第248話 ホルニッセの兵隊達

大きく欠伸をしては高度を下げるアル、胴に巻きついた黒蛇の力はいつもより弱い。


「ア、アル、ちゃんと飛んでよ……怖いよ」


『ん……分かっている、ちゃんと、飛ぶ』


「だ、大丈夫?」


『大丈夫、大丈夫……起きてる、大丈夫』


アルの黒い瞳は半分ほどしか見えていない、安定しない飛行は僕に最悪の事態を想像させる。


『置いていかないでくださいよ、ヘルシャフト様。酷いです』


「あ……ベルゼブブ、着いてきたんだ。ずっとあっちにいるんだと思って」


『私、使い魔ですよ? ご主人様の自覚が足りませんね』


「…………うん、あんまり実感ない」


腕の焼印を見せられても、ベルゼブブの態度もその強さも僕の使い魔には収まらない。自覚しろという方が無茶だ。


『どこに行くんですか?』


「植物の国、だけど……方向あってるよね?」


『反対ですね』


「え、アル! 止まって、反対だって!」


首に回した手を引いて、アルの顔を覗き込む。

アルは「止まって」の指示通りに翼を止める。

落ちてしまうと反射的に目を閉じる、だがベルゼブブが僕の服の襟を掴み、持ち上げていた。

頭を垂らして寝てしまったアルの体を支えているのは僕の腕、二本だけ。


「わ、わわ……アル! 起きてよ、落としちゃう! ねぇ君、アルも持ってよ!」


『反対方向といっても、ここからじゃ少し遠いですねぇ……ふむ、植物の国……』


パチン! と音が響いた。

僕とアルは無数の虫に包まれ、次に視界が開けた時には砂浜に立っていた。

歪な木に囲まれた、昼だというのに暗い砂浜。


『なんですか、この木。ベルフェゴールじゃない……』


この木は確か姫子が作った防壁だ。

それをベルゼブブに伝えようと口を開き、声を発する前に防壁に穴を見つけた。

近寄って見てみれば、その端々は焼け焦げている。


『枝の飛び散り方から見て小型の爆弾、吹き飛ばされた砂の形が残っているところから見てそう時間は経っていないことが分かります』


「……誰がこんなことを? この木は、この島を守るためのものなんだよ?」


『もう少し周りを見て、考えてから聞いてくださいね。この穴から真っ直ぐ足跡がある、こちらに向かって海辺から歩いてきています、そしてそこには木造の船がいくつかある』


「えっと……人間? が、攻めてきた」


『正解です! やればできるじゃないですか』


ぽんぽんと頭を撫でられる。

気恥ずかしく嬉しい気持ちと、馬鹿にされているような感覚が同時に起こる。

とやかく考えず喜べばいいのに、と自分を責めた。


「……アル、まだ寝てる」


『結構飲みましたからね』


「もう……起きてよ、アル! アールー!」


腹に手を置いて揺さぶっても、銀色の美しい毛並みが揺れるだけで何も変わらない。

仕方なく頭を抱えて座り込む、起きるまで待った方がいいだろう。

アルの無防備で可愛らしい寝顔を見る喜びは焦りに勝った。

アルの頭を抱き締め、背を撫でる。


そんな僕の眼前に鋭く尖った銀色が迫る。

それは槍の切っ先だ、顔を動かさないように目玉を回せば、僕達はいつの間にか囲まれていた。


『おやおや、どうします?』


警戒色の薄手の鎧には見覚えがあった。だが、突きつけられた槍は僕の冷静な思考力を奪い、いつどこで見たのかは思い出せない。


「……貴様、フリーゲ族か?」


兜に隠れた顔では判断出来ないが、体つきと声から女性と分かる。

彼女はベルゼブブに槍を突きつけており、その質問もベルゼブブに向けられたものだ。


『フリーゲ?』


「この人間と魔獣は何だ」


『ご主人様と先輩です』


「そうか……主人、なるほどな。事情は分かった」


どうやら彼女はこの集団でリーダー的な役割を果たすらしい。

そしてこの集団は女性だけで構成されていることも分かった。


「ドリッテ、判断を」


「……フリーゲ族は保護、指示を待つ。人間と魔獣は殺せ。躊躇いは必要ない、一撃で終わらせてやれ」


「了解」


ベルゼブブに向けられた槍が下げられる、そして僕に向かう槍は増え、真っ直ぐに眉間を突く──間際で虫に阻まれる。

拳ほどの大きさのその虫は、槍に穿たれビクビクと足と羽を震わせた。


『……ご主人様だ、と申しましたでしょう? 私の食事の邪魔をするならお詫びとして前菜になってもらいますよ?』


「い、今のは、貴様がやったのか」


『だったら?』


「……何故こんな屑を庇った」


「そ、そうだ! こんな……私達を弄ぶことしか知らない屑を!」


『…………ああ、なるほど。貴方達もしかして、私がヘルシャフト様に買われた奴隷か何かだと思ってます? 違いますよ、使い魔です』


なるほど、ベルゼブブの見た目は亜種人類にも見える。フリーゲ族とやらに似ているのだろう。

そして彼女達は僕のことを亜種人類を奴隷として扱うような人間だと勘違いしているらしい。

心外だ。


「使い魔……」


『ええ、実はここに来たのは──』


「全部隊に連絡しろ! 侵略者だ、生きて返すな! 情報を吐けるだけ吐かせて殺せ!」


その怒号に一人の女が飛び立ち、空中で踊った。

その軌道は妙な記号を描いているように見えた。


「首を落とせ、国に送り付けろ」


「肉を……人間の肉を、我等が女王に!」


『やる気ですか、私は一向に構いません』


ベルゼブブは二対の翅を広げ、にぃと笑う。


『まとめてかかってこい、羽虫共』


「ま……待って待って待って! ベルゼブブ! 待って! 話し合おうよ! なんでいきなり殺し合いなの!?」


『…………チッ、なんですか』


「舌打ちしないでよ……それ嫌い、怖いんだよ。ねぇ、ちょっと話しようよ、お互いに誤解あるみたいだし」


ベルゼブブは翅を畳みながら、不機嫌に頬を膨らます。

一定の距離を保ち、槍を構えた女達は微動だにしない。

何かを狙っているのか、待っているのか、未知は恐怖を煽る。


『……ん? ここは……どういう状況だ? ヘル、私は何をすればいい、此奴等を薙ぐか?』


「変な時に起きないでよ……ここは植物の国! 今は話し合い中!」


アルとベルゼブブを制止しながら、リーダー格の女と向かい合う。

異様な緊張は僕の手を震わせ、頭の中を白く塗りつぶしていく。

ふらつく足を強く叩いて叱りつけ、ふっと息を吐いた。

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