第164話 魔物の視界

鈍い音と共に扉に打ち付けられた板が折れて剥がれる。

先程まで愚痴を叫んでいたルートは物陰に隠れ、自分を抱き締めるように腕を組んだ。

鎖を噛む鋭い牙が見え、断ち切られた鎖が情けなく落ちた。

部屋に射し込む太陽の光と、それに照らされた銀色の毛。


「…………アル!」


無理矢理体を起こして、足を引きずる。

這いずった跡はやはり赤黒く染まっていた。


『ヘル! 何処だ、何処にいる。返事をしろ!』


アルは辺りを見回し、そう叫んだ。

今確かに僕の方を見たのに、気がつかなかった。


「アル……? 僕はここだよ、こっち!」


力を振り絞って叫ぶ、だがアルは僕の声が聞こえていないかのように全く別の方向を見ていた。

そして広間を走り抜け、アルの姿は見えなくなった。


「……な、何だかよく分からないけど今のうち……なのか?」


物陰からルートが這い出て、注意深く辺りを見回した。

再び扉が開いて、今度は見覚えのない少女が入ってくる。

見た目からして悪魔……服装から見て淫魔だ。


「ひっ!」


ルートは短い悲鳴を上げ、物陰に戻った。


『ヘルくーん……と、キミかな?』


少女は僕の前にしゃがみ込み、首を傾げた。


「そう、だけど……誰?」


『アシュちゃんだよ〜、あれ? わんちゃんは? っていうか……キミ、ホントにヘルくん?』


「僕がヘルだけど……何で?」


『んー、聞いてたのと違うかなって。魔物使いじゃないんじゃん。結構期待してたのに〜』


「…………え?」


アシュは残念だと肩を竦める、魔物使いではないとはどういう意味だろうか。

漠然とした不安を感じていると、アルが走って戻ってきた。


『アシュメダイ様!』


『あ、どこ行ってたの〜? ヘルくんはここに……』


アシュの言葉を待たず、アルが続けた。


『ヘルが……ヘルが何処にも居ません!』


『え? 居ない?』


『騙されました! 今すぐ彼奴を締め上げて本当の場所を聞き出しましょう!』


アシュの腕に前足をかけて急かす、アシュは不思議そうに僕を見つめた。

アルは僕を確かに見ているのに、僕が僕だと気がつかない。


『ヘルくんって、このコじゃないの?』


アシュが僕を指差す。

アルは怪訝な顔で僕を見つめて言った。


『……違います』


『そーなの? じゃあキミ誰?』


「え? な、何言ってるのアル。やだな、変な冗談やめてよ……ねぇ、冗談、なんだよね」


『んーでも、アシュちゃんはヘルくん魔物使いだって聞いたし、見た目も微妙に違うよ? 片目隠してるってのは一緒だけど、キミ、髪真っ黒じゃん』


真っ黒……? 毛先から半分ほどは白くなっていたはず。

僕は自分の髪を掴み、見えるように引っ張った。

毛先、毛先……黒い?


『もう一度捜してきます、魔力の痕跡は確かにありますから』


呼び止める間もなく、アルの姿は再び奥に消えていく。

ぎぃという音に振り向くと、壊れかけた扉を抜けるルートの後ろ姿が目に入った。


『……あれ? キミ、目どうしたの? 取れてる』


「あ、えっと、さっき抉られて」


『へー……ん、ちょっといい?』


アシュは僕の眼孔を覗く、そしてその下に垂れた血を舐めとった。


『ん! 美味しい! この暴君的な味! 間違いないね、これは魔物使いの血だよ!』


「………あの」


『あー、ごめんごめん。ところでさ〜、この血の主さんはどこかな〜?』


「だから、僕だって」


『……違うよ? 』


「そうだよ! どう見たって僕の血だろ!?」


『んー、でも、足から出てる血と匂いが違うんだよね〜。正確には魔力だけど』


「……どういう意味?」


『んー、人間に説明するのは難しいんだけど、血ってのはね、魔力の味が一番分かりやすいんだよ〜。だから血を飲めばその人間がどんな人間か……例えば、魔術が得意だとか呪術をよく使うとか、そういうのが分かるんだよね〜。魔物使いってのはとびきり特別な味をしてるから、匂いだけで分かるよ』


