第175話 水入らずは訪れず

朝日がこんなにも気持ちいいのは初めてだ。

珍しい早起き、まだ眠ったままのアル、窓から射し込む日光に照らされた銀色の毛が美しい輝きを放っている。


「アル、起きて」


『ん……? 早いな、珍しい』


「今日はアルが一緒に居てくれるって言ってたから、なら少しでも起きてないとね」


『ふっ……可愛いことを言ってくれるな』


まだ眠いのか、アルは片目を閉じたまま僕に擦り寄った。

柔らかい毛が僕を癒してくれる、身も心も。


『この時間では朝食もまだだろうな、暇ではないのか?』


「ううん、アルが居るから」


『そうなのか。なら、昨日と一昨日は?』


「寂しかった」


『……そうか、すまなかったな』


まぁ話し相手も居たし、暇でもなかったのだが。

こう言っていた方がアルも喜ぶだろうし、僕から離れる気もなくなるはずだ。


「あ、ねぇアル、ちょっと聞きたいんだけど」


あぁそうだ、昨日の疑問を解消しておこうか。


「例えば……アルが人間の女の子だったとして、僕を好きになったとしたらどこを好きになると思う?」


『よく分からん質問をするな……前提が多過ぎないか』


「良いじゃん別に。ただの例え話だって」


『そうだな。貴方に恋をするとして……か、まぁ今と大して変わらないと思うぞ』


「どういうこと?」


『貴方は放っておけなくなる、一人にすると怪我をするし、寂しがるし、傍に居てやらねばと思うようになる』


ミーアにも「放っておけない」と言われたな、落ち着いて考えると何だか情けなくなってきた。


「それはさぁ、何か……違うと思うよ? 何かほら、恋愛って感じじゃない」


『ほう、貴方は恋愛を語れるほど経験豊富だったのか、知らなかったな』


アルは僕を煽るようにわざとらしく驚いてみせた。


「いや、そんなんじゃなくてさ」


『貴方の言いたいことは分かっているさ、少しふざけただけだ。ふむ……愛情の対象となる者を想像してみろ、赤子や小動物などが思いつかないか?』


「んー、まぁ、可愛いとは思うけど。それ関係ある?」


赤子や小動物に恋愛感情は抱かないだろう。

特殊な性癖の方は知らないが。


『支配しやすいだろう?』


「……どういうこと?」


『大人しく可愛らしい、小さなモノ。それは自らの思い通りになりやすい。だから愛情の対象となりやすい』


何だその薄暗い理論。

僕はもう少し明るいものを期待していた、色で言うなら薄桃色くらいの。


「それ、やっぱり恋とかじゃないよ」


『全てとは言わんが、貴方が好かれる場合は全てこうだと思うぞ? 少し離れれば寂しがり、傍に居てやれば笑顔になり、常にしがみついていようとする。これ程可愛らしいモノはあるまい』


「……何か、馬鹿にされてる気がする」


『していない、可愛いと言っている』


「思い通りになるからなんて、アルそんなこと思ってたの?」


『いや、思い通りと言うよりは頼ってくるのが嬉しいと言うべきだな。今のは恋の場合だ。貴方は私の主なのでな、思い通りにならねばならんのは私の方だ』


「納得いかないなぁ」


昨日僕を好きだと言ってきたミーアは、僕を思い通りに出来ると考えていたのか? そうなるとさらに薄気味悪い。


『まぁ人によるとしか言えんな。だが対等な人間なら貴方は支配される側だろう』


「えー……まぁいいけど。楽そうだし」


こういうところか? 支配しやすいというのは。

やはり僕にはまだ早いと結論を出そうか。

僕を好きになるような趣味の悪さは理解し難い、ミーアには何と言うべきか。


『なんだ、好きな者でも居るのか』


「え!? いやいや、居ないよ。例え話だって」


『そうか……ならいい』


アルの瞳に微かな光が灯る、怪しく狂気的な光が。


『愛しい私の主がどこの誰とも知れぬ阿婆擦れに騙されるなど我慢ならんからな』


「あはは……もし騙されたら?」


『ソレを腹の中に納めてやろう。貴方が気付かぬようにな。そうすると貴方がまた寂しくなって、私を頼ってくる。一挙両得さ』


「………頭良いね」


『まぁな』


ミーアのことは言わないでおこうか、僕が恋した訳ではないのだが、アルが何をするかは分からない。

自分を好きだと言ってくれた人が喰われるのは目覚めが悪い。

その本心が分からず気味が悪いと言っていても、好意が嬉しくない訳でもないのだから。


『……さて、そろそろ時間だ。下に行こう』


「え? あー、ご飯。今日は何かな」


ベッドからアルの背に転がり移り、首に腕を回す。

階段を降りる時はずり落ちそうになって怖かったが、問題なく一階に降りた。

問題があったのはそれからだ。


「あ、アル……ねぇ、アル!」


『落ち着け、聞こえている』


噎せ返るような血の匂い、赤黒い壁に床に天井。

端に転がった赤い塊の正体は考えたくもない。


『酷いな』


「うん……あ! アル、あっち!」


カウンターの奥、棚の影に人影を見つけた。

蹲って震える大柄な男、大きな尻尾が力なく垂れていた。


『おい、店主。何があった』


尖った耳が跳ねる、店主は怯えきった目で僕たちを見た。


「うわぁぁぁあああ! く、来るなぁ! こっちに来るな! 化物ぉ!」


店主は半狂乱になって包丁を振り回す、刃こぼれしたそれには黒っぽい塊がこびりついている。


『おい、落ち着け……ダメか。仕方ないな』


アルは冷静に包丁を叩き落とし、尾を鳩尾に叩き込んだ。

店主は短く声を漏らし、唾液を垂らして倒れた。


『何があったか全く分からんな』


「何かに襲われたとかかな、化物って言ってたし」


『ふむ、だが部屋を見るにそれらしき跡はないぞ? 化物というなら壁や机を破壊していても良さそうなものだ。それに喰った形跡も無い、喰う以外で人を襲う魔物などそう居らん』


「……魔物じゃないのかも」


『確かに魔力は感じんな』


食堂には朝食が食べかけで残っていた、椅子も机も倒れてはいるが壊されたものはない。

血を流し倒れている人にも、体の欠損は見当たらない。


『まだ生きている者も多いな。やはり魔物ではない……ふむ、殺し合ったな』


「へ? ころし……なんて?」


『傷を見ると、爪や歯形が多い、そしてどれも小さいだろう? この大きさの爪や牙を持つ魔獣なら獣人が負ける事も無いだろうから獣人のモノだと推測出来る』


あまり傷は見たくないのだが、折角説明してくれているのだから見ない訳にもいかない。

……見てもよく分からないな、見なければよかった。


『刺し傷も見て取れる、これは食器……ナイフやフォークだろう。刺さったままのもある』


「……えっと、殺しあったってのは分かったけど、何で?」


『さぁな、頭を使うのは苦手だ』


僕からしてみれば十分だ、あの推理で苦手というなら僕はどうなる。


『さて、どうするか。状況も分からず外に出るのは得策ではないぞ』


「うーん……でも、ここに居ても仕方ないって感じもするし」


アルは僕の判断を待っている、今のような状況ならアルが判断を下した方が良いと思うのだが。


危険に対する怯えは勿論あるが、未知への恐怖も同じだけある。

どちらを解消すれば解決になるのか、答えは明白だ。

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