第204話 何よりも嫌いなもの

アルを思い切り抱き締めていると、全ての不安が覆い隠され穏やかな時間を過ごすことが出来る。

何も考えず、ただ甘えられる。


『しかし、驚いたな。とんだ女誑しになったものだ』


「人聞きの悪いこと言わないで、あとミカは……ほら、天使だから、ちゃんとは決まってないってさ」


『男も誑すのか……』


「アル、僕の話聞いてる? どっちでもないんだって、女の子寄りっぽいし……じゃなくて、そんなことしてない、っていうか出来ないよ。誰が僕になんか騙されてくれるのさ」


『騙しそうにないから騙される、騙されたくなるというのもあるな』


「何それ……とにかく、僕にはそんなの出来ないし、出来たとしてもやらないから!」


アルに構ってもらえるように、わざとらしく拗ねてみせる。

そうするとアルは僕の思惑通りに寄り添ってくれる。

温かい身体を堪能しながら、柔らかい銀の毛に頬を擦る。


『魔物使いの力を持っておいて、よくそんな事が言えたものだ』


「どういう意味?」


『魔物使いは力を振るわずとも魔物に好かれる、散々思い知った事だろう。それを誑しと呼ばず何を誑しと呼ぶ』


「……やめてよ、僕、そんなつもりない。騙してなんて……ないよ」


今度は本当に拗ねた。

誰かを騙した覚えなんてないし、無意識にやっているなんて思いたくはない。

ただでさえ嫌いな自分がさらに嫌いになる。


『ヘル? ああ、済まない。揶揄い過ぎた、貴方を傷つけるつもりでは……』


「いいよ、もう。誑しでも詐欺師でも、なんとでも呼んでよ」


『ヘル……』


困って耳を垂らすアルが可愛くて、もっと困らせたくなる。

擦り寄ってくる体温が愛おしくて、もっと落ち込んでいたくなる。

そう思ってしまう僕が、僕はこの世で一番嫌いだ。

好きなモノをわざと傷つける僕を、この世で最も軽蔑した。


「……もういいからさ、ちょっとお腹貸してよ。少し眠りたい」


『あ、ああ、勿論。許してくれるのか?』


「許すも許さないも、僕はアルに怒ってないよ。アルを許さないなんて、アルに怒るなんて、ありえない。僕が怒るのは……僕が、許せないのは、許したくないのは、僕だ」


『……言葉の意図が、よく分からない』


「アルが好きだよ、世界で一番大好き」


『それは……恐悦至極だ、ありがたいな』


声に滲んだ歓喜の感情は、どれだけ取り繕うとも隠すことは出来ない。

真偽の分からない言葉で喜ぶアルは、憐れになるほど可愛らしい。


「それでね、僕は……世界で一番、僕が嫌い」


『ヘル……それは』


「……ごめん、なんでもない。おやすみ」


反論を聞きたくなくて、慰められたくもなくて、会話を自分勝手に切り上げる。

ああ、本当に、大嫌い。




アルの腹の上に頭を置いて、静かな寝息を立てるヘル。

アルはヘルの髪を舐め、整えていた。

どうしようもなく憐れで、どうしようもなく愛おしい主を慰めていた。


小さな手が、細い指が、銀に光る毛皮に沈む。

簡単に壊してしまえるか弱い主をその黒い翼で隠した。


最愛の人は最愛の人を嫌っている。

その嫌悪はもはや憎悪とも怨恨とも言えるだろう。

幼いその心にそこまで思わせた原因には、アルにも少なからず存在する。

アルはそれを分かっていたからこそ、好かれている事実は胸を痛めた。


『ヘル……私は、私では、貴方を』


守りきることも、幸せにすることも、出来ないのかもしれない。

そう呟こうとした瞬間、頭の上から降ってきた声に体が跳ねた。


『こんにちはぁ、オオカミさん』


アルは戸惑いながらも最上級の敬意を込めて挨拶を返した。

言葉選び一つで身が滅ぶと自らを戒めながら。

声をかけてきた女はその身に大蛇を巻き付けていた。

漆黒のドレスを他靡かせ、僅かに屈んでアルの翼の中を覗き込んだ。


『あらぁ……魔物使いね、久しぶりだわ』


隠してしまいたい、連れて逃げてしまいたい、そんな思いを押し隠しながらアルは頭を下げていた。


『ねぇ、オオカミさん、この子貰える?』


『それは、その、お断り……させて、いただければ、と』


目を逸らしながら、アルは自分でも何を言っているのか分からないほどに混乱していた。


『ふぅん……ダメなの? そう……そうなの』


『申し訳ございません、ヘルは大切な主人なのです』


女が納得するような素振りを見せたため、アルは少し落ち着きを取り戻した。


『でも、欲しいわ』


女が連れていた大蛇がその口を大きく開き、威嚇のつもりがアルの眼前に牙を突き出した。


『……お断りします』


『アナタの意見なんて、興味ないわ』


喰らいつこうと飛びかかった大蛇を躱し、アルはヘルを背負って駆け出した。

その前には既に女が立っていた。


『頂戴』


嫌だと叫んで逃げ出そうと足に力を込める。

だが、それは叶わなかった。

巨大化した蛇に呑み込まれたからだ。


『……余計なのも呑んだわね、まぁいいわ、行きましょ。早くだーりんに自慢したいわ』


巨大な蛇の頭に乗り、女は鼻歌を歌いながら爪を磨いた。

高価そうなドレスが風に靡き、女に羽が生えているように見せた。


羽も牙も角も持たない彼女は、楽しげに魔界の最深部の最奥を目指す。

魔界の王の居城を、彼女の居城を目指し這いずる。

そう、彼女は魔王の妻だった。

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