第227話 魔法使いの祖

お菓子の国にかけられた『暴食の呪』、そしてそれを強化するようにもう一つ呪術が施されていた。

ヘルの兄、エアはそれを解析し、強化しているらしい呪術の痕跡を追っていた。

呪の影響を強く受けたセネカからなら、痕跡を追うのは容易いことだった。


『……あれ、城の外? 地下っぽいから城にあると思ってたのに……にしてもあの淫魔、僕に全部押し付ける気かな、もう一匹の面倒見るとかなんとか言ってさぁ』


愚痴を呟きながら、エアは城の外に出る。

それは奇しくもヘルが男に襲われ助けを必要としている時だった。


『離れるなぁ……おかしい、こんなに離れて……ん?』


開け放たれたクッキーの扉、その奥には人を喰らう人が見えた。

エアはその人間達に目もくれず、壁に立てかけられていた箒を手に取る。


『材質は……ビスケット、水飴、それにチョコか。これで掃除できるのかな?』


夫であろう肉塊を喰らっていた女が振り返り、エアを認識する。

だが、女は食事に戻った。


『……何? 僕は不味そうなの? 面倒がないのはいいけど、それはそれで気に入らないな』


人間でなくなったエアは彼らに食物だと認識されない。

エアは女を睨み、見下し、箒の強度を確認する。


『んー、これならスピードは……中の下かな。まぁまぁだね』


血の匂い漂う民家を後にし、エアは空中に箒を浮かべた。

跨らずに横向きに腰掛け、先端を軽く叩く。

そうすると箒は恐ろしいスピードで飛び上がり、エアの思い通りに動き出す。


『よしよし、いい調子。にしても浮遊魔法って何で箒と相性いいんだろうね』


探知魔法を同時に使いながら、エアは箒の先端を握り簡単な操作を行う。


『……遠いな、やっぱりちょっとおかしい、こんなに遠くで城の中にあれだけの影響を出せるはずが……』


通常なら味わうことのない負荷に、箒はミシミシと悲鳴を上げ始める。

エアは気にせずに速度を上げ、山を越える。

大きな川が下に見え始めた頃、とうとう箒は真っ二つに割れる。

だが、エアは焦ることなく捲り上がるローブの裾を押さえ、落ちていく。


『ここ? 何もない気がするけど……んー?』


危なげなく着地し、砕け散った箒の破片を踏みつけ、探知魔法が導くままに歩き出す。

エアは川沿いを歩き、小石──いや、砂糖の塊を持ち上げる。

探知魔法が指しているのは、この石の裏に貼り付けられたメモだ。


『紙? お菓子じゃない……つまり、外から来た、ってことは当たりだね』


お菓子の国に存在するのはお菓子だけだ、国外から持ち込まない限りは。

このメモに呪詛の模様が描かれているのだろう、エアはそう考えてメモを開く。


"ザーンネン! ハズレだよ! 綺麗に引っかかってくれて嬉しいよ!

じゃあ残念賞に、一つお話をしてあげようね。君の魔法の腕は確かだよ、でもね、魔法を作ったのはボクなんだ。だから探知されやすいハズレを作るのも、探知されない本命を作るのも、簡単なんだ!

気を落とさなくていいよ、君が優秀だからこそこのハズレを引けたんだ、ヘクセンナハト"


『ヘクセンナハト……!?』


エアはそのメモを読んで苛立ちよりも先に驚愕を覚えた。

ヘクセンナハト、それは魔法使いの祖の名だ。

その名前が何故ここに、これは誰に当てられたメモなのか。エアが困惑し、メモを裏返したり太陽に透かしたりと調べていると、突然メモの続きが現れる。


"何を驚いているんだい? ヘクセンナハト、ボクだよ? キミの神様さ"


『……魔法、か』


インクが滲み、形を変え、先程読んだ文章が別のものに変わる。

これ自体はよく見る魔法だ、特段驚くことでもない。だがメモの内容は異質だ。


『何故ヘクセンナハトの名を?』


"キミのことさ、エアオーベルング。キミはヘクセンナハトだろう?"


『……何言ってんの? まぁ、祖に勝る天才だってことは認めるけど』


"気づいていなかったんだね、キミはヘクセンナハトその人だよ。一万年前に魔物使いと対立し、滅ぼされ、来世では魔物使いを殺すと誓ったヘクセンナハトだ"


『…………どういう意味?』


"生まれ変わりだよ、前世の記憶はあるかな?"


生まれ変わり、その文字を見た瞬間、エアの頭に激痛が走る。

耐え難い痛みにメモを落とし、川辺に座り込む。

痛覚を消す魔法はかけてあるはずだ、だというのに頭痛は治まらない。


『生まれ……変わり、そんな馬鹿な話……僕が信じるとでも』


痛みに耐えかねたエアの体が溶け落ちる、かろうじて残した手がメモを再び掴む。

乾留液に似た液体に成り果てつつも、新たに作り出した目玉でメモを読んだ。


"魂は特殊な方法で滅ぼさない限り、再利用され続けるのさ。まさに無間地獄、ってね。特に君みたいな魔力の高い魂は似たような子になり続けるんだよね、だから前世の記憶も掘り出しやすいんだけど……どうかな?"


反論するための声はもうない、手もすぐに溶けてしまう。

鈍く虹色の輝きを放つスライムのような彼は、過去の記憶に意識を落としていた。

過去──それは前世ではなく、幼い頃の記憶だ。



優秀な成績を収め、古代魔法を復元した功績として王宮に呼ばれた時のこと。

誇らしさで胸がいっぱいになって、父に手を引かれて歩いた日のこと。


「エアオーベルング・ルーラー殿、此度は──」


厳かな雰囲気の中、賞状を手渡されながらエアは王の後ろにある像を眺めた。

鋭い鉤爪を持ち、長く鞭打つ触腕を振るう、顔の無いモノ。

まともな人間が見れば息を呑むような不気味で恐ろしい石像。

魔法使いが見れば、心安らぐ神の像。

いつも知識と愛に飢えていたエアの心は、その像を見て唯一満たされた。



ああ、何故今まで忘れていたのだろうか。

ゆっくりと人の形を取り戻しながら、エアはメモを拾い上げる。


『……あの時感じたのは、懐かしさだった』


前世の記憶が蘇った? いや、違う。

蘇ったのは知識だ、魔法に関する全てを手に入れた。


『僕は……兵器の国で貴方様に会っていた。けれど、あの時は貴方様の姿を忘れてしまっていた』


エアはらしくもなく跪き許しを乞う。


『無貌なる神よ……僕は、貴方様の最も優秀な下僕で御座いました』


ローブに描かれた魔法陣の一つが輝きを放つ、その魔法陣は空間転移のものだった。


『ですが、今僕が欲しいのは貴方様の寵愛ではなく弟の全てで御座います』


握り締めていたメモが燃え上がる、エアはそれを見て自嘲の笑みを浮かべた。

城に戻るための魔法が発動する直前、手の中に残った灰を捨てながら、エアは呟く。


『……僕はヘクセンナハトじゃない、エアオーベルング様だ。間違えるな道化野郎』


エアが消えた後には何も残らず、静かな川辺が数分ぶりに訪れた。

灰となったメモを運ぶ風が気味の悪い笑い声のような音を立てるまでは。

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