第226話 順調に壊れていく

ナイを抱いたままドアノブに手をかけ、膝を曲げてノブを捻る。

僅かに開き甲高い音を立てるドアを蹴り開け、僕は後悔した。

慎重にならなかったことを。

どうして何の警戒をもせずドアを開けた?

どうして兄もメルも呼ばず一人で行動した?

どうして守れもしないくせに、ナイを連れてきた?


鼻先に突きつけられた槍に一歩も動けず、僕はナイを抱き締める力を強めることしかできなかった。


『……人間か?』

『エサか?』


腐った池のような色の肌、醜悪な豚の顔に大柄な人の体。

分厚い鎧をまとったオーク達が僕を睨みつけていた。


『エサなら誰かが連れてくるだろ、コイツは勝手に入ってきたぞ』

『部屋が見つかったんだろ、子供っぽいし』


オーク達は僕に槍を向けたまま顔を見合わせて話している。

彼らの表情は僕には分かりにくい、種族が違うのだから。


『子供関係あるのか?』

『探検好きだろ』

『ああ、なるほど。で、どうするよ』

『食材にしようぜ、そろそろ時期だろ』


話がまとまったらしいオーク達は槍を下ろし、僕の肩を掴んだ。


『殺されたくなきゃついて来な』

『お前ら兄弟か?』

『んなわきゃねぇだろ、よく見ろ。肌の色が違う』

『あー? そうか?』

『目ぇ悪いなお前、ちっさい方が黒っぽいだろ』

『んー? そうか?』


オークの一人が僕の肩を掴み、もう一人は腰にぶら下げた鍵束を弄っている。

僕はオークの視線からナイを隠そうと体を捻った。


『厨房の鍵どれだっけ』

『さぁ……』


「……あの、少しいいですか」


『あぁ? んだよ人間』

『大人しくしてろよ、無駄に痛い目見るだけだぞ』


「腕が、疲れてしまって、この子を少し下ろしたいのですが」


『どうするよ』

『そんくらいいいだろ、逃がすなよ』

『いいってよ、逃げるなよ』


肩を掴む腕が緩む、ナイを下ろしてローブの中に隠した。何故か魔法の効果が切れてしまった今、あまり意味はないのだが。

これから起こる凄惨な光景を見せないため、という狙いもあった。

腕を軽く振って、肩を回して、疲れたと漏らす。オーク達が呑気な奴だと嘲笑するのを確認する。

右眼を隠していた髪を耳にかけ、僕の肩に手を乗せていたオークと目を合わせる。

もう片方、鍵束を弄るオークを指さしながら。


「あ い つ を 殺 せ」


『あぁ? 何言ってんだお前……お、おい? どうしたんだよ兄弟……おい!』


床に落ちた鍵束を拾ってナイの視界を塞ぐ、僕は自分でも驚く程に機敏な動きをしていた。

オークの喉に突き立った槍が引き抜かれると、噴水のように血が吹き出した。


「ありがとう。じゃあ、君 も 死 ん で」


手のひらが傷つくのも構わず、虚ろな目をしたオークは槍の穂先を握る。

喉を掻っ切るのを確認して、正面のドアに向かう。

このドアには鍵穴はない、鍵はこのドアに使うものではないようだ。


そしてこの部屋には、大勢のオークがいた。

オーク達は突然現れた人間に驚き、次にその人間が仲間の返り血を浴びていることに驚いた。


「どうしようかな……別に、死んで欲しいわけでもないんだ。どうなりたい?」


オーク達は揃って壁に立てかけてあった槍を手に取る。


「動 く な」


静止したオーク達をかき分け、またドアを見つけた。

このドアには鍵穴がある、いくつかの鍵を試して、かちゃりと軽い音が聞こえた。

クッキーで作られているのに、鍵の役割を果たすとは。どうやって作ったのかが気になるところだ。


「あ、そうだ。足 を 切 っ て おいて」


この数のオークを後々呼び出されたり、逃げ出す時に行く手を阻まれては面倒だ。

操れるとはいえ、無力化しておくことに越したことはない。

警戒してドアを開け、静かな部屋を見つけたことに安堵する。


『……ヘル君?』


「あ、ごめんね。いつまでも目塞いで」


力の使い過ぎか、少し頭が痛い。

ドアに背を預けてこめかみを軽く押す。


『痛いの?』


「んー……大丈夫だよ、大丈夫」


僕は頭痛よりも先程の対応を気にしていた。

殺せ、死ね、足を切れ、そこまでやる必要があったのか?