血が美味いと言われた事は何度もある、今だってそうだ。

アシュが言っているのは顔についた血と足から流れた血は違うということだ。

同じ体から流れ出た血が別人のものだなんてありえない。


『ちょっと待ってね。こっちも』


アシュの指が足の傷を抉った。

指をしゃぶりながらアシュは難しい顔をする。


『んー……アレだね、味は同じだけど薄〜い、みたいな〜?』


「…………えっと?」


『だーかーらー、薄くなってるんだよ、魔力が』


「どういうこと?」


『知らないよ〜』


「……アルが僕に気づかないのと関係あるの?」


『関係どころかソレだよ、キミの魔力が薄まって見えにくいんだよ〜きっと。魔物の眼は基本的に光より魔力を優先するからね』


訳が分からないといった顔をする僕を見て、少女は魔物の眼について説明する。


『ほら〜蛇ってさ〜、温度が見えるって言うでしょ〜?』


「そうなの?」


『……目はね〜、光を受けるの。その情報を頭……脳かな? そこに渡して視覚にするの。人間はそこで終わりだけど、魔物はそこに魔力が追加されるの〜』


「えっと……?」


『光の情報と一緒に、魔力の情報を得る器官になってるってことね。魔物は魔力が視えるんだよ。まぁ聴いたり匂ったりってのもあるけどね』


アシュはニコニコと笑いながら自分の目を指差す。普通なら黒い円のはずの瞳孔は、赤いハートの形になっていた。


『あ、アシュちゃんのは魔眼だよ。人間にもたまにいるけど』


「……あ、僕も」


『魔物使いは確か魔眼だったよね〜、いぇーい仲間仲間〜』


アシュは楽しそうに僕の手を叩く、一方的なハイタッチ。


『魔眼はものによって構造違うんだよね〜。魔物使いのは多分増幅器じゃないかな? 魔力を増幅、対象を選別、からの発動。アシュちゃんもそんな感じ〜、いぇーい仲間仲間〜』


アシュは再び楽しそうに僕の手を叩く。


「……えっと、アシュ…? のは、どんな目なの?」


『んー? コレ? 可愛いでしょ〜ハート』


「あ、うん。可愛い」


『欲情させたり〜感度上げたり〜、そんな感じかな〜』


「…………そっか」


反射的にアシュから目を逸らす。

特に意味は無い、いや本当に無意味だ、本当に。


カチャカチャと足音が聞こえて振り向くと、アルが何かを咥えて走ってきた。


『んー? 何コレ』


『ヘル……かな、と』


『わんちゃん、キミのご主人様は手のひらサイズなのかな〜?』


『……いえ、平均以下ではありますが常識からは外れていない人間の大きさです』


アシュは一つの玉が入った瓶を眺める、それが僕の目だと気づくのは僕にも時間がかかった。

アシュは蓋をこじ開け、眼球を手のひらで転がす。


『あー……目だね』


『目!? まさか、ヘルのでは……無い、ですよね』


『いや、ヘルくんのだね。そうでしょ?』


アシュは僕を見ながらそう言った。

狼は驚いた顔をして僕とアシュと眼球を順番に見た。


『……ヘル、なのか? 本当に』


「分かんないの?」


『……ああ、分からん』


『魔物使いの力が体にちゃんと定着してないのに魔眼取られちゃったから、魔物使いの力が弱まっちゃったんだね〜多分』


アルは怪訝な顔をしつつも、僕の胸に顔を埋めた。

ぐりぐりと押し付け、かと思えば急に顔を上げる。


『ヘルだ!』


『魔力からじゃない方の匂いだね〜、流石犬』


「…………嬉しくない」


『まぁまぁ、一件落着じゃん?』


どこがだよ、そう叫びたい。何も解決していない。

ようやく僕を見つけて嬉しそうなアルを見て、少し虚しくなった。

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