第309話 命運分けるコイントス
夜明けを告げる鳥はいない。少なくともこの地域には、という注釈を付ければ。
だからアルは瞳で夜明けを認識する。
白んでいく東の空、ざわめき始める森、静かなままの城門。確かに世界は動き始めている。
アルは欠伸をしてヘルの肩に顎を置く。
夜が明けたとはいえ神降の国はまだ起きていない。眠気に耐えながらじっと門を睨む。
頭を揺らされて目を覚ます。アルが鼻先で僕の頭を押しているのだと気が付いて、自然と笑みがこぼれた。
「……おはよ。もう門開いたの?」
『ああ、少し前に』
「そっか……んー、眠いなぁ。もうちょっと寝ようかな」
『国に入ってからにしろ』
尾が腕に巻かれて無理矢理立たされる。欠伸をして、目を擦って、足裏でしっかりと大地を確かめて、歩く。
門をくぐって身分証を提示して十数分。この国の審査はそこまで厳しくはない、平均と言ったところだろうか。アルを連れている事を考慮すれば早く済んだと言えるかもしれない。
「まず宿だろ、あとまた働き口探さないと……あぁ、面倒臭い、働きたくない、寝たい」
『ヘル、今日は宿で眠っていて構わないから。明日から働け』
「…………魔物使いの力、何か使えないかなぁ」
『健全な労働は健康な精神を養う。楽をしようとするな』
魔獣の家畜化をしている国なら僕の力も使えるのだが、神降の国では魔獣はあまり一般的ではないらしい。アルも道行く人に物珍しい目で見られている。
「僕を労働で健全に育てようなんて狼をレタスだけで育てるようなもんだよ」
『何が言いたい』
「無理ってこと」
『その初めから諦める癖は良くない、治せ』
「治せって……仕方ないだろ、小さいころからずっと、何も出来なかったんだから」
出来る事なんて一つも無かった。そんな生活を十年以上続けていた、諦め癖がついていても仕方ない……この考えも癖なのかな。
『出来る事をやればいい、これまでだって仕事は出来ていただろう』
「……どーだか」
『ヘル!』
「分かってるよ。ちゃんとやるから。ちゃんとした所でちゃんと働くよ」
『分かっているなら言うな』
「…………弱音くらい吐いてもいいだろ」
反抗を小さく呟いて、ようやく見つけた宿の扉を開く。店主は見慣れない魔獣に戸惑っていたようだが、少し広めの部屋に通してくれた。料金は心配だがアルと狭い部屋に押し込められるというのも嫌だ。
『風呂を見てくる』
「ほんとお風呂好きだよね」
僕は体さえ洗えるのなら湯船なんてなくても構わない。風呂にこだわりがない僕は窓を開けて街を眺めた。
ここは二階の角部屋。街を一望、とはいかない。大きな街道を挟んで隣の家……店? が見えるだけだ。人通りの多い街道を馬車がゆっくりと走っている、歩いていると言った方がいいかもしれない。
「やっぱ眠いなー……二時間だけ寝よ」
綺麗に整えられたシーツを乱して、僕は枕を抱いて寝た。
二時間だけ眠るつもりならアルに起きたい時間を言っておけばよかったのに。
僕はすっきりした頭で、赤く染まった空を眺めてため息をついた。
「仕事……探せなかった」
『情報誌でも見るか』
「…………いや、そういうのに載ってるのって明るくてやる気がある人を探してるから。僕はどっちも満たしてないから」
『やる気くらいは出せ』
「給料次第かなぁ。あと人間関係も面倒臭い、一人二人相手でやっとなのに、大勢いる所は無理だよ」
そういえば先輩はこの国の出身だったな。あぁ、先輩というのは娯楽の国のカジノで働いた時の先輩だ。
確かヘルメスとか言ったかな。
「だからまぁ、個人店……優しい人が半分趣味でやってる店。もしくは短期の単純作業。重い物は持てないから、机の上での仕事がいいなぁ」
『これはどうだ?』
アルは一階から持ってきたらしい求人情報誌を口と尾で器用に捲って僕に見せる。
「いい? アル。アットホームとかやりがいとか書いてるやつには絶対に手を出しちゃダメなんだよ」
『これは?』
「僕に木材が運べると思うの? 見てよこの腕」
『……これは?』
「時間長いなぁ、朝に行ったら夕方終わるのがいいよ。そもそも僕朝弱いし、始業は遅めがいいなぁ。昼行って夕方終わるくらいが理想」
アルが選ぶ仕事はどれも僕に向いていない。そう言うとアルは僕の顔に雑誌を投げつけた。
『選り好みするな! 財布を見てみろ、もう外で食事も出来んぞ!』
「…………外で探そうか」
この宿の食事は朝以外は追加料金。レストランよりは安いからここで食べるつもりだった。だが予想以上に財布は軽くなっていたようで、追加料金は払えなかった。
「そこまで賑わってもない……ね。まぁ普通なのかな」
『娯楽の国や酒食の国が異常なだけで、この時間帯の街は普通こんなものだ』
「ふーん」
僕が今まで見てきた国の中で一二を争うほど綺麗に舗装された道。幾何学模様を描いたタイルには美しさと可愛さが同居している。
その上を歩きながら僕は明るい道を選んでいく。
「……賑やかになってきた?」
『歓楽街か。まぁ山を越えてすぐ酒食の国があるからな、大した規模でもない』
「遊びに行くのに山越える人いるのかな」
酒を提供している店の周りは自然と治安が悪くなる、気がする。僕は分別がつかなくなった酔っ払いに絡まれないようにと足を速めた。
「あ、待って待ってそこの子」
「……なんですか」
絡まれるのに足の速さは関係ないらしい。逃げてもよかったが、一応振り向いておく。
「…………ヘルさん?」
「あぁやっぱりヘル君だ。やー、久しぶりだねぇ。いつぶりだっけ?」
「ヘルさんも来てたんですか……って、あれ? ヘルさんって確かこの国追い出されたんじゃありませんでしたっけ」
「まぁそうなんだけどね。ちょっと大声では言えないお仕事があってさぁ。あんま気乗りしないんだけど、王様の命令だし聞かないわけにはいかなくってね」
ヘルメスは目深に帽子を被り、人目を気にしてか僕を道の端に寄せた。
「王様、ですか。ヘルさんが嫌われたのは……お兄さん、でしたよね。王様には?」
「俺は便利だからね。王様の使いっ走りは結構やってるよ。にぃは本当に俺嫌いだからなぁ、にぃに見られるとマズイんだよ、手続き踏んでないし」
手続き、というのはやはり入国審査の事だろうか。あの高い壁も彼の神具なら乗り越るのは容易だろう。対空砲も使われていないようだったし。
「まぁ外じゃなんだし、店入ろっか」
「あ、今手持ちがなくて……」
「そう? じゃあ賭けしよう。勝った方が奢る。君は勝ったらタダ食い、負けたら俺に借金」
ヘルメスはポケットからコインを取り出す、銀色のそれは一番安い硬貨だ。
賭けはコイントスか? 裏が出るか表が出るかを当てる定番の……確かヘルメスは異常とも呼べる博才を持っていたはずだ。そんな彼と賭けだって? 負けるに決まっている、借金は嫌だ、断ろう。
だがヘルメスは僕が賭けには乗らない意を示す前にコインを空に向かって投げた。
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