神が降りし国にて神具を探せ

第308話 着飾った言葉で縛って

門の前で何もせず何時間も待つなんて独りでは退屈に耐えられなかっただろう。


『暇だろう。私は起きておくから貴方は寝るといい』


「嫌だよ、アルと二人っきりなんて久しぶりだし、もっと話したいな」


『そ、そうか? そう言ってくれるのは嬉しいが、それでは貴方の体は持たんぞ』


「…………僕の健康なんてどうでもいいよ。ね? 話そうよ、アル……」


小石を足で払って柔らかい草の上に座る。同じように隣に座ったアルを抱き寄せ、周囲の音を探ろうとピクピク動く耳に頬を擦る。


「ライアーさんね、僕のお兄ちゃんになってくれるって言ったんだ」


『……そうか。彼はやはり怪しいモノでは無かったのだな』


「僕はライアーさんのこと、兄さんって呼んでね、楽しかったんだ」


『…………良かったな』


アルは僕の首元に鼻先を寄せて、僕が背を撫でるのに合わせて甘えた鳴き声を上げた。


「でもね、僕さぁ、信じられなかったんだ。楽しかったのに、嬉しかったのに、自分でもどうしてか分からないんだけど、ライアーさんが僕を殺そうとしてるって思っちゃったんだ」


『何故、そんな』


「分かんない、分かんないよ、分かんない……分かんないのに、殺しちゃった」


『…………え?』


「殺しちゃった。僕、ライアーさん殺しちゃった。お兄ちゃんになるって言ってくれたのに、兄さんって呼んだのに、殺しちゃった」


何も分からない。

どうして彼を信じられなかったのか。

どうしてあんな聞き間違いをしてしまったのか。

どうしてあんなに滅多刺しにしてしまったのか。

何も分からない。


「兄さん、殺しちゃったぁ……」


『……本当に、死んだのか?』


「死んじゃった。殺しちゃった。この手で、お腹とか胸とか何回も刺して、それでも兄さんは兄さんで、でも苦しそうだったから、喉刺して、殺した」


もう助からないと思ったから、トドメをさしました。苦しむくらいなら一瞬の痛みで……と、殺意は優しさだったんです。

そんな言い訳は通用するだろうか。いや、きっとしないだろう。

ライアーの死はきっと海洋魔獣の襲来によるものとして片付けられる。片付ける者がいるとしたら、だけれど。

僕を疑う者も裁く者もいない。けれど僕はきっといつか裁かれる。罰せられる。

誰かでなくても、何かに。

偶然を装った必然に罰せられるだろう。どんな罰なのか怖くなって、ライアーの死に様やナイフを伝わった肉の感触を思い出して、吐き気に襲われた。


「……それで、ね。その後さ、ナイ君に会ったんだ。僕は全部ナイ君が悪いって思ったから、力を使ったんだ。海に居る魔物達に、ナイ君を殺してって頼んだんだ」


いや、違う。ナイを殺せではなくこの場に存在する全てを壊せと命令した。自分を含めた何もかもが許せなくて、ライアーが死ぬ理由になった全てが許せなくて、全て壊れろと願った。

無関係な者を大勢巻き込んだ。そんな事アルには知られたくなくて、少し誤魔化した。


「でも、ダメだった。ナイ君は死ななかった。ハートさんがね、邪魔したんだ。僕を蹴ったんだ。にいさまみたいに。ここ……えっと、このへこんでるとこ、蹴ったんだよ」


僕は胸と腹の間の窪んだ部分を手のひらでなぞった。


『心窩だな。痛かっただろう。そこを強く押されると呼吸もままならなくなる』


「……ハートさん、敵なのかな」


『分からんな。まぁ今後の助力は期待できんだろう』


彼は僕に優しく接してくれて、助けてくれた大人だ。好きにならせて欲しかった。


「咳して、ちょっと吐いて、泣いて、そうしてたらアルが来てくれたんだ」


『……そうだったのか。済まない、私がずっと傍に着いていれば』


こんなことにはならなかった。

その通りだ。

アルがずっと傍に居てくれれば何も変わらずに済んだのに。誰も壊れずに済んだのに。


「…………そうだよ。アルと一緒だったら誰も死ななかったのに」


僕はアルの留守番を肯定した。だから僕も悪いのに、僕はアルだけが悪いような言い方をする。そうすればアルは罪悪感に付きまとわれて僕から離れなくなる。同じ過ちを繰り返さないように、僕にべったりと引っ付くようになる。


