第243話 味の乱闘
部屋に漂う匂い、野菜や肉を煮込んでいる時はそれなりに食欲をそそったが、味付けが施された今では食欲どころか生存欲求すらも希釈される。
『ヘルシャフト様、味付けは何を入れたんですか?』
「えっと、キノコをすり潰したのと……」
『待ってください、どんなキノコですか?』
「え? 美味しそうなやつだよ。真っ赤なの」
鍋を覗けば毒々しい赤が広がっていた。
緑のはずの野菜にまで染み付いている。
『……いいでしょう。他は?』
「火吹きトカゲの目玉がなくて、爬虫類ならいいかと思ったんだけどなかったから魚の目玉」
鍋を覗けばその魚の目と目が合う、裏を向いていれば白玉のようで美味しそうにも思えるのだが。
『まぁいいでしょう。魚の目は周りの組織が美味いのですが……まぁ、大丈夫です。あとは?』
「マンドラゴラがなかったから、ハーブっぽいの」
『どんなハーブですか?』
「全部入れたよ、ちゃんと見ずにちぎったから分かんない」
ハーブが入っていたらしい紙袋は空になっていた、微かに残る香りには刺激的なものから花を思わせるものまで揃っている。
『……まぁ変なものは置いていないと信じます。それだけですか?』
「お酒も入れた」
『これですね? 勿体ない……料理酒を使いなさい』
「ごめん、ラベルなかったから。あ、あとね、これも入れた」
『……何ですか、これ』
「分かんないけど、舐めてみたら美味しかったよ」
紙に包まれた粉、薬のように見えるそれは光に反応して僅かに蠢いた。
『魔界に住む虫を潰したものですね、私は嫌いですが……麻薬の味を誤魔化すのに使われるくらいです、大丈夫でしょう』
「え、虫? うわ……食べちゃった」
『ヤモリとかコウモリとか言ってたくせに今更何を仰る』
「虫には嫌な思い出があるんだよ。学校辞めた後、散歩してたら同級生に見つかって……その、食べさせられて」
昔の二つの意味で苦い思い出を話すと、ベルゼブブの顔はさらに暗くなる。
『…………そうですか』
「それでね、すぐににいさまが来て……その、ちょっと大きめの虫の巣に、その子達を放り込んで…………ちょっと、酷いことになってさ。それから虫が苦手で」
『なんでしょう、なんと言うか……ろくなのがいませんね、貴方様の周り。っと、そうです、貴方様は他人に手料理を食べさせたことは?』
「にいさまがいっつも食べてくれてたよ」
ベルゼブブは顔に出さず自分を褒めた。他人に食べさせたことがあるのなら、それもあの兄に食べさせていたのなら、味は矯正されているはずだ。
ベルゼブブはアルの横に戻り、味付けの詳細を報告した。
『大丈夫そうですよ』
『とてもそうは思えないのですが……私は肉以外の物を食べた経験が無いのです。初めての料理がアレとは……』
『親愛なる飼い主でしょう、喜びなさい』
そんなことを話していると、コンロの火が止まる。
ヘルに机に集まるよう促され、三人は重い足取りで椅子に向かう。
『寝てるメルちゃんが羨ましい、ボクももう少し寝てればよかった』
『大丈夫、アレはヘルの手料理……ヘルが私の為に作ってくれた料理……』
『あの、ヘルシャフト様? 私はハンバーグ以外はちょっと』
「…………契約、したよね」
『仮ですよ? 貴方様の命令も断ろうと思えば断れます』
「食べないの? そう……デザートも用意しようと思ってたのに」
『食べます食べます、お腹空いてきました』
鍋の中身は均等に四つに分けられ、各々の前に皿と食器が並ぶ。
毒々しい鮮やかな赤に、激しく主張する目玉、原型を失った野菜と肉。
『色からしておかしいと思うよ、ヘルシャフト君? え……ちょ、食べてるの?』
「……うん、よく出来てる! 食べてみてよ」
三人はお互いの様子を伺いながら、ほぼ同時に口をつけた。
『うん……うん、個性的な味だ』
『なんかこう、どの味を拾えばいいのか分からないくらい混雑していますよね』
『あー……味の乱闘が起こってる』
食材の持つ味は一切混ざり合うことなく発揮されている、個々の主張が強く、決定打はない。
だが、どの味もそれだけで十分な程に強く、濃い。
『ヘル、その……貴方自身の感想を聞きたいのだが』
「色んな味があって美味しいよ、もうちょっと濃くした方が良かったかなぁ」
『……ヘルシャフト様、もうすぐ帰ってくるであろう知り合いにも分けたいので、すこし残しますね』
『あっズルい、ボクもメルちゃんに残そうかな』
「もう一回作れそうな量は残ってるから、全部食べなよ。お腹空いてるでしょ?」
『うぅ……やっぱりダメかぁ、もういいや、一気にいこう』
セネカは皿に両手を添え、一気に飲み干した。
二、三度胸を叩くと、今度は水を一気に飲む。
『ヘルシャフト様、兄に食べさせたと言っておりましたがそういえば反応を聞いてませんでした。如何でした?』
「褒めてくれたけど?」
『…………あっそ』
ベルゼブブは口調を整えることもせず、さらにエアへの恨みを貯める。
この兄弟は揃って味覚がイカれている……なんて吐き捨ててやりたかったが、もう口を動かしたくもなかった。
「え、何? さっきから……もしかして美味しくない?」
『い、いや、美味しいぞ。慣れない味だからな、戸惑っていただけだ』
不味いという表現は合わない。混ざっている、個別なら最高。そんな表現なら適正だろう。
「本当? ならいいけど。君は?」
『美味しいですよ、ただ……味が多いんですよね、食材を減らしてみては?』
「そうなの? そっかぁ……うん、試してみる。セネカさんは? もう食べたみたいだけど、美味しかった?」
『え、ああ、うん。美味しかったよ。急いで食べちゃった』
水で流し込んだから、味なんて分からない。
そう正直に言う勇気はなく、セネカは嘘を吐いた。
『私も食べましたよ、ヘルシャフト様、デザートは?』
「冷凍庫にゼリー入ってたよ」
『……あ、はい。そういう意味でしたか、まぁ……料理食べただけで髪貰うのも、フェアじゃないとは思いましたけど』
『あ、ボクもゼリー食べる。サクランボある?』
「アルも全部食べてくれたね。ありがとう」
『ああ、当然だ』
口直しに、と家主の趣味で凍らされたゼリーを漁っていると扉が開く。
寝室に繋がる扉ではなく、廊下側の──玄関から入ったのなら、間違いなくここから入るだろうという扉だ。
誰も扉が開いたことに気がつかず、ゼリーを食べるためにスプーンを探していた。
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