第264話 シュメッターリングを襲う者達

ベルフェゴールはベルゼブブから魔力を分け与えられ、穴の底に戻っていった。

僕への執着心は大したことがない……いや、それよりも怠けたいという欲望が勝ったと言うべきか。

シュメッターリングの集落に向かいながら、奇妙な敗北感を抱え込む。


『……結構遠くないですか』


「そうか? もうすぐだぞ」


『さっきもそう言ってましたね、それから何時間も経って忘れちゃいましたか?』


ウェナトリアの背に生えた蜘蛛の足、その足で椅子を作ってもらい座っている姫子は少し前から眠っている。

ベルフェゴールに魔力を与え疲れていたのだろう。


僕も眠くなってきた、まだまだ遠いようだし少し眠ろうか。

アルの上で体を丸め、目を閉じたその時。

絹を裂くような女の叫び声が聞こえ、僕の眠気は吹っ飛んだ。

顔を上げると眠そうに目を擦る姫子と目が合う。


『なんですか、今の』


「まさか……侵略者? そんな、もうここまで……!」


『国王が慌ててどうするんですか? そもそも、国民助けるのに国王が出向くってどうなんです』


背中に姫子がいるからか、ウェナトリアはいつものように走り出しはしなかった。

だが、確実に動作を速めた手足からは焦りが読み取れる。


大木が僅かにその密度を低くし、ところどころにツリーハウスが見え始める。

怒鳴り声と悲鳴の出処が分かり、その方向へと足を進める。


『……嫌な感じだ』


「え?」


『あ、いえ、大丈夫ですよ。気分が悪いだけで負けはしませんから』


「なら……いいけど」


ベルゼブブが嫌、と言うなると、それは──神か、天使。

創造主に嫌われた亜種人類にとって、最も強力な敵。


木の群れを抜け、広場に出る。

そこに居たのは先程見た男達と同じような背格好の無法者、そしてそれに捕えられた美しい少女達。


「……ヘルシャフト君、頼む」


とん、と押し付けられる小さな体。

細く、軽く、白い。

目の前にいるのに存在すら危うい、間近で見ればその特徴は顕著だ。

焦点の合わない無数の瞳を見つめて、僕は姫子を抱きとめる。

姫子を抱き締めたまま、アルから降りた。


「アル、ベルゼブブ、お願い」


『承った』


『はいはい、お任せを』


元軍人の亜種人類に、最上級魔獣と悪魔の帝王。

多少戦闘に慣れていようと、人間には手も足も出ない。

はずだった。


無策で飛び出したのが間違いだった。

少し考えればすぐに分かる、彼らは今、僕達が守るべき者達を捕まえているのだ。

いくら大切な"商品"であろうと、命の危険が迫れば……人質にして当然だろう。


黒と瑠璃の美しい翅を持つ少女の首に突きつけられた刃の荒いナイフを見て、ウェナトリアは足を止める。

アルも同じように動きを止め、ベルゼブブは僕の方を振り返った。

その口は『どうします?』と動いた。


「……ごめん、動かないで」


ベルゼブブは不満げに頷き、男達に向き直る。

その高圧的な態度ゆえか、あるいは亜種人類と間違えられたのか、ベルゼブブに男が二人、近寄った。


「おい、コレなんだっけ?」

「羽二枚……えー、フリーゲだ。大した額にゃならねぇよ」


ベルゼブブはあえて翅を広げ、顎を上げた。

僕からはその表情は見えなかったが、微かに見えた口の端は閉じたまま横に広がっていた。


「なんっか偉そうだよなぁ、気に入らねぇ……なぁっ! っと」

「おい、大したことねぇとは言ったがコレも売るんだ、あんまり傷つけるなよ」


ナイフの柄の方で殴られ、ベルゼブブはこちらに横顔を見せた。

今度は僕にも見えた、ベルゼブブは笑っている。

楽しそうに、馬鹿にするように、男達を激昴させるために。


「……っんの」

「ほっとけよ、変な奴なんだろ。それよりこっち……魔獣か? こんなもんまでいたのか」

「犬、鳥、蛇?」

「キマイラってやつだな、コレはそれなりの値がつくぜ」


男達が次に目をつけたのはアルだった、思わず飛び出しそうになって、姫子に止められる。


「……ダメ」


「分かってる、ごめん」


僕達は木の影に隠れていて、まだ見つかっていない。

アル達が行動できるチャンスを作るのは、僕達しかいないのだ。

迂闊な行動は避けなければならない。

だが、あぁ、だけれど、あの醜い手が僕のアルに触れるなんて、耐えられない。

僕のなのに、アルは僕だけのものなのに。


「……どれどれ」

「噛まれたらどうすんだよ」


一人の男がアルの頭を撫でる。

耳を折り、毛並みを乱れさせる、乱雑な手つき。

許せない、勝手に僕のものに触るなんて。

あぁ、もう僕が直接、この手で──


「大人しいぞ」

「へー……結構可愛いかも」


もう一人の男もアルを撫で始める。

アルは自ら男達の乱暴な手に擦り寄り、甘えた声を出した。


「……懐っこいなぁ」

「なぁ、いいなぁ……」


飛び出しそうになる僕を抑え、姫子はウェナトリアの方を指す。

見れば彼にも三人ほどの男が寄っている。


「いたよなぁ、こんくらいの男が好きな客」

「こいつ羽ねぇぞ、触角もだ」

「人間か? んな馬鹿な」


一人の男がウェナトリアの目に巻かれた布に手を伸ばす。


「盲かぁ?」

「いいから外せよ、醜男じゃ売れねぇ」

「そうだな……よっ…………うわぁ!?」


ウェナトリアの目を隠していた布が地に落ちる。

また僕からは見えないが、男達はあの八つの目を見たのだろう。

そして前の僕と同じように、怯えた。


「し、しゅ、しゅ、シュピネだ」

「あ、ああ……気持ち悪い……」

「でも、これはなかなかの値が……」


二人の男はアルの毛並みに夢中、三人の男はウェナトリアの値踏みに夢中。

これで五人、残っているのは……人質を取った男が一人、他の少女達の手を縛っているのが三人。

ナイフは全員が持っており、人質を取っている男以外の者は腰に下げている。


「ねぇ、その……植物とか虫とか操れるんだよね? あの人のナイフ、取り上げられない?」


「……もう、あの力はほとんど使えない」


「え……」


「さっき、悪魔に渡した」


「そんな……少しも出来ないの? その、虫を何匹か顔にぶつけるだけでいいんだ」


「数じゃない、距離の問題」


「そっ……か、うん。分かった。別の方法考えるよ」


枝と蔓で即席の弓でも作ろうか、あの男さえどうにかすれば──いや、今人質を取っている男を抑えても、少女達を縛っている男達もいる。

彼らもナイフを持っているのだ、せめて少女達から離れていればいいのだが。


「ダメだ、何も思いつかない」


一人と三人、全員同時に気を逸らさせるか武器を奪うかしなければならない。

その方法は無能な僕には思いつかない。

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