第162話 綺麗な物には居場所があります
ヴェーンに気付かれずにドアに辿り着く。
後ろ手に開けたドアは上手い具合に軋まずにいてくれた。
立ち上がろうと腕に力を入れた瞬間、天井からぶら下がったコウモリが鳴き喚く。
「や、や め ろ ! 黙 れ !」
咄嗟にそう叫ぶ、コウモリは即座に鳴くのをやめたが、ヴェーンは僕が逃げ出そうとしたことに気がついた。
「あ……と、止ま……」
言い終わる前に、太腿に鋭い痛みを感じて泣き叫ぶ。
ヴェーンが模造刀を突き刺したのだ。
飾りとはいえ尖った金属の塊であることには変わりない、思い切り力を込めれば簡単に刺さる。
そしてその痛みは、刃を持たないことで本物の刃物よりも強くなっていた。
肉を裂かずに押し潰して進む刃先は、とうとう骨に達した。
硬い骨の手応えを感じたヴェーンは、模造刀を抜かずに手首を捻った。
肉を巻き込みながらゆっくりと回転し、穴を大きく拡げていく。
「……いちいち喋れねぇと操れねぇわけ? 結構使いにくいんだな」
見なければ、聞かせなければ、相手に命令することはできない。
ヴェーン言う通りだ、どれだけ持て囃されていても魔物使いの力など大したことはない。
「ま、どうでもいいか」
ヴェーンは模造刀から手を離す、床に落ちて高い音を立てる刃先は僕の血に塗れていた。
声を出せるほど呼吸は落ち着いていない、馬乗りになるヴェーンを押し退ける力など最初からない。
僕の胸に乗って、腕を足で踏み、顔を膝に挟む。
ヴェーンのやろうとしている事が手に取るように分かった。
僕の予想通りにヴェーンは僕の目を抉った。
邪魔だと言って髪をどけて、瞼を開いたまま指で抑える。
もう片方の手には小さな刃物が握られていた。
眼孔の両端に指を差し入れて、無理矢理引っ張る。
そこに更に刃物を差し込んで、目玉に繋がった筋肉だとか神経だとかを切り取る。
思っていたよりも簡単に、短時間で僕の目は奪われた。
ヴェーンは無邪気な笑顔で僕の目を僕に見せた。
残っているのは左眼、取られたのは右眼。
白く濁ったような虹彩……白? 僕の右眼は確か、魔物使いの力が目覚めた影響で虹のような鮮やかな色になっていたはず。
「………は? おい、どうなってんだよ! お前の目、こんな色じゃなかっただろうが!」
ヴェーンにも分かったらしい、どうなっていると聞かれても答えられない、僕が知りたい。
「クソっ、こんな色が抜け落ちたの、綺麗でも何でもねぇ。まぁ珍しいっちゃ珍しいが……クソったれ!」
ヴェーンは苛立ち紛れに立ち上がり、僕の腹を強く踏みつけた。
「はぁ……なーんかやる気失くした、もういいわ。もうお前好きにしていいぞ」
ヴェーンは僕の眼を持ったまま、先程の部屋に戻る。
綺麗ではないだのと言っていたが、一応コレクションには加えるのか。
一番下の段だろうな、なんて考えてみたり。
右眼のあった場所からはぽたぽたと血が落ちている、手で触れてみれば、何か筋のような物が垂れていた。
片足は上手く動かない、出血も痛みも酷い、このまま死んでもおかしくない。
ずる、ずる、と嫌な音が廊下に響く。
気紛れに体を起こせば、ナメクジが這った跡を彷彿とさせる血の道ができていた。
朦朧とする意識の中、ヴェーンが誰かと言い争う声を聞いていた。
「全く君って奴は! 殺傷禁止だと言っただろう! 人質として使えないではないか!」
「うるっせぇな! お前がコロコロ変えるからいけねぇんだろ! そもそも何だよ人質って、物語作ってんじゃねぇのかよ! つーかまだ死んでねぇし別にいいだろ」
「殺傷の意味を知らないのか!? 殺すことや傷つけることだ。もう一度言うぞ、傷つけることだ!」
「ああ、うるせぇ。なら手当でもしてやれよ」
「え、い、嫌だ、触りたくない……血なんて見るのも嫌だ」
「いっつももっと酷ぇ話書いてんだろが」
