第249話 雀蜂の狩り
誤解をとく、か。
簡単に言ったはいいものの、何を話せばいいのか。僕は口下手なのだ。
「誤解など何もない、あったとしてもどうでもいい、この島に上陸した亜種人類以外のものは、全て首だけ残してその国に送り返す」
「そんな野蛮な……ねぇ、僕この国の王様と知り合いなんだよ、ちょっと話聞いて……っわぁ!?」
僕の弁明は空での舞を終え地上に戻ってきた女に邪魔される。
彼女は槍の穂先で鎧を軽く叩き、カチカチと音を鳴らしていた。
「……何の音?」
よく耳を澄ましてみれば、その音は至る所から響いてくる。
森の奥から、木の上から、すぐ後ろから──
『本当に囲まれましたねぇ、ふふ……若いはらわたは最高なんですよねぇ』
『ベルゼブブ様、私はヘルの守りに専念します。よろしくお願いします』
「待ってったら! なんでそんなに好戦的なの!」
奇妙な音の全貌はすぐに分かった。
僕達は完全に囲まれている、地上はもちろん空にも逃げ場はない。
同じ鎧を着、同じ槍を持った同じ年頃の女が僕達を睨んでいる。
誰か一人が叫んだ、「行け」だとか「かかれ」だとかそんな言葉だろう。
僕は迫り来る槍よりも隣のベルゼブブの、耳まで口が裂けたような笑みに恐怖した。
そして僕も叫んだ、喉が裂けるくらいに。
「ベルゼブブ、動くな!」
アルは僕の服の襟を咥え、回転しながら尾を振るい脱出口を作った。
そのままの勢いで飛び出し、アルは空中で姿勢を立て直す。
僕を背に登らせながら、アルは島の中心に向かった。
僕はその時に下を見て、とんでもないことを叫んでしまったと後悔した。
まだ若いホルニッセ族の女達は敵を二体も取り逃したことに憤っていた。
まさかあれ程とは、何故もっと包囲を厚くしなかった、そう口々に言い合った。
そんな彼女らの中心には、無数の槍が突き刺さった赤い塊がある。
『……馬鹿な主を持つと苦労する』
女達は仕留めたはずの彼女が蠢いたことに驚愕し、しっかりととどめを刺すために槍を引き抜き、また突き刺した。
何度も、何度も。
その動きが、痙攣までもが止まるまで。
元の形がなくなるまで。
「…………止まった?」
「止まった」
「……な、何をぼさっとしている! 早く追うぞ! モナルヒ様の所へ向かったらどうする!」
槍を振るい、切っ先を汚した血を落とす。
女達が飛び去った後、肉塊が蠢く。
時間が巻き戻るように、至極当然のことと言いたげに、ベルゼブブは元の姿へと戻る。
『……ふうっ、息止めるのも楽じゃないな。喰ってもよかったんだが……食材の機嫌を損ねるのもよくない、ストレスのない環境で育てないと、いい肉にはならない』
独り言を呟きながら、ベルゼブブは服の砂を払い落とす。
呼吸を止めて死んだふりをして、一度女達からの注意を逸らそうと考えたのだ。
『あんなに念入りに潰すとはな、いい教育をしている。おかげで嫌な事を思い出した』
ベルゼブブは数千年前の屈辱を思い出す、人界の地下に巣を作らなければならなくなったあの日を。
弱って四六時中喰い続けなければならなかったあの日々を。
『まぁ、安定した食事は快適ではあったが。それでも……許せない、あの邪神。馬鹿にしてきたサタンよりも……目の前で酒と肉を楽しんだマンモンよりも……』
ベルゼブブは髪留めを外し、髪の分け目を変える。
上着を脱ぎ捨て、翅を二枚引きちぎり、雑に変装した。
虫の羽音に後ろを振り返れば、先程の女達が見事な編隊を組んで追ってきていた。
『ヘル、どこまで飛ぶ?』
「……王様と知り合いなんだ、その人に会って、誤解をといてもらえないかな」
『王か。城は見当たらないが……』
「あの人お城には住んでないんだ、木のウロとかにいると思う」
この国の王、ウェナトリア。彼は話が分かる優しい大人だ。僕の事も覚えているだろうし、彼女達を止める事も出来るはずだ。
『それを空から見つけろと? 貴方も中々言うようになったな』
「ご、ごめん。でもそれしか思いつかないよ、あの人たちを傷つけるわけにはいかないし」
彼女達はきっとこの国の警備隊のようなものだ。
それを倒せば侵略はさらに容易になる。本当に僕がこの国を滅ぼしてしまう。
『……一度降りるぞ、空では彼奴等の方が速い』
アルは翼を真っ直ぐに寝かせ、急降下する。
投げ出されたりしないと分かっていても、アルを信用していても、恐怖は僕の目を閉ざす。
『走るぞ、王らしき者を見つけたら叫べ』
「わ、分かった」
木々の間を風のごとく走り抜ける、上空の女達は編隊を変え、円を描いて地上に降りた。
『囲う気だな、だがあれだけ広がったなら突破は容易い』
アルはさらに足を早める、過ぎていく景色は僕の目には緑の洪水に映った。
アルはその途中で木に立てかけられた枝を見つけた。
それは木の洞を隠すためのものらしかったが、目立たす要因にしかなっていない。
アルはそこに飛び込み、襲撃をやり過ごそうと考えた。
『……このような所に住んでいるんだな?』
「うん……けど、ここは違うみたい」
ウェナトリアの姿はない。大柄な彼がこの狭いウロの中にいたならすぐに分かる。
『いつまでも追われたくはない、突破はできても振り切るのは難しい、暫し此処で休むぞ』
「うん、分かった」
少し前まで眠っていたとは思えない、打って変わって頼もしいアルに抱きついた。
「……ベルゼブブ、大丈夫かな」
『心配は要らんさ。人間にどうこうできる存在ではない』
「なら、いいけど」
最後に見たあの光景は、見間違いなどではない。
噴き出した血は確かにベルゼブブのものだった、僕の言う通りに動きを止めたベルゼブブの。
僕はあの後に頭痛は感じなかった、右眼にも少しも痛みはなかった。
つまりあの命令は不発だった、魔物使いの力は発動していなかったのだ。
だけどベルゼブブは動きを止めた。
僕の叫びを聞いてくれた。
強制力のない幼い願いを受け止めてくれた。
無数の槍に身を晒して、僕の願いを叶えてくれた。
『……ヘル、私の後ろに隠れろ。何か居る』
アルはそう言って僕を翼で包み、隠す。
アルが睨んでいるのは洞穴の奥、ベッドらしき物の影。
そこから這い出た黒い影に向かって、アルは低い唸り声を上げていた。
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