第263話 発動する呪い

僕の懸念を代弁したのはベルゼブブだった。


『ちょっと待ってくださいよ、契約成立ですって? 代償はどうなってるんですか』


『この子っすよ、言ったっすよ?』


『あげるなんて言ってません。ソレは私の獲物、横取りするなら力で奪いなさい』


『契約してるんすか?』


ベルゼブブは袖を捲り上げ、僕の名の焼印を見せた。


『使い魔契約じゃないっすか、ベルゼブブ様ともあろうお方が。しかも仮!』


『……代償が何だと思って契約しました?』


ベルゼブブはウェナトリアの方を向き、尋ねる。


「姫子が分けた魔力と認識していたが……」


『はぁ? おい、待てよ。話が違う。あたし言ったよな? この子をくれるならお願い聞いてやるって、言っったよなぁ?』


「まさか人を本気で要求するなんて思ってない、ヘルシャフト君は交渉材料と認識していた」


人を喰ってきたのだから人を要求しても違和感はないと思うのだが。

それに姫子が分け与えた魔力はベルフェゴールを起こすためのもので、願いを言ったのもその後だ。

呪いをかけさせた後で姫子の魔力を支払う気だったとしても、それを言っていないのだから姫子の魔力を代償と認識するなんて、少しおかしい。


「……私はヘルシャフト君を渡すとは言っていないし、そもそもヘルシャフト君は私物ではない。それに君も契約の際に明確にはしていなかっただろう、ヘルシャフト君が代償だなんて」


『人間の分際で悪魔に楯突く気ぃ? 生意気……』


「それに君は「聞いてもいい」と言っていたな、願いを「叶える」とは言っていなかった。だからヘルシャフト君を代償にはできない」


『ふざけんなよ? なら、何渡す気だ。あんたがあたしに渡せて、あたしが満足するもんなんてあんのか? あぁ?』


「……ヘルシャフト君は私の願いを君に「聞いてもらう」ために君の機嫌を取るために見せたのであって、渡すなんて言っていない。それに代償はもう払っただろう?」


『神娘の魔力……? ふざけんなっての、んな契約あってたまるか!』


ベルフェゴールは髪を逆立て目を見開き、牙をもむき出した。

僕の背に触れる爪が鋭く伸びていくのを感じる。まさか、真の姿を晒す気なのか。


『私が証言しましょうか? 貴女は代償を明確に発言しなかった。契約者に説明しなかった。契約者は神娘の魔力を代償と認識している。これだけあれば貴方の要求は通りませんよ?』


『この子をくれるなら、願いを聞く。そうハッキリ言ったっすよ』


『私はダメだと言いましたよね? それにその言葉に対して契約者は返答していません。私との冗談混じりの会話と認識していたんでしょう。そして貴女はその後、何を願うのかと聞いた。その際に代償への言及はなかった』


『…………舐めてんすか? 契約はそんなユルいもんじゃねーっすよ』


『緩んでいるのは貴女でしょう? 口頭だけの契約なんてありえません。願いも代償も話題に出すだけ、復唱すらない。舐めているのはどっちでしょうか』


背に触れるベルフェゴールの手は毛深く、ゴツゴツと大きくなっていく。

牙も角も鋭く伸び、その顔も体も獣のように変貌していく。


『……私に喧嘩を売る気ですか? 寝惚けるのも大概にしたらどうです』


髪を弄りながらそう吐き捨てたベルゼブブの体が横に飛ぶ。

地を震わす雄叫びを上げ、巨大な羊に似た獣に変貌したベルフェゴールはベルゼブブに飛びかかる。

その風圧に吹っ飛ばされた僕はアルに捕まえられ、どこにも叩きつけられず無傷で済んだ。


『ベルフェゴール、もう一度言ってあげますね。貴女は今消滅しかけているんですよ、そのぐうたらな性格のせいで。食事すらまともにしようとせず、契約のやり方も最悪。貴女……それでも悪魔ですか?』


大口を開けたベルフェゴールの額に手を当てる、途端にベルフェゴールの体は萎み、人の姿へと戻る。


『私は優しいんです。ちゃんと聞いてあげますよ、馬鹿な契約に従うか……前菜になるか、決めなさい』


「べ、ベルゼブブ? 大丈夫……なの?」


『姿を保てるだけ残して魔力を喰いましたから、大丈夫ではないですね。でも返答次第で吐きますから』


「そうじゃなくて、君は? さっき殴られてたし……かなり飛ばされたから、痛くなかったのかなって」


『おや、随分とお優しい。心配ご無用ですよ、ご主人様』


傷一つないどころか、服にもシワ一つない。

無事だとは見れば分かる、聞く必要はない。

そう分かっていながら聞いたのは、ベルフェゴールへ甘くならないかという希望的観測と好感度を上げておこうという打算が理由だ。

純粋な心配だけで声をかけたと思われるように、わざとらしく「よかった」と微笑んでみせた。

笑顔はそう上手くはない、だが疑われるほど下手でもない。

僕の目論見は成功と言えるだろう。


『どうするんですか? 早く言ってください』


『う……シャイセ。んの、蝿が…………うぅ、ダメ、ねむ…………』


『今寝たら食べますよ』


『分かったっすよ! シャイセ! やりゃいいんしょ、やりゃ…………あぁ、眠い』


ベルフェゴールは片目を開け、体を横にしたまま手を天に向かって突き上げる。

上空に現れた実体を持たない紫色の光の塊は島の四方八方に伸び、蔓のような模様を描いていく。


『なーんも気にせず、寝りゃいいじゃん? だらだら過ごしましょ……『堕落の呪』!』


『相変わらず最低な呪文ですね』


『呪文なんざ何でもいいじゃないっすか、人間みたいに上位存在の力を借りてるわけでもねーんすから。魔力を形にしやすくするだけの形式なんすよ? 長ったらしく格好つけたの唱える奴なんてイタイっすよ』


『格好つけてこその悪魔ですよ、ねぇヘルシャフト様?』


何故ここで僕に聞くのか、それを聞きたい。


『ヘルシャフト様も何か考えてたりするんですか? ほら、魔物従わせるときに言う決め台詞とかありますよね?』


「え……どうだろ、分かんない」


『あるわけねーっす、最初は良くても後々恥ずかしーっすよ?』


呪文なんて魔法を使えない僕には無縁のものだ。

魔物使いの力を使う時は命令を口にしなければならない、決め台詞を言う口の空きはない。


「私は何も変わらないな……本当に『堕落の呪』は発動しているのか?」


『入ってくるのにっつったじゃん? 中にいるのにはエーキョーねーっす』


「……なら、今ここにいる侵略者は?」


『やる気に満ち満ちー、っすね』


「はぁ……まぁ、アーマイゼもホルニッセも動いている、すぐに捕まえられるとは思うが……」


ウェナトリアが心配しているのは行方が分からないツァールロスのことなのか、それと国民全員なのか。

聞けば後者を答えるだろう、国王として。

だが一人の人間としてなら前者のはずだ。


「あの、ウェナトリアさん。ツァールロスさん探しに行きませんか?」


身分が邪魔をしているのなら、自分から言い出せないのなら、他者が言ってやればいい。


「……ああ、そうしようか。あの子は逃げ回るからな、侵略者と鉢合わせる確率も高いだろう」


狙い通りだ。

自然に緩む頬を隠すため、俯いてアルに跨った。

ツァールロスが向かったというシュメッターリングの集落は島の中心にほど近い。

そう遠くはない、移動は短時間で済むだろう。

問題はそこから、ツァールロスを見つけ、捕獲するという部分にある。

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