第228話 厨房

鍵のかかっていない押し戸を開くと、そこは綺麗に掃除された厨房だった。

何の気なしに開いた棚の中から僕の頭よりも大きい包丁を見つける。

流石にこれは振るえない、諦めて棚を閉じた。

ならば冷蔵庫を漁ろうか──と、ナイが足を止めた。


『……思ったより早いな』


くい、と手を引くが動かない。


「ナイ君? どうかしたの?」


『…………ん? なぁに? ヘル君』


ぱっと振り返って無邪気に笑う。


「え、いや、ぼーっとしてたみたいだから」


『んー、ちょっと疲れたかな』


「そっか、ならまた抱っこでも……」


変わらない笑顔を見せてくれるナイに癒されていると、勢いよく押し戸が開いた。

僕達が入ったきた戸とは反対にあるものだ、僕は咄嗟に作業台の影に隠れた。

入ってきた者を確認する暇もない、おそらくはオークだろうが、もしも魔物ではなかったとしたら僕にはどうすることも出来ない。

念の為にナイを隠しておこうと作業台の棚を開ける。

本来は調理器具を入れる場所であろうそこには、運良く何も入っていなかった。


「ここに隠れていてね、ナイ君」


『うん』


「音を立てちゃダメだよ」


小声で囁き、棚を閉じて作業台の影から顔を出す。

見えたのは二人のオーク、それに太った男が一人。

男の方は気を失っているようで、机の上に寝かされていた。


『……の、レシピは』

『……バーグ、だったはず』


オーク達は何かを確認するように小声で話している、僕の位置では聞き取れない会話だった。

オークなら話は早い、先程と同じように行動不能にすればいい。

そう考えた僕が立ち上がった瞬間、オークは男に包丁を振り下ろした。

腹を開き、内臓を取り出し、首を落とし、骨を抜き、肉だけをこそぎ落とす。

必要なくなった頭部と皮が床に打ち捨てられた。


『ハンバーグだけか?』

『デザートも欲しがってた、でも材料がない』

『調達係は何やってんだ』

『さぁな、いい感じのがいないんだろ』


削ぎ落とされた肉は細かく切り刻まれ、ボールに入れられる。


『デザートは何がいいって?』

『若いのの踊り食い』

『あー、それは持ってくんの大変だな』

『な、若いのってどんくらいだよってな』


人が調理されていく光景を見て、僕は力を使うどころか声すら出せなくなっていた。

もう一度隠れようという考えも浮かばず、浮かんだとしても震える足はそれを叶えない。


『おい! ここにいるぞ!』


背後から大声が響き、振り向くまもなく首を掴まれ持ち上げられる。


『おー、いたのか』

『起きてんじゃん、眠らせないのか』

『おい首折るなよ、踊り食いだぞ』

『おいあの……眠らせるやつ持ってこい』


首が絞まって声どころか息すらも危うい。

僕はオークを必死に睨み、手を離すように念じた。

声を出せなくとも少しくらいなら通じるのではないかと希望を持って。


『ヘル君!』


苦しさで揺らしていた足に、小さな体が抱きつく。


『何かちっさいの出てきたぞ』

『どうする?』

『遅れてごめんなさいで付けとこう』

『それいいな』


オーク達は顔を見合わせ、ナイを捕まえた。

机の上に放り投げられ、目に布が被せられる。

その布に描かれた模様が魔術陣だと認識する前に、僕は意識を闇に落とした。




夢も見ない深い眠りを覚ましたのは、僅かな体の揺れと可愛らしい声だった。


『ヘル君! ヘル君! 起きて、起きて!』


ぺちぺちと顔に当たっているのは、手か。

ナイが僕を起こそうと顔を叩いているのか。


「ナイ……君」


『起きた?』


「ん……ここ、は?」


まだ胡乱な意識、体を横にしたまま首を回す。

顔の隣にあったのは生クリームだ。


『お皿の上だよ』


「皿……って、何それ」


上体を起こしてようやく状況を理解した。

僕達は飴細工の皿の上で、クリームやチョコや果物を添えられている。


「まさか……僕、デザート?」


『踊り食いって言ってたよ』


「知ってる……え、僕を?」


『ボクも』


「食べられる?」


『みたいだよ』


ナイはそう言いながら隣に置かれたさくらんぼを頬張っている。

呑気なものだ……なんて考えている暇もない、早く逃げなければ。


「……何で出たきたの、隠れていてって言ったのに。隠れていれば君は助かったかもしれないのに」


『だって、ヘル君』


「僕なんかどうなったっていい、僕はそう思われるべき人間だよ」


『……ずっと一緒にって言ったのはヘル君だよ』


「……そんなの、そんなの……破ったって、いいのに」


本当は嬉しいくせに、僕はナイを責めた。

僕を見捨てて一人だけ助かれば良かったのに、そんな思ってもいない言葉を吐いた。

本当は、一緒に死んでもいいって思ってくれたのかと喜んでいるくせに。


『今は、逃げること考えないと』


「そう……だね、盛り付けが邪魔で外見えないんだよね」


高く積まれた果物、クリーム。

僕は真っ白なクリームに手を突っ込み、掻き分けながら皿の外を目指した。

外の景色が見えてすぐに引き返し、ナイの手を引いてまた進む。

ここはおそらくは机の上、他にも様々な料理が並んでいた。


『……ヘル君、あれ』


その中には巨大なハンバーグもあった。

材料は考えたくない、考えてはいけない、ナイに見せるべきではない。

僕はナイの肩に手を回し、見せないように体の向きを変えさせた。


誰もいないらしい部屋、音を立てないように机を下りた。

机の高さは至って普通、異常なのは料理の大きさだけだ。

そばの扉まで走り手をかけると、押してもいないのに扉は開いた。


目の前に、真っ赤な瞳が飛び込んできた。

その赤い目は複眼のように思えた、無数の目が集まっているように見えたのだ。

その瞳を持つ王族のような服を着た少女らしき人物は、僕を見て驚きながらも微笑んだ。


『これはこれは、魔物使い様ではありませんか。まさか貴方様が食料と扱われるとは……シェフ達には教育が必要なようですね』


静かに頭を下げ、また優雅に頭を上げた。

翠の髪の隙間から飛び出した触角がゆらゆらと揺れる。


『お初にお目にかかります、魔物使い様。私の名はベルゼブブ。帝王にございます。以後お見知りおきを』


その社交的な微笑みからは何の感情も読み取れなかった。

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