第329話 相応の報いを
扉を開けたのは女だった、メイドだろうか。
艶のある黒髪を結い上げ、黒縁メガネの奥に理知的な紅い瞳を隠している。
彼女は恭しくお辞儀をして僕達を招き入れる。
『ご兄弟もいらしてますよ』
「ええ、ハイリッヒ家はエーデル家に用事があってね」
『そうですか。当主様はご兄弟とお話をしておりますので、どうぞ中へ』
家の中心にあると思われる大きな部屋、メイドはその扉を左手で示し、後で飲み物を持ってくると言う。
僕はメイドに会釈をしてから、アルテミスに続いて部屋に入った。
「あ、ねぇじゃん。結局こっち来たんだ?」
「まぁね、あの一帯の店はこの家と癒着してたらしいし?」
「それは今聞き出したところだよ」
「あっそ、ならアタシ達は本当に収穫なしなのね」
アルテミスはヘルメスの隣に無遠慮に座る。三人掛けのソファに僕の居場所はない。
『ヘル、私に座れ』
「え……う、うん。ありがと」
床に座ったアルの背に腰掛ける。飛ぶ時や走る時に乗るのは気にならないのに、椅子がないからアルに座るというのは少し気が引けた。
「じゃ、尋問の続きと行きますかエーデルさん。借りパクした神具を知り合いに預け、その知り合いが後輩の店に隠させた。そこまでは聞いたね」
「……アタシはこの家に魔物がいるって聞いたのよねぇ」
エーデル家の当主だという老人はぼうっと虚空を眺めたまま動かない。
生きているのか、なんて心配になるほどに。
「あ、そうだ。ねぇオオカミさん。魔物探せたりする?」
『当然、可能だ』
「ならお願いできるかな、この屋敷全体的に魔力が濃くってさぁ、俺達人間じゃ嗅ぎ分けられないんだよね」
『そうだな、まず先程の男』
「はぁ……? 男? 男なんていた? このボケ当主じゃないのよね?」
不思議そうに首を傾げたアルが口を開いたところで扉がノックされる。アルは説明を止め、ヘルメスはノックに「はい」と応えた。
メイドは扉を体で押し開けて、片手で盆に乗せた紅茶を運ぶ。
白く長い右袖は平たく、歩く度に揺れていた。右腕が無いのか? その上義手も付けていないのか? と、聞くのは失礼かな。
『紅茶をお持ちしました』
「あ、あぁうん。ありがとメイドさん」
「珍しいこともあるものね。アンタがナンパしないなんて」
「俺をなんだと思ってんの? ってかほら、この子胸小さいし」
その判断基準はどうかと思う。アルテミスと僕は同じ感想を抱いた。
ヘルメスは砂糖を溶かして紅茶を飲み、アルテミスはそのまま飲んだ。僕は砂糖を食感が残るほど入れる……が、アルが立ち上がってしまい、僕の手はカップに届かなくなる。
「アル? どうしたの?」
『……此奴だ』
「…………メイドさんがどうかしたの?」
アルはメイドの元に歩み寄って、ヘルメスの方を振り向く。
僕はメイドの顔を見上げる。綺麗に通った鼻筋、形のいい眉、切れ長の赤い瞳。そして何より、その黒檀のような美しい髪。
「えっと……どこかでお会いしました?」
彼女の顔には見覚えがあった。
「何よ、アンタがナンパ?」
「そういうんじゃなくて、本当に……」
「ま、なんでもいいけど……ん、ふわぁ…………何か、急に眠く……」
アルテミスはソファの肘掛けに頭を預け、寝息を立て始める。
ヘルメスの方を向けば、彼も頭を垂らしていた。
『お会いしました? って……えらい薄情やなぁ。洗脳していかはったくせに……』
メイドはヘッドドレスを投げ捨て、結っていた髪をほどいた。
『うちの淹れた紅茶は飲めませんか。聡い子や』
ヘッドドレスに隠されていたのは角だ。漆を塗ったような黒い角が彼女の額から生えている。
「……何を入れたの?」
『なぁに、ちょっと眠うなるだけです』
『神具使いに対しても即効性が落ちんとはな、随分と上等な物らしい』
『そらお客様にはええもん出さなあきまへんからなぁ』
妖鬼の国特有の方言。額に生えた角。彼女は鬼だ。
「…………茨木、だっけ?」
『あら、覚えてはったん。嬉しいわぁ』
「なんでここにいるの?」
『陰陽師とかいうんが張り切りはってなぁ、ちょっと居心地悪うなったんや。せやから他の国行こゆうて、流れ流れてこの国へ』
この国には天使の監視はなく、またその代わりの神具使いは天使ほどの察知能力はない。
魔性のモノにとっては住みやすいだろう。他の魔物も居ないから小競り合いすら起きない。
「……別に、移住に関してどうこう言う気はないけどさ。お茶に何か入れたり、神具盗んだり、これに関しては無視できないよ」
『無視せんといてもろてええよ。眠ってもうた人間、あんたと魔獣、それに惚けた男が一人……黙らせんのは朝飯前』
胴に巻かれていた黒蛇が僕の体を後ろに引く。前髪を掠った鋭い爪を見ながら、アルから転げ落ちソファで頭を打つ。
『私の主人に手を出すなら、それなりの覚悟は出来ているんだろうな』
『覚悟……? ぁーあ、そうやねぇ、ここであんたら黙らせたら部屋汚れるなぁ。掃除はうちの仕事や……そらえらい面倒やわ、腹括らんとなぁ』
気の抜けた独特な抑揚は茨木の不気味さとアルの苛立ちを加速させる。
アルは翼を広げ、牙をむき出しにして飛びかかる。
「……待ってアル! 正面から行っちゃダメ!」
僕にはアルが翼を広げる直前、茨木がスカートの中から大筒を取り出したのが見えた。
だから叫んだ──が、遅かった。
火薬の音が部屋中に響く。きゃん、と高く悲痛な鳴き声を上げて、アルが吹っ飛ばされてくる。
「アル! 大丈夫、アル!」
『…………問題無い、今に癒える』
右胸から右前脚が消失していた。
『大丈夫だ、下がっていろ』
右の翼も半分以上が消し飛んでいた。
再生は進んでいる、問題無く元に戻る、アルの傷は癒える。
分かっていても、怒りは抑えられない。
『あー! あー! あー……やっと聞こえた。あぁ耳いったいわぁ……やっぱり耳栓せんといかんねぇ』
とんとんと側頭部を叩くと茨木は弾を装填する。
僕も耳が痛い、自分の声もアルの声もよく聞こえない。
けれど僕と茨木が感じた頭と耳への痛みよりも、アルの前足を吹っ飛ばされた痛みの方が大きい。
「…………殺してやる」
『ヘル!? 下がれ、聞こえないのか……! 下がれと言っている!』
アルはまだ上手く立てず、横たわったまま僕のズボンを噛んで止めようとする。
「アル……大人しくしてて、傷が開いちゃう。ほら、 動 か な い で 」
言う通りに口を離したアルに微笑みかける。アルは僕の声が聞こえているのだろうか。聞こえなくてもある程度は魔物使いの力を使えるのだろうか。
まぁ、どっちでもいい。
最優先事項はこの女の殺害だ。
惨たらしく殺してやらなければ。
とりあえずはアルと同じように腕を破壊してやろう。
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