足音が近づく、誰かに腕を掴まれる。
引きずられていくのを感じながら、ぼうっと目を開けた。
霞んだ目には流れていく天井しか映らない。
しばらくすると僕を引きずっていた誰かの足が止まる。
その人は僕の足の傷に何かを垂らした。
「これでいいだろ、俺ダンピールだからそこまでの効き目はねぇし、眷属にもならねぇ」
「う、うーん……よく分からないが、血が気持ち悪い」
「お前なぁ……まぁいいや、これ以上言うのも面倒臭ぇ」
「よ、よし! では早速あの狼に復讐だ! 早く本を取り返さなくては、物語の続きが書けない」
「魔力込めた紙なら何でもいいんだろ? アレじゃなくてもよ」
「何ヶ月も肌身離さず魔力を込め続けなくてはならないんだぞ!? そう何冊も作れるものではないんだ!」
何故か痛みが引いていく、意識も明瞭になっていく。
腕に力を入れると、いつもより簡単に上体を起こすことが出来た。
「おー、ほら、起きたぜ」
「ああ、なら早くあの狼に知らせろ、この子を返して欲しければ本を返せとでも言って」
「俺がやんのか?」
「本がなければワタクシは何も出来ない」
「はぁ……情ねぇなぁ。」
今までの会話から男達の目的はなんとなく分かった。
アルが持っていった本を取り返そうとしているらしいということだけが、肝心の本が何か分からない。
アルが本を持っていく理由も分からない、僕が倒れてしまう前か間に何かあったのだろうが、それを聞くのは難しそうだ。
「じゃあ、俺はその狼? 狼んとこ行ってくるから、お前はこのガキ見張ってろよ」
「え……でも、この子、怪我しているではないか」
「だったら何だよ、元々のお前の目的だろ?」
「…………血、嫌い」
「行ってきまーす」
ヴェーンは窓を開けて外に出た、その窓もすぐに残った男に鍵をかけられる。
脱出は不可能だろう、それにこの足で逃げてもすぐに捕まってしまう。
痛みが幾分かマシになったとはいえ治った訳ではないのだから。
「厄介なことになった……やはり、魔獣などに手を出すべきではなかったな」
「………あ、あの」
「ひっ! な、なんだ! う、う、動くな!」
血が嫌いだと言う男はまるで幽霊でも見たような反応をした。
まぁ、この怪我では幽霊と言っても間違いではないか、一度死んだこともある訳だし。
少しでも情報を集めようと思ったのだが、あまり期待できそうにはない。
「あの、あなたは誰なんですか? どうして……えっと、僕を狙ったんですか?」
「……まぁ、冥土の土産とも言うしな、いいだろう。教えてやる」
男は先程までとは打って変わって冷静に話し出した、僕から必死に目を逸らして。
「ワタクシの名はルートヴィク、世界最高の作家なのだ。そしてある日、ワタクシは秘められたる能力に気がついた。そう、書いた物語を現実にする能力だ! まぁ……対象の五感を操るだけだから、外から見ても分からないのだがな。
で、ワタクシは物語の主人公を常に探しているのだ、リアリティは何よりも大切だからな。誰に何をすればどういう反応をするのか、想像だけではリアリティが足りない。だからキミとキミの連れていた魔獣は、ワタクシの物語の主役だったのだよ」
「なら、あの森は」
「そう、ワタクシの物語の舞台さ。霧深い森から話が展開する予定だったのだが……あの狼に媒介となる本を奪われた! なんてことだ! 今まで書いた物語もおシャカだ! ふざけるな!」
ルートは突然意味不明な言葉を叫び出した。
余程腹が立っているらしい、もう話しかけないでおこう。
僕が捕まっていると知れば、アルはきっと僕を助けに来てくれるだろう。
この傷を見れば怒り狂うだろう、アルはこの二人には負けないだろう。
確信に近い予想、だというのに僕は不安でいっぱいだった。
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