第254話 開腹手術

交渉に失敗したウェナトリアが肩を落として戻ってくる、一応アルを手術室のような部屋に運んではくれたが、治療は菓子を持ってきてからだと。


「すまない……」


「い、いえ。僕も……助けに来たつもりだったのに、迷惑ばっかりかけて、すいません」


「本当だよな、何しに来たんだよお前」


じとっとツァールロスに睨まれ、縮こまる。


「……本当だよね、あんな人達がいるなら攻め込まれても大丈夫そうだし……本当、僕要らないよね……」


「…………いや、お前に比べれば私の方が要らない………私なんか、誰も必要としてない」


「僕がいなければ、こんなことには……」


「生まれてこなきゃ、こんなことには……」


「二人とも、気が合うのは結構だがその会話はやめてくれないかな」


二人で落ち込むと底に沈む速さが段違いだ、外部刺激というのは心に対して恐ろしいほどの影響力を持っている。

どん底で考える、この国に来て……襲われて、僕の馬鹿な願いのせいでベルゼブブにも怪我をさせて──


「そういえば、ベルゼブブ大丈夫かな」


僕が見た景色、真っ赤な血。

あれだけ見れば死んだように思えるが、悪魔が……それも帝王がそう簡単に死ぬはずもない。


『呼びました?』


「うわぁ!?」


『そんなに驚かないでください』


いつの間にか背後に忍び寄っていたベルゼブブ、少し髪型が変わっている。翅も四枚から二枚になっていた。


「……服どうしたの」


『上脱いだだけです』


「髪は」


『髪留め取っただけですよ、そんなに変わりました?』


「…………別に」


『あ、もしかして可愛いですか? そう言いたいんですね?』


「いや、別に」


『上着を脱いで色気とかも出ちゃいました? いやぁ、すいませんね。可愛くて』


「可愛いなんて一言も言ってない」


確かに可愛いかもしれないが、あまり言われてはこちらもムキになる。

それに、今はそんな話をしている場合ではない。


「……何? フリーゲ族?」


「いや、この魔力は……ヘルシャフト君、知り合いか?」


「あ、はい。一応使い魔で……」


『仮ですよ仮』


ベルゼブブはさらに髪型を変えている、僕は前のものが一番似合っていると思うのだが。

そんなに僕に可愛いと言わせたいのか、あちらも意地なのか。


『何かありました?』


「あ、うん。実は……アルの様子がおかしくて、治療してもらおうってなったんだけど、見返りがお菓子で……僕達誰も持ってなくて」


『お菓子? へぇ……』


「ベルゼブブは持ってない?」


『ヘルシャフト様、まさか私の力忘れたんですか? 呪を思い出してくださいよ』


ベルゼブブの呪と言ったら、『暴食の呪』だ。

お菓子の国にかけられた、食欲を増す呪い。

そして、領土全てをお菓子に変える──


「……作れるの?」


『変換ですね、魔力からの生成も可能ですよ』


「お願い! 今すぐ、アルが大変なんだよ! お願い!」


『私は貴方様の何でした? 使い魔でしょ。命令しなさい』


「あ……えっと、お菓子を……出して?」


『……出して? なんです?』


「出して……ください?」


『いいでしょう』


ベルゼブブは花瓶を手に取り、ふうっと息を吹きかけた。

花瓶は一瞬黒く輝き、陶器の光沢を失う。


『出来ました、どうぞ』


「あ、ありがとう。本当に……お菓子、なの?」


受け取った花瓶は軽く、表面はざらついている。

花弁から漂うのは爽やかな花の香りではなく、シロップの甘ったるい香りだ。


「大丈夫そう。持っていこう」


「……凄いな、食料問題なんて無くなるじゃないか」


「流石は悪魔、って? お前らからしたら私なんて本当に虫けらなんだろうな」


『何言ってるんですか、虫に失礼でしょう』


手術室に入り、先程の女に花瓶を渡す。

女は不思議そうに花瓶を眺めた後、花弁を一枚口に運んだ。


「あら、こんなに綺麗な物を下さるなんて……素敵ね。約束通り治療致します」


女が指を鳴らすと、手術着に着替えた少女達が次々に入ってくる。


「まず、病状をお聞きしますわ」


「あ、はい。えっと……お腹の中に、何か居るとか、言ってて……すごく痛いみたいなんです」


「なるほど、じゃあ切りましょう」


「…………え? ま、待ってください。切る?」


「目で確かめた方が早いでしょう?」


それは全てに共通するかもしれないが、手術に関してだけは別だ。

病気かどうかも分からないのに、何をするかも決めていないのに、いきなり腹を切るだなんて。


「切ってどうするんですか」


「何かいるなら引っ張り出す、いないなら腫瘍がないか確認して閉じます」


「そんな適当な……」


「亜種人類ってこんな手術でも治るんだよ、単純でしぶとい奴が多いから。魔獣だし平気だろ」


諦めろ、とツァールロスは僕の肩を叩く。

女が目線をやるだけで少女達は手術道具を用意していく、メスとかいう刃物まで。


「き、切るって……痛い、よね?」


「ご安心を、噛ませるようの布はあります」


「…………え?」


「食いしばって歯が折れたりすると面倒だからな」


「僕詳しくないんだけどさ、本当にそのまま切るの?」


腹を切るような治療なんて見たことがないから分からない。

だが、僕が酒食の国で足の治療を受けた際、傷口を縫う時に痛みは無かったはずだ。


『普通なら麻酔とか痛み消しの魔術呪術を使いますよね、酒を使う国もあるとか』


「そ、そうだよ! そのままは流石に……」


「魔獣だし大丈夫だろ」


「でも……」


ただでさえこんなに苦しんでいるのに。


『ヘルシャフト様、髪失礼します』


ベルゼブブは僕の前髪を自分の髪留めで留める、右眼が露出して視界が広がった。


『では、目を合わせて』


くい、と頭を掴まれアルと目を合わせさせられる。

アルはぼうっと僕を見上げ、音のない鳴き声を上げた。


『では、見つめて……私の言葉をそのまま言ってください』


ベルゼブブは僕の肩に顎を置き、囁く。


『痛くなーい痛くなーい、少しも痛くなーい』


「……何それ」


『私の言葉をそのまま言ってください』


「痛くなーい……?」


『しっかりと、ね。腹を切っても大丈夫ー、痛くなーい』


半信半疑で、いや八割がた疑いの念を抱いてベルゼブブの言葉を繰り返す。

右眼にはチクチクとした痛みが現れだし、アルの瞼も少し軽くなった。


『…………ヘル』


「痛くな……アル? 大丈夫?」


『痛みが、消えた』


「…………嘘だろ」


『当たり前じゃないですか、魔物使いなんですから。魔物使いは魔物に好かれやすいとかそんなんだと思ってるんですか? 違いますよ、魔物使いは魔力操作の魔力を持ってるんです。神経を操るぐらいよゆーよゆー』


「……本当に?」


『目を合わせておいてください。いいですか? 魔物使いの魔力は、対象の魔力に根を張るように作用する。体を操るのはどうやってるのか知ってますか? 脳に直接命令をぶち込んでるんですよ、分かります?』


「よく分かんないけど、このままやってればいいんだね?」


『本っ当にバ……あ、いえ。そうですね、そのまま』


ベルゼブブが言おうとした言葉は気になるが、今はアルだ。

頭を抱いて、下を向かせないようにして、ずっと目を合わせ続ける。

右眼と頭の痛みは増していくばかりだった。

だが、アルのためと思えば耐えられた。

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