第176話 第壱之惨劇

がた、がた、がたがたがたっ! かたっ。


棚をひっくり返し、クローゼットを引っ掻き回し、男は何かを探していた。


「ふーっ、ふーっ……どこだ、どこに行ったぁ!」


青い目をした白猫の獣人、彼はミーアの父親だ。

窓際に倒れているのはミーアの母親、腹に深々と突き刺さった包丁が彼女の意識を奪った得物だ。


「化物め、出てこい! 卑怯者が!」


彼が探しているのは化物だ、自分と同じ大きさの異形の化物。

この家には二体居た、そのうち一体はもう倒した。ほら、窓際に居るだろう? そう、その包丁が刺さっている奴だ。

あと一体……あと一体は、向かってこずにどこかに逃げた。

愛する妻と娘の姿は見えない、あの化物どもが喰ったに決まっている。


復讐せねば。




ミーアは自室のベッド下で声を殺して泣いていた。

いつも通りの時間に帰ってきて、朝食の準備を始めた母。

父はと聞くと「この包丁が鈍くなってきたから、新しいのを買いに行ってもらってるの」と言っていた。

父が帰ってくるまでは卵くらいしか調理できないね、と笑っていた。


帰ってきた父は、おかしくなっていた。

何かから逃げてきたかのように怯え、新品の包丁を誰のものとも知れぬ血で汚していた。

母の腹に包丁を突き立てた。

そして今、自分を探している。


「どこだぁぁああ!」


また何かが壊れた音がした。

今はリビングに居るが、いつこちらに来るか分からない。

今のうちに玄関に向かうべきだろうか、それともこのまま隠れているべきだろうか。


そんな思案をしていると、自室のドアにつけた鈴が鳴った。

震えながら目を開けると、父の足が見えた。

父は今クローゼットを漁っている。

大丈夫、ベッドの下なんて見る訳ない、こんな所に居るなんて思わない。

そう自分に言い聞かせた。

必死に息を止めて、時が過ぎるのを待った。


「……みぃつけたぁ」


狂気に満ちた真っ青な目と目が合った。

腕が伸ばされ、爪が突き立てられる。

ベッドの下から引きずり出された少女は、父の目を狙って爪を伸ばした。


「ぐぁっ……くそっ、どこだ! この……ここかぁ!」


当てずっぽうで腕を振り回し、怒声を上げる。

ミーアは父の横をすり抜けて玄関へ向かった。


移動には音が伴う、そして今の父は音に非常に敏感だ。


「待てぇぇええ! このっ、化物がぁ!」


自分の娘とは分からず、父はその爪を振るう。

ミーアは顔を庇って切り裂かれた腕を押さえながら外を走る。

靴なんて履いている暇はなかった、砂利が足の裏を傷つけていく。

だが止まる訳にはいかない、父はまだ追ってきているのだから。


脇目も振らず走り回って、ミーアは何かに躓いた。

それが仲の良い隣人の死体だと分かって、泣き叫ぶ。


「はぁ、はぁ……手間を取らせて、今、殺してやる」


「や、いや、やめて、お父さん!」


心の底からの叫びも父には届かない。

だが、助けは来た。

振り上げられた父の手の中心に矢が突き立つ。

荒削りの石の矢じりは肉にくい込んで抜けない、簡素ながらも十分な出来だった。


「やい親父ィ! 娘っ子襲うたァイイ趣味してんじゃねェか!」


「コルネイユ!」


「とっとと逃げな、猫被りィ! 今は男の目はねェぜ!」


再び弓を番える……だが、父は矢が飛ぶよりも速くコルネイユに突進した。


「うおっ! とォ、危ねェ危ねェ」


猫の獣人の身体能力はバカにできない、コルネイユは弓矢を捨てて走り出す。

助けた友人の姿はもう見えない、どこか安全な場所に逃げ込めれば良いのだが……いや、安全な場所など本当にあるのか?

コルネイユは一人工房で作業をしていた、そして騒ぎを聞いて外に出てこの惨状を知った。

原因は分からないが、皆が皆相手を化物だと思い込んで殺しあっている。


翼を広げながら、コルネイユは思索する。

化物だと思い込む相手に関連性はない、肉親……娘にまで殺意を向けると分かった。

空を飛んで原因を探ろうか、飛行が安定してしまえば獣人には追えまい。

大きく広げたコルネイユの翼は風に乗り、その体を宙に躍らせた。


「っしゃァ! 飛んじまえばこっちのモンよ!」


風を読んで、高度を上げる……つもりだった。

振り返った少女の眼前に、爪が迫っていた。


「……そりゃねェだろ、親父さんよ」


猫の獣人の身体能力はバカにできない、それはコルネイユも分かっていた。

だが跳躍力が家よりも高いなんて知らなかった。

飛び立った直後なら捕えられるなど、誰も教えてくれなかった。


「あー……読み違うたァ格好悪ィ、最悪だァ」


全身の痛みに体は動かず、これから降りかかるさらなる痛みに震えだした。




宿の外でも状況は変わらない、血を流して死ぬ……または呻く人ばかりだ。


「本当に、何があったらこうなるんだよ。この人達みんな殺しあったんだよね?」


『いや、まだ分からん』


アルは警戒を強めて尾を僕の腹に巻き付けた、走ろうと飛ぼうと僕を落とさないようにと。

僕も落ちないようにとアルにしがみつく。

そんな時だった、背後の草むらが揺れたのは。


「ヘルさぁぁん!」


飛び出してきたのはミーアだった、僕の名を呼んだことでミーアはアルの警戒対象から外れていた。

もし何も言わずに飛び出してきていればどうなったことか。


『誰だ、貴様は』


「知り合い。ミーアって子だよ」


「にゃー! 怖かったにゃ、怖かったにゃー!」


「わ、ちょっと……落ち着いてよ。何があったのか僕全然分かんなくて」


「私もよく分かってにゃいにゃー! みんにゃおかしくにゃっちゃってるんだにゃ!」


にゃあにゃあと騒ぎ立てながら、ミーアはたった今体験したことを話した。

父が母を刺したこと、父に襲われたこと、危機を友人に救われたこと……


「やっぱりよく分かんないなぁ……何があったんだろ。

いや、それよりさ、コルネイユさんは大丈夫なの?」


「にゃ、コルネイユちゃんは頭良いし、空も飛べるから大丈夫にゃ! お父さんは頭悪いし空も飛べにゃいにゃ!」


「頭悪いは言わないであげなよ」


頭脳はともかくとして、空を飛べるなら大丈夫だろう。

こちらから何かせずともそのうち合流するはずだ。


『いや、待て。貴様は猫の獣人だろう? なら父親もそうだな』


「にゃ? にゃあ、お父さんも猫にゃ」


『獣人の身体能力は人間よりも遥かに高い、猫科のモノはそれが顕著だ。反対に鳥人は大した力を持たない、重たい人間の体を持ち上げるために骨が人間よりも細く軽い』


「え……っと、捕まったらまずいってことだよね。でも飛べるなら大丈夫だよ」


アルは僕の反論にもならない意見に難しい顔をして黙り込んだ。

漠然とした不安が僕たちを襲う、ミーアはいつの間にか泣きそうな顔をしていた。


「にゃ、にゃ、ヘルさん……コルネイユちゃん」


「あ、アル……お願い」


アルはミーアもその背に乗せて走り出す。

僕は血塗れの村を見ないようにと顔を伏せ、アルにしがみついていた。

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