倒錯した悪魔達との狂宴

第158話 売れない劇作家

''今宵語るは凄惨なる悲劇、一人と一匹の旅路の悲運な果ての物語にございます''



結界から放り出されて最初に見たのは木だった、ユグドラシルのような大きな木ではなく、僕を縦に四人並べた程度の一般的な木だ。

刺々しい葉とささくれ立った木の皮には懐かしさを感じる。

ようやく元の世界に戻って来たらしい。

さて、早速問題が一つ、ここはどこだ。


「ね、アル。ここどこか分かる?」


『いいや、全く』


「困ったな……どうしよう、とりあえず森を抜けないとだよね」


『飛ぶか? 歩いているよりはマシだろう』



''いえいえそれはいけません、深い深い森の奥のそのまた奥に向かわなければ! ''



「………今、何か聞こえなかった?」


『いや、何も。それよりヘル、悪いが歩いてくれ。飛んではいけない気がしてきた』


「そう? 気がした、ってアルにしては珍しいよね」


何の理由もなく勘だけで決めるなんて、狼らしくもない。

不気味な冷たい空気に包まれて、太陽の光も届かない深い森の奥へと進んでいく。


「……ね、アル。引き返さない? どんどん奥に行ってる気がするよ、やっぱり飛んでくれないかな」


僕の言葉に返事どころか反応もない、普通なら耳が動いたりはするものだが。

不審に思いつつも、黙って後を追った。



''おやおや、妙な霧が出てきましたよ? しっかり手を繋いでいてもはぐれてしまうような、とびっきりの濃霧! ''



「まただ、ねぇ今のは聞こえたよね? あれ……?」


妙な声が聞こえた、何を言っていたかは分からないが、何かを話していたことだけは分かる。

幻聴ではないと証明するためにアルに話しかける、だがアルの姿は見当たらない。

目の前は真っ白だ。

伸ばした手には何も触れず、ただ冷たく湿るだけ。


「霧……? なんで急に。アル! ねぇアル! ちょっと待って! 僕、君を見失っちゃって……ねぇアルったら! 返事くらいしてよ!」


両手を前に突き出して闇雲に歩を進める。

一寸先も見えない深い霧、手の甲が木に擦れる、指先に枝葉が刺さる。

じんわりと広がる地味な痛みは少しずつ主張を強めていく、まるで霧が染み込んでいくみたいに。



''ああ、ああ、何と言うことでしょう! 憐れにも一人と一匹ははぐれてしまいました、ですがこうでなくては物語が始まりません! 可哀想ではございますが……仕方のないこと、どうか御容赦くださいまし''



進めば進むほどに霧は濃くなる、だが立ち止まっては狼を見つけられない。

顔の前で軽く手を振ってみる、手の感覚とは違って視覚は手を認めない。

こうなると頼りになるのは触覚だけだ。

耳? 幻聴が聞こえるのだ、役に立たない。

鼻? 霧のせいで雨に似た匂いしかしない。


「アルー! どこー! アル……けほっ、ぅ……喉が……痛い」


大声を上げることも長々と話すことも少ない僕の喉は、たったの数分アルを呼び続けただけで音を上げた。

いくら何でも早すぎる、異常だ。

喉がひび割れてそのひびに酸性の液体が染み込んでいくような、そんな痛みに襲われる。

呼吸もままならない。

頭がぼんやりと思考を止めて、足が勝手に歩みを止める。

力が抜けて自然に膝も折れて、ぱたりと地面に寝転がる。

湿った短い草の匂いはどこか心地良い。

何も見えない、何も聞こえない、何も……



''おっと、倒れてしまいましたね。でもご安心あれ、こんなところで終わっては面白くないでしょう? 物語はご都合主義、必ず助けは来るものです。まぁもっとも、この物語には………救いなどありませんがね。

ああ、失礼。何でも御座いませんよ。さて、少年の物語は一旦止めて、はぐれた狼の方へ移りましょう。こちらも気になるでしょう? 気になりますよね? ええ、期待には応えなくては! ''



足裏に感じる背の低い草の感触に、湿り気が混じる頃。

先程まで後ろにいたはずの主人がいない。


『……ヘル? ヘル!』


今の今まで気配もなかった濃霧が森を包んでいた。

この霧で迷ってしまったのだろう、だが落ち着いて探せばすぐに見つかる。

そう遠く離れてはいないはずだ。

即座に踵を返す、名を呼びながら走る。



''折角はぐれたというのに、そう簡単に出会ってしまっては感動がない、そうは思いませんか? ワタクシはそう思います''



離れてほんの数分、だというのに見つからない。

方向を間違えたのかもしれない、だがこれだけ名を叫んでいるのに返