第163話 ペットを増やそう

中央広場。

大勢の人と淫魔が賑わう酒食の国の中心地。

派手なライトアップがなされた噴水の前で、一触即発の空気が流れていた。


『……悪いな、よく聞こえなかった』


毛を逆立てて、アルは低く唸る。

対峙するのは黒いスーツとマントに身を包んだ男──ヴェーンだ、その服にはところどころ血のシミが見えた。


「魔物使いのガキを預かってる、返して欲しけりゃお前が持ってる本を返しな。って言ってんだぜ」


『本……? ああ、これの事か?』


アルはルートから奪った日記を尾に絡めとる、何かあると見て持ってきたのはいいが、まだ中身を見てはいなかった。


「あー、多分それだわ。俺のじゃねぇから分かんねぇけど。ほら返せ」


『……ヘルを何処にやった』


「本を返せってんだよ。ガキはその後だ」


『いいや、ヘルが先だ』


「いや、本が先だ」


永遠に交わることのない平行線。

アルは本を絡めた尾を揺らし、ヴェーンを挑発する。


『質問を変えよう、貴様の目的は何だ』


「目的ぃ? ああー、そうだな。別にねぇな。ルートに頼まれただけだからな」


舞台装置として手を貸してくれれば、後で主役を引き渡す。

そんな約束はあったが、好みの目が手に入らなかった今、ヴェーンに目的はない。

趣味の拷問や食事としての血液も目的でもあったのだが、虹色の目が手に入らなかったことでその気もなくなっていたのだ。


『そうか、ならその血は何だ? ヘルの匂いがする、ヘルに……何をした』


威嚇するように翼を広げる。


「ああ、逃げようとしたからちょっと足を刺しただけだぜ。その後も動いてたし、止血もしたから多分まだ生きてる」


目の件は話さずに、マントの端に染み込んだ血をアルに見せる。

彼等の会話を少し離れた所で聞いていたアシュは、その血を見て微かに笑った。


『…………本物』


誰にも聞こえない小さな声で呟いた。

そして、まとまらない会話をまとめるために、アシュはアルとヴェーンの間に割って入る。


『まーまー、ちょっと落ち着きなよ』


『……私は落ち着いています』


「俺も、だな」


『そーかなー? わんちゃん、今にも飛びかかりそうだったよ〜。まぁそれはそれとして〜、おニーサン。取引の場所変えな〜い? 交換は同時にスるものでしょ〜?』


「何が言いてぇんだよクソ淫魔」


ヴェーンの暴言にアシュは笑みを深くする。

ヴェーンには魔力の本質が見えていない、つまりその程度の者だということだ。

相手の強さが分からないのは、自分が弱いから。それも分からないのは愚かだから。


『イイ口の利き方するねぇ……アシュちゃん滾っちゃう』


「チッ……で? 何が言いてぇんだって聞いてんだよ」


『そのコがいるとこまでわんちゃんとアシュちゃん連れてって? そこで本を渡すから〜、おニーサンもそのコを返してね〜』


「同時に……って、そういうことかよ。まぁ、いいか。手っ取り早く済みそうだしな」


着いてこいとヴェーンは歩き出す、アシュはアルに跨って、そっと首に腕を回した。

腰を突き出し、背を反らし、アシュの小さな体は翼の中にすっぽり収まる。


『……よいのですか? アシュメダイ様、同行していただいて』


『いーのいーの、暇だし〜、魔物使いにも興味あるんだ〜。あ、ねぇ……味見、いいかな?』


アシュは首を曲げて、アルの顔の横に頭を垂らした。

濃い桃色の髪がアルの目にかかる。


『……ま、おふざけはこのくらいに』


アシュがアルの首に絡めた腕の力が強くなる、アルの耳に唇を触れさせて、低い声で話し出した。


『着いたらキミはヘルってコを捜しなよ、本は適当に投げておいて? あのおニーサン、アシュちゃんが食べちゃうから』


『……分かりました』


『あとね、もう一人いると思うけど、そっちもキミは気にしないでいいからね』


アシュは顔を上げて、ヴェーンを見つめる。

髪と同じ色の瞳に、赤いハートの模様が浮かんだ。

舌舐めずりをして艶っぽく笑う。




次第に人通りは減り、建物も華やかさを失っていく。ここから先は住宅地だ。


「んーと……もうすぐだ」


『そーなの? アシュちゃんはもうちょっとかかっても良かったかな〜。わんちゃんの上、とぉっても気持ちイイから……』


「そーかよ。そりゃ残念だったな」


『わんちゃんの背骨がね〜、イイ位置にくるの』


「聞いてねぇし」


ヴェーンは軽蔑の眼差しを向け、アシュはさらに蕩けた顔を返した。

アシュはアルの耳元で再び囁く。


『ねぇわんちゃん、これが終わったら私とシない? だーいじょうぶ! アシュちゃんは両方あるから、女のコともできるよ』


『…………遠慮します』


『そーぉ? 残念。まぁダンピールが手に入るならイイかぁ』


ヴェーンは立ち止まり、目の前の大きな洋館を指差す。

アシュはアルから降りてヴェーンの腕に抱き着いた。


『ここなの〜? おっきいねぇ……』


「あーもう、うるせぇ。ほら犬公、さっさと本返しな」


ヴェーンは本を返せと手を上下に揺らす。

腕に抱き着いたままのアシュは親指で家を指し、アルに合図を出した。

アルは尾に絡めてあった本を捨て、扉に体当たりする。

ベきり、と音を立てて打ち付けられた板は簡単に折れ、剥がれた。

扉は僅かに開いたが、まだ鎖が残っている。


「あー……まぁ、いいか。俺もう関係ねぇし」


ヴェーンは落ちた本を拾い、鎖を喰いちぎるアルを冷めた目で見ていた。

アシュは屈んだヴェーンの顔を掴み、無理矢理目を合わせた。


「んっだよ、離しやがれ!」


ヴェーンはアシュを殴り飛ばそうと腕を振り上げるが、その手は途中で止まる。


『乱暴なのも嫌いじゃないけどね。今は気乗りしないかな』


アシュの細い指がヴェーンの唇をなぞる、指先を優しく差し入れてそっと口を開かせた。

アシュはヴェーンの顎を引き、腕を頭に回す。

ヴェーンは酔ったような目で、吸い寄せられるようにアシュに口付けた。


直後、ヴェーンの体から力が抜ける。

手足はだらりと放り出され、腰は地面に縫いつけられた。

反対に立ち上がったアシュはヴェーンを優しく蹴り転がし跨いで見下ろした。


『堪え性のないコだなぁ、まぁその方がカワイイから、アシュちゃんは好きだよ?』


ヴェーンの額に指先を触れさせて、そっと呟く。


『ラプチャー・タイム……大人しくしててね、そうしたら後でもっと可愛がってあげる』


壊された扉から中に入っていくアシュを睨みながらも、ヴェーンはそれを阻止できないでいた。

体に全く力が入らない。意に反する快楽ほど不愉快なものはない。

もう一度目に入ったら殺してやろうと心に決め、荒れ狂う快楽の波に身を任せ、放出できないもどかしさを感じながら体を動かす努力もやめた。

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