眠れだとか、その程度でよかったとは思わないか? それを何故考えなかった?

僕は自分の残酷さにショックを受けた訳ではない、オーク達が可哀想に思えた訳でもないし、もちろん罪悪感はない。

あんな命令を口走る僕がナイに嫌われないかどうか、それだけが気になった。


『大丈夫って言う時は大丈夫じゃない時、ボクちゃんと分かってるよ! 痛いの痛いの飛んで行けー……効いた?』


「……ふふっ。あ、いや、大丈夫……うん、もう大丈夫。もう痛くないから」


その無邪気さは微笑ましく、羨ましい。

まだ頭は痛むが、これ以上ナイに心配はかけられない。

無理矢理立ち上がって、苦手なままの笑顔を作った。


『そうだ! お呪い教えてあげる!』


「おまじない? 何?」


微笑ましい発言にまた頬が緩む、ナイの頭を撫で、そのおまじないとやらを教えてもらう。


『とっておきだよ、どうしようもなくなった時に唱えるんだ。言うよー? にゃる・しゅたん! にゃる・がしゃんな! これをどうにかなるまで繰り返す!』


「……意外と難しいなぁ」


子供のおまじないなんてもっと単純なものだと思っていたのに、案外と長くて難しい。

だが幸い魔法の詠唱に似た発音だ、魔法の国出身の僕には覚えやすい。


『覚えたー?』


「覚えた覚えた、ありがとうね。このおまじないオリジナルなの?」


『ボクのお呪いだよ』


どうしようもなくなった時、どうにかなる。

随分と設定の緩いおまじないだ。

だが僕には丁度良い、魔法が使えない僕にはそういった効果があるのかも分からない気軽なものがピッタリだ。

おまじないを教えてくれるようなら心配はないとは思うが、一応嫌われていないか確かめておこう。


「ねぇ、ナイ君。さっきの……どう思った?」


『さっきの?』


「だから、その、オークの……ほら、僕が酷いことさせた」


『ああ、アレ? 別に……あ! ヘル君すごいなって思ったよ』


「すごい?」


魔物使いの力のことか? そういえば話していなかった。

話しておくべきか、この先も魔物がいるのなら、僕から離れなければ大丈夫だと説明するために。


『うん、殺させるのも、自殺させるのも、足を切らせるのも、ぜーんぜん躊躇ってなかったでしょ? それがすごいなって』


「…………え」


『だってさ、普通の人ならさぁ、させないと思うよ? あんなこと!』


「そっ、それは、だって、もう少しで殺されるところだったから!」


『うん、分かってるよ。何でさせたのかなんて分かってる。ボクはすごいって褒めてるんだよ? 思いついても行動には移せないってこと、よくあるでしょ? でも、ヘル君は躊躇わなかった! すっごいことだよ!』


褒められている? 尊敬されている?

どちらだとしても、どちらもだとしても、それは酷く不愉快だ。

残虐行為を躊躇なく行えて凄いね、なんて嫌味以外の何物でもない。

ナイにそのつもりがなくとも、僕にはそうとしか聞こえない。


「……二度と言わないで」


『え?』


「二度と言わないで! 絶対に、もう二度と言わないで、僕が酷い奴だってことなんて、分かってるんだよ! 最低だってことは、僕が一番分かってる! だから……もう、言わないで」


『…………褒めたつもりだったんだけどなぁ』


そう言ってローブの中に隠れたナイは愉しそうに笑っていた、その笑みにヘルが気がつくことはない。

魔物使いが順調に育っていることが、人としては壊れていくことが、それを魔物使いが自覚していることが、ナイには愉しくて愉しくて仕方ない。


「……ごめん、大声出して」


『ううん! 大丈夫!』


僕の手にすっぽりと収まる小さな手、守らなければならない小さな命。

ナイを守るためならば、どんな行為だって許されるはずだ。

殺させたって、何をさせたって、ナイはきっと僕を嫌わない。

ナイのためなら残虐行為も許されなければならない。


自身の行為を正当化するためだけの思考は酷く醜く、僕が僕を嫌う理由の一つだった。

そして、僕は自分の思考の異常性に少しの不信感も抱くことはなかった。

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