第208話 不定形と戦神

神降の国、城門前。

神具使いも、天使も、神も獣人も去った後の、寂しい地。

数分前に繰り広げられた攻防により、草木はすっかりなぎ倒され焼き払われていた。


焦げ茶色の大地の窪み、そこには水が溜まっていた。

虹色の輝きを放つ、真っ黒い液体が。

液体は急速にその体積を増やし、立体を描き始めていた。

そんな液体の真横に雷が落ちる。

空には雨雲一つなく、澄み渡る青が広がっているというのに。


『エア、エア? 大丈夫か?』


雷光は人の形となり、液体に声をかける。


『……り・リ……だ、ァ…れだ』


蛇が鎌首をもたげるように、液体は細長く伸び口をきく。

見た目だけならスライムだと判断しただろう。


『俺だ。トールだ。覚えているか? お前に縛魂石をやった神だ』


『とー…ぅ』


『再生は滞りないようだが、イマイチ戻らんな』


『しょ、げ……ぃし…ぃ、ぁ、とン』


『吹っ飛ばされた衝撃で意識が飛んだ? それで寝惚けてるのか。何、問題はない。魂は元々人間だ、休息を欲するのは当然のこと。気絶ついでに惰眠を貪るのもたまには良いだろう。いくら組み換え可能な体になって、理論上の永久器官を作ったとて魂に染み付いた癖はそう取れないものだ』


うんうんと頷きながら、トールは思いつきの理論を繰り出す。

トールは何が言いたいのか? 俺が見張っていてやるから好きなだけ寝ろ、と言いたいのだ。


『……ぅと、オ…ぃかケ』


『何? 弟が攫われた? だから追いかけたい? 先に言え、俺が取り返してきてやる。で、どこにいる?』


『…………戻、セ』


『何だ、俺は信用できないのか? 違う? どこか分からないから探知魔法を使いたい? そうか……なら、仕方ないな』


暇つぶしに素振りをしていたハンマーを腰に引っ掛け、トールは右手を掲げ、集中する。


『静電気は好きか? アレと似ている。何、すぐ済む』


『……り? ァ……ま、テ』


電気治療も、ショック療法も、静電気も、落雷も、トールにとっては同じだった。

雲まで届くほどの閃光、地上から生える稲光に、人々は恐れおののいたことだろう。

並の落雷の数百倍の雷を一度に受け、液体は蒸発寸前にまでなっていた。

だが、そこから急速に増殖し、人型をとった。


『……どうもありがとう、聡明な雷神様。おかげで目が覚めたよ』


『正直に礼を言われると照れる』


『皮肉ってものが分かんないのかな、僕の弟より頭悪いんじゃ……』


『頭が悪い?』


『あぁいや、弟を連れ去った奴が、ね』


『ああ、だろうな。人攫いは総じて頭が悪い、後に起こることを予測しない』


『攫われたってのも語弊があるけど……ま、いいか』


今の体では意味が無いというのに、エアは体をほぐすような仕草をする。

染み付いた癖、とはこの事だ。

首を回しながら、手のひらに魔法陣を浮かべる。


『探知、対象、クラインローブ』


『クラインローブ?』


『ヘル……僕の弟に着せたローブだよ、あの子のは小さいからね』


魔法陣は手のひらの上でクルクルと回り、形を変え、矢印を表した。


『……下? どういう事だ』


矢印は下を示している、当然だ。

ヘルは魔界の最深部に落ちてしまったのだから。


『さぁ……この辺りに地下都市なんてあったかな』


『掘るか』


『いや、追跡する。何かを追うなら行った道を辿るのが一番確実だよ』


『道が分かるのか?』


『ん、待ってね……我は全てを欲す、全てを知り、全てを制す、我の元に示せ!』


エアの前に浮かんだ魔法陣は人の頭ほどの大きさに広がり、その中心に地図のような記号の集まりを映した。

アルの飛行した道筋を完全に再現して見せた。


『よし、出来た。あとはこれを辿ればいつか着くはずだよ。ヘルに着せたローブには治癒も蘇生も防護もかけてあるから、しばらくは無傷が保てるし、何かあっても十分間に合う』


空間転移は完全に勝手が分かっている場所でなければ、座標が狂う危険がつきまとう。

地下という未知の場所へは直接出向くしかない、地図で分かる場所まで転移してから行くべきか……などとエアは地図を操作し始める。


『海を越えているな』


『まぁ今なら羽も生やせるし。あ、でも箒の方が早いかな。いや、この大陸まで転移すれば海なんて越えなくても……』


『なぁエア、箒は雷より速いのか?』


『え? いや、そんなことないと思うよ。魔法でも雷魔法は速攻系だし。あ、でも光魔法の方が届くのは速いのかな、でもやっぱり破壊力は雷魔法の方が……』


『そうか、なら俺が飛ぶ。地図を出しておけ』


『……は?』


トールは帯電する──いや、違う。

トール自身が雷となっている。

眩い光を放ちながら、トールはエアを片手で担ぎ空を走った。


『カーブ……っと、曲がりすぎた、修正』


『……トま、れ』


『エア? 溶けてるぞ、ちゃんと人型を保て』


『……レの、せ…ィ、だと』


彼らが走る様を見た人間がいたのなら、間違いなく驚き、そして恐怖しただろう。

落ちてくるはずの雷が、雲の真下を縦横無尽に走り回っているのだから。


『着いた』


『…ケり……着いた? うわ、何ここ』


『瓦礫しかないな、弟は本当にここにいるのか?』


『そのはずだけど……ヘルー! ヘルー? ヘールー! お兄ちゃんだよー、出ておいでー!』


鈴の音を響かせながらエアは自らを人型に調整する。

液体と化していた手足が、粘性を増し肉へと変わっていく。


『そういえばエア。お前、何の魔物になったんだ? スライムの亜種か?』


『どうだろうね、見た目は似てるけど。僕、魔物なんて興味無いからあんまり知らないんだよ』


『鳴き声が綺麗だよな』


『……嬉しくないな、僕元々人間だからね? 人は鳴かないからね、褒め方には気を使ってよ』


『気を使う……綺麗な声をしているな』


『うん、そもそも君に褒められても嬉しくないや、悪いね』


『……俺、神だぞ』


『神だろうと悪魔だろうと、僕は僕と弟以外に興味ない……ん?』


エアは遠くに建っていたはずの塔らしきものが近づいてくるのに気がついた。

瓦礫の山をかき分け、黒い塊がずるずるとこちらに向かってくる。


『アレ何かわかる?』


『いや全く』


『神のくせに』


『え……いや、俺は、そういう神ではなく、戦神で……あ、ロキなら分かるぞ、多分』


『戦神だからって言い訳するんだ?』


『……確かめてくる』


『行ってらっしゃい』


神を顎で使えるなんて! エアは自分の優秀さを改めて実感し、自分が世界を征するのはもはや権利ではなく義務なのだと確信した。

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