第203話 どっちが好き?

ミカはこの上なく上機嫌で、アルはその正反対。

アルを宥めようにも言葉が見つからない。


「あー、アル、落ち着いてよ、何か勘違いしてるよ」


『してないよ? ヘルはぼくがかわいいんだよね?』


「可愛い可愛い。可愛いからちょっと黙っててね」


『きいた? かわいいってさ、きみよりも』


「僕の話を聞いてね」


僕の周りに現れるのは話を聞かない奴ばかりだ、目立つせいではなく、確かにそうなのだ。


『……ヘル』


「な、なに? アル」


『貴方の目を覚ましてやる』


「な、何をするの……っ!」


大きく口を開き、飛びかかるアル。

狙いはミカだ、正確にはミカの首。

僕は咄嗟に、そう、反射的に、庇ってしまった。

アルがミカを殺したって、僕には大した不都合はないはずなのに。

ミカを生きて返したって、全ての天使への命令を取り下げてもらえるとは限らないのに。

食いちぎられた腕を見て、心底後悔した。

吹き出す血にパニックになりかけて、痛みがないことに気がつく。

ローブのおかげで痛みはなく傷もすぐに治る。


『ヘル!? ち、違う、私は……貴方を傷つけるつもりでは、ヘル……すまない』


傷は即座に癒えた。

だが、僕には不安が残った。

治癒魔法の限界はいつ来るのか、あとどれほどの傷を負ったら、魔法陣は効果を失うのか。

魔界の最深部で治癒魔法を失う恐怖は計り知れない。

だが、アルを責めることは出来ない。

僕が勝手に割り込んだのだから。


『ヘル……』


「大丈夫、気にしないで。ほら、もう治ったから」


『ヘル、貴方は……その天使が、そんなに大切なのか』


「え? えっと……それは」


違う、と答えることは出来ない。

ミカの前でそれを言えば、僕の今までの機嫌取りに意味がなくなる。

何も言えない僕を見て、アルは深い深いため息を吐いた。


「あっ、あの、アル、これは……その」


『もういい』


「アル…? ねぇ、違うよ? 誤解してるよ、アル。僕は……」


『ミカがすき、魔獣なんてきらい、だよね?』


「違う! もう、黙っててって言っただろ!」


ミカを軽く突き放して、アルに追い縋る。


「ま、待ってよアル。違うんだよ、ねぇ……お願い、信じてよ」


『ちがうってなに? うそついてたの?』


「そ、それも違う!」


ミカに僕の言葉が嘘だと思われる訳にはいかない。

天使への命令を取り下げてもらわないといけないのだから。

違う、では駄目だ。何か別の言葉を捧げなくては。


『……ヘル、もう、きめたら?』


「き、決める? 何を?」


『どっちをえらぶのか』


「そんな話じゃなかっただろ!?」


『ぼくをえらぶなら、きみをてんかいにつれてってあげる。そこでいっしょうかってあげる。そこの魔獣はころすけど。まぁ……わかるよね? 魔獣のほうえらんだって、なんのいみもないよ?』


何の意味もないのはミカを選んだ方だろう、飛べもしないのに天界に連れて帰るだって? よく言うよ。


「…………アル、僕に…… 従 え 」


アルの頭を掴んで、しっかりと目を合わせて言った。

アルの瞳から光が消えて、虚ろに僕を映していた。


「これでいいだろ」


『……ま、いいよ。ゆるしてあげる』


アルには後で説明するとしよう、今はミカのご機嫌取りが最優先だ。

地上に帰った時に天使に殺されないように、ミカに好かれなければ。


「ところでさ、どうやって帰る気なの?」


『魔獣つかうんじゃないの?』


「ミカ、さっきどっちか選べって言っただろ。あれでアルがいなくなってたらどうする気だったの?」


『……こまかいこときにするおとこはもてないよ』


何かある。

考えていなかったなんて間抜けな理由ではない、間違いなく何かを企んでいる。


『いいから、さっさとかえろ。ほら、はやく魔獣とばすの』


「……少し、待ってくれるかな。アルも羽が濡れちゃって飛べないから、乾くまでゆっくりしようよ」


口実だ。

だが本当の理由でもある、アルの翼は確かに濡れていて飛行は不可能だ。

僕がここに留まりたい理由は、ミカが信用できないからだ。

全ての天使から命令を取り下げさせられないのなら、アルに殺させ……ここに置いていこう。


ミカが言ったこともあながち間違いではないのかもしれない。

このところの僕は少し発想が物騒で、魔物使いの力を振るうのにも慣れて、しかもそれに酔っている。

魔王になるのではなんて疑われても仕方がないのかもしれない。

不確定な不安は、確実な未来よりも恐ろしい。


『しかたないなぁ、じゃあかわいたらよんでね』


「分かったよ……って、どこ行くの?」


『みまわり、悪魔がちかくにいちゃ、あんしんできないからね。とくに、なんにもできないいまはね』


「そう……気をつけてね」


心のどこかは「そのまま帰ってこなければいいのに」と思っていた。

自己嫌悪に陥るしかない思考を諌めるために、頭痛を慰めるように頭を叩いた。

隣に座ったアルを抱き締め、ミカが遠くに行ったことを確認して力を抜いた。


「アル、もういいよ。ごめんね」


アルに流し込んでいた魔力が止まり、体中の力が抜けていくような感覚が消えていく。

少し体が軽くなり、意識が明瞭になっていく。


『……ヘル、貴方が本気であの天使を好いたと言うなら、私は』


「しー、ちょっと静かに。小声で話してくれる?」


『ああ、仰せのままに』


「……まずね、ミカのこと好きなわけじゃないよ。それは勘違い。ミカは全ての天使に命令出来るみたいだからさ、僕の抹殺命令も取り下げられるはずなんだよ。だから、今のうちに仲良くしておこうと思って」


『……つまり、なんだ? 貴方は天使を誑かしているのか?』


「言い方……いや、そうかもしれないけどさ、言い方もうちょっと、気を使ってよ」


アルは安心したと僕の胸に頭を埋めた。

甘えるように押し付けられる額に、懐かしさを感じる。

最近はこうやってアルと戯れることも少なくなっていたから、なのかもしれない。


「協力してね」


アルは勿論だと言うように低く唸った。

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