第310話 尊敬すべき反面教師
僕は観念して落ちてくるコインを観察する。
しっかり落ちるところを見ていれば勘に頼らなくても大丈夫、だと思いたい。
「どーっちだ!」
ヘルメスは手の甲と手のひらを合わせ、元気よく突き出す。この手の間にあるコインは裏か表か、当てなければ僕は借金を背負うことになる。
「……ね、ねぇアル。アルは目がいいよね? 見えなかった?」
僕の動体視力では落ちるコインを見ることなど出来なかった。
『済まないな、見ていなかった』
「え……じゃ、じゃあ、えっと……」
推測するだけの材料はない。
僕は先程ヘルメスがコインを見せた時に見えなかった方、人の顔が彫刻されているはずの表を言おうと決めた。
「じゃあ、お「ヘル君遅いね、じゃあ俺が表でいい?」
「……え? ま、まって僕もおも「ヘル君は裏ねー」
ヘルメスは僕の声をかき消して元気のいい大声で話す。
……まさか、酔っているのか?
ダメだ、このままでは負けてしまう。
「じゃ、結果発表! でぇーでん!」
「……あの、酔ってます?」
ヘルメスは僕の質問に答えず、手を開く。コインは……花と数字が彫刻された面を上にしていた。
「表だね、じゃあ君の勝ちだ! 今日は俺の奢りね。ほら入ろ」
「か、勝った? やった……けど、一生分の運使い果たした気がする……」
「これは記念にあげるよ」
僕にコインを握らせ、ヘルメスはすぐ横の店に入っていく。後を追って扉を開けながら、ふと手の中の違和感に気が付いた。
妙にコインが分厚い。
「……重なってる?」
目の高さにまで上げて側面を観察すると二枚のコインが重なっているのだと分かった。ただ重なっているのではなく、接着されている事も。
裏返して、もう一度裏返して、また裏返して……花と数字の彫刻だけがみえる。
「両方裏じゃないか……」
イカサマ用コイン、という事か。彼はわざと負けてくれたのか。怯えて損をした。少し悔しくもあるが、表と言おうとしていたから安堵の方が大きい。
「ありがとうございます、ヘルさん」
「んー? いいよいいよ、君が勝ったんだし。好きなの頼みな」
「……はい、ありがとうございます」
わざと負けれてくれてありがとう、なんて言う気にはなれなかった。それはヘルメスの気遣いを無駄にする言葉だ。
「ところで、この店は……?」
高い仕切りで隣の席の様子は見えないが、下品な男の笑い声が響いてくる。そして三人で座るには広すぎる席、これは……一体。
「きゃー! メルクくんじゃん! 久しぶりぃー!」
派手なドレスを身にまとった女性がヘルメスの隣に座る。そして僕の隣にも同じように派手なドレスを着て……少し緊張したような女性が座っていた。
「あの……ヘルさん?」
「しーっ、ここでは俺はメルクなんだよ。メルクって呼んで」
「はぁ……メルクさん。この人達は?」
「女の子だよ」
「…………そりゃ男性には見えませんけどね」
「ここは女の子と飲める店なんだよ。俺ちょっと失恋して……可愛い女の子に慰めてもらおうと思ってさ」
女の子と飲める店だって? どうしてわざわざ金を払って他人と話さなきゃならないんだ。
「あ、この店はお触り禁止だからね。向こうからのは受け入れていいけど、こっちからはダメ」
「…………帰っていいですか? 僕こういうの苦手で、ほら、未成年ですし」
「男児たるものこういう店で遊んでこそだよ! いいかいヘル君、こういう店で女の子に慣れておかないと、いざという時死ぬほど緊張するんだよ! 遊べ! 遊び尽くせ! マトモな金貸しから金を借りられなくなってからがスタートだ!」
僕はこういって遊びについて詳しくは知らない、だが知らなくても今の彼はダメ人間の発言をしていると分かる。
「ねぇねぇメルクくぅ〜ん、お酒飲みたいなぁ」
「オッケー! 一番高いの持ってきて!」
「きゃー! メルクくんおっとこまえー!」
いい反面教師を見つけた、とでも思っておこう。尊敬する先輩ではあるが全てを盲信してはいけないのだ。
さて、どうしよう。僕は酒は飲めない、だが腹は減っている。普通の食事は出来るのだろうか。従業員ではあるようだし、隣に座った女の子に聞いてみるとしよう。
「……あの」
「は、はいっ! なんでしょう」
「…………メニューとかって、あります?」
「こ、ここ、こちらでございますっ!」
差し出されたメニューを眺める。酒のページは無視して食事を探す。アルにも何か食べさせたい。どうせ奢りだ、贅沢をしよう。
「アル、何食べたい?」
『肉だな』
「だよね……あの、お肉って生のまま出せます?」
「き、聞いてみますぅっ!」
「…………もしかして、緊張されてます?」
後ろでまとめられ結い上げられた髪は普段下ろしているのだろう、そこに無い髪で顔を隠すように手を動かしている。僕も同じ仕草をするからよく分かった。
「そ、そそ、そんなことはっ!」
「そうですか? 僕はこういう店初めてで……緊張してるんです。もしそうだったらお揃いだなって」
「え……あ、そ、そうです。私は今日が初めてで、研修はしたんですけど、慣れなくて……緊張、してます」
「やっぱり……あ、僕は別に何もしませんし、無理に話せとも言いませんから、好きなもの頼んでください」
「え……で、でも」
「ヘルっ……メルクさーん、この子の分も頼んでいいですかー?」
いつの間にかヘルメスの隣に女の子が増えていた。食事や酒も同様に。ヘルメスはこちらを向き、立ち上がる。
「今日は散財デー! 男は宵越しの金は持たないってね! 飲んで飲んで飲みまくって吐いて、また飲んで! 好きにしなよ、お持ち帰りまで辿り着けたら街のど真ん中に自腹で銅像立ててあげる!」
「……ありがとうございまーす」
面倒臭そうなのでもう話しかけないでおこう。
僕用の軽食とジュース、アル用の生肉、そして女の子用の酒と軽食。それらを注文し終え、僕は柔らかいソファに背を預ける。
机の下から顔を出したアルが僕の膝に顎を置く。
「あ、あの、この……狼? は、お客様の?」
「友人です」
『使い魔だ』
「……す、すごいですね」
「そんなことは……あ、名前を伺っても? 愛称でも構いません、呼び名がないと不便ですから」
「あ……す、すいません。ミナミって呼んでください」
ミナミは僕の目を見つめようとしては目を逸らし、俯いて顔を隠す。その仕草は夜の街で働いている女性らしくなくて僕には合っていた。
「よろしくお願いします、ミナミさん」
「は、はい……私なんかでごめんなさい」
「いえ、ミナミさんでよかったです」
「…………本当に?」
「え? えぇ、騒がしい人は苦手なので」
ミナミは嬉しそうに頬を緩ませ、また顔を背けた。今の台詞は少し気取り過ぎたかな、周囲の酒気に当てられたのかもしれない。
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