『そう、だな。貴方の新しい兄も……私の責任だ。済まない』


新しい兄、か。アルは僕の話だけで彼の認識をそう変えたのか。


「……もう二度と、あんなのは嫌だよ」


『ああ、分かっている。私は貴方の傍を片時も離れないと誓う』


「…………ありがとう、アル」


狙い通りの言葉に思わず笑い出してしまいそうになった。悲しい話をしていたのに笑ってはアルにどう思われるか分からない、堪えなくては。

あぁ、でも、たまらない。


「……っ!」


僕はアルの頭で口を押さえる。それでも収まらない笑いは肩を揺らした。


『……ヘル。大丈夫だぞ、私は貴方を裏切らない、私は貴方から離れない、信用してくれ』


アルは僕の不規則な呼吸と肩の震えを泣いていると勘違いしてくれた。嬉しい誤算とはこの事だ。


「…………うん。信じさせてね、アル」


僕はアルの背にもたれながら後ろに倒れた。

両手を広げるとアルの顎が腕に乗る。

横に寝そべったアルを抱き締め、横目で満天の星空を見た。僕には無数の星よりもアルの方が輝いて見える。


「綺麗だね、アルは。僕とは全然違う……ねぇ、アル。わがまま言っていい?」


『何でも言うといい』


「遠吠えしてくれない? あれ、格好良くて、綺麗で、なんかこう……鳥肌立っちゃった。ねぇ、も一回やってよ」


『それだけでいいのか? よし、分かった』


アルは前足を伸ばし、顔を真っ直ぐ上に向けて空を仰ぐ。

星を落とすように、月を喰らうように、吠える。

大きくは開いていない口から、どこまでも届くような声が出る。

牙を見せず、けれども誇りを見せつける。

そんなアルの姿を見て僕は言葉を失った。


『これでいいのか? ヘル………………何か言ってくれ、恥ずかしい』


「……ぁ、あぁ、ごめん。見惚れて……聞き惚れてた?」


『そうなのか? それはそれで照れるぞ』


前足を曲げて、僕の腕に顎を置く。前足を顔の両側に添えたその仕草は可愛らしく、先程の美しい狼とは別人でないかとさえ思えた。


「……アルは狼なんだね」


『何だ、普段はそう見えないのか?』


「うん、可愛いから」


『か、可愛い、など……私に使う言葉では無い』


「……今、すごく可愛いよ」


器用ではない前足を、目を隠したいのか顔の上に置く。ちらちらと見える肉球がまた可愛らしい。


『馬鹿を言うな』


「……気に入らなかった?」


『あ、いや、そういう訳でも無いのだが……その、恥ずかしくて』


「可愛いなぁ」


『やめてくれ……』


アルの顔の色が見えたのなら、きっと赤が見えるだろう。耳を垂らして翼の中に閉じこもろうとするアルを抱き寄せて、その黒い瞳を間近で観察する。


『ヘル……あまり、そういう真似は』


「綺麗だね」


『そ、そういう言葉も、控えてくれ』


「可愛い」


『やめてくれと言っているだろう……私を虐めたいのか?』


「……少し前、好きにしろとか嬲れとか言ってたじゃないか」


『あれは、その、肉体的な話で、貴方の為ならどんな苦痛も耐えられるという事で、貴方に褒め殺されたいなどとは……』


必死に顔を隠そうとする不器用な前足をどかして、大きな口の端に唇を寄せる。


「そんなこと言わないで。僕はアルに痛い思いして欲しくないよ」


柔らかい銀色の毛は顔のあたりは短い。特に額。僕は少し頭を上げて、狭い額に軽く唇を触れさせる。


「……思ったこと言うのは悪いこと? 僕の口を塞がないでよ。大好きなんだ、アル」


『ヘル……私は、その』


「おやすみ」


アルの顔に何度もキスをして満足した僕はアルを抱き締めたまま目を瞑る。疲れも手伝って僕は直ぐに深い深い眠りの海へと落ちていった。


『わ、わた、私は、その、狼であって……ひ、人では無いからだな、貴方がそんな風な愛し方をするのは、少し、その、おかしい……のでは、と。嬉しいぞ? 嬉しいのだが、そういったものは人間の女にだな』


アルはヘルが眠ってしまった事に気が付かず、上擦った声で、早口で、喋る。


『い、いや、貴方がどうしてもというのなら、私を愛しているというのなら……私は、それに応えるし、その、私は…………ヘル?』


ようやく横を見て、静かな寝息を立てるヘルに気が付く。


『……寝たのか? そうか……そう、か。私の早とちりか……』


ヘルにひたすら褒められた時とはまた違った羞恥が襲いくる。


『…………とんだ忠犬だな』


アルはヘルが夢と現の境で変な言葉を聞いてしまわないように心中で自分を律する。

アルは宣言通り寝ずの番をしようと体を起こし、ヘルの隣にぴったりと引っ付いて座る。

ヘルが体を冷やしてしまわないように、しっかりと翼で温め、また空を見上げる。

遠吠えをしたくなる、満天の星空と大きな月。

アルはゆっくりと愛しい主人の寝顔に視線を落とし、夜明けを待った。

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