜けた行動をする。それはそれで愛らしくもあるけれど、こういった時には腹が立つ。
「もう……早く行こ。科学の国だろ」
『まだ飲みたい』
「……行くよ」
来ないなら先に行く、という脅しを込めてアルに背を向ける。
『無粋な真似すんなや、ちょっとくらいええやろ』
ダンっ、という音に振り返ると、酒呑が僕を睨みつけていた。あの音は酒瓶を机に叩きつけるように置いた音だった。
酒呑は瓶のまま酒を飲み、空にし、凄む。
「君の友達の為なんだよ?」
酔いを孕み凶暴化した視線に臆しながらも言い返す。
『……俺は呑みたい時に呑む。気に入らんのやったら先行き』
「…………無理矢理従わせてもいいんだよ」
威嚇のつもりで髪をかき上げる──広がった視線に飛び込んできたのは空になった酒瓶だった。
『えぇで、やったろうやないか。立てや』
酒呑が投げた酒瓶は見事に僕の頭に命中し、僕を昏倒させた。
『……下がれ、鬼』
低い唸り声がテーブルの下から聞こえ、酒呑は僕に伸ばしかけた腕を止める。
『…………もう一度言う。下がれ』
酒呑は舌打ちをしてから席に戻り、また酒をあおった。
テーブルの下から這い出たアルは僕の顔を舐める。
『大丈夫か? 痛みはないか?』
「んー……割れてくれたらマシだったんだけど」
僕の頭に命中した酒瓶は床に転がっている。
当たった時に割れていればこんな脳に響くような痛みはなかったのに。
『何してはるのん?』
扉を体で押し開け、茨木が入ってくる。
「酒瓶投げられたんだよ……言ってやってよ、いい加減にしろって」
『酒呑様に口答えなんて……考えただけで恐ろしゅうて震えますわぁ』
「はぁ……もう、本当に無理矢理従わせてやろうかな」
力を使うのも疲れるのだ、出来れば口先だけで従って欲しい。
だがまた痛い目に合うくらいなら、多少疲れてでも力を使った方がマシだ。
『……お、茨木ー! こっち来いや。お前も飲め』
『はぁい』
茨木は僕を跨いで酒呑の元へ向かう。
バランスが取れないのかその足取りは覚束無い。
ふらふらと酒呑の隣に座り、彼の肩に頭を預けた。
「痛た……」
『起きてもいいのか?』
「大丈夫だよ、多分。大したことないから」
カウンター席に腰掛け、ジュースを注文し、ふと思う。
あの大量の酒の代金はどうやって払う気なのだろう、と。
金を持っているとは思えない、まさか僕に払わせる気じゃないだろうな。神具回収の報酬が吹っ飛ぶぞ。
「……すいません、クラッカーとかあります?」
「あるよ。追加料金でチーズも付く」
「じゃあひと皿。チーズはいいです」
「はい。ところで坊ちゃん、人間かい?」
「一応」
「そうかい。珍しいね……」
そういえばここは獣人の国だったな、と店主の頭に生えた犬の耳を見て思い出す。
ミーアは……居ないな、よしよし。彼女に会わないうちに早く出ていこう。来たら顔を見せると言ったが、あの約束は反故にしてしまいたい。
「少し前にも人間が来たことがあってね……人間が関係あるのかは知らないけど、大変な事件が起こったんだよ。天使様が来て助かったんだけどね」
「……そうですか」
その時に来た人間は僕だ。事件も僕のせいで起こった。僕が連れてきてしまったのだ。
「草食の村は全滅したって言うし……彼らは生き残りかな?」
店主の視線は鬼達に向かっている。
「牛……かな。うぅんよく分からないや」
どうやら鬼の角を牛か何かの角だと思っているらしい。それであんなに歓迎されているのか。
その勘違いは嬉しい、余計な騒ぎにならずに済む。彼らが自ら「鬼だ」と名乗らないように祈りつつ、僕も視線を戻す。
「揉めてたみたいだけれど、知り合いかい?」
「知り合いっていうか……えぇ、まぁ、知り合いですかね」
「へぇ、頭は大事にしなよ。人間は脆いからね」
「…………そうですね」
他の客があまり騒がなかったのは僕が人間だとハッキリ分かっていなかったからなのか?
獣人なら酒瓶を投げられた程度ではどうにもならない、酒瓶も割れていないから後片付けの必要もない、と。
「お連れさんは?」
『葡萄酒』
「はい。白? 赤? 薔薇?」
『ふむ……では薔薇を頼む』
魔獣を『お連れさん』と呼んでくれるんだな。草食の村ではアルは忌避されてしまうが、肉食の村では普通に扱われる。
自分達が喰われる事はないと考えているのか、アルは無闇に人を襲わないと察しているのか、同じ肉食として何か通じるものでもあるのかもしれない。
「…………お酒、そんなに美味しい?」
『ああ、貴方ももう少し歳を取ったら一緒に飲もう』
「……僕は幾つになっても飲めなさそうだけど」
酒が飲める年まで生きていたくもない。その年まで生きていたら、僕はきっと兄によく似た酷い人間になっている。アルに酷いことをしてしまっている。
『そう言うな。一杯でもいいから付き合え。私は貴方と飲むのも夢なのだ』
『…………善処するよ』
アルがそう言うなら、死ぬ間際に一杯やろう。
酔って夢現も分からないまま、アルに抱かれて死んでいこう。
そんな死に方が出来たらどんなにいいか。
『ふふ……楽しみだ。早く大人になれ、ヘル』
「…………うん」
僕が何を考えているのか分かっていたら、アルはこんなふうに笑ってくれないだろう。
このまま、夢を見たまま、子供のまま、まだ綺麗な人間のままで、時を止めてしまいたい。
幸せの絶頂で死んでしまいたい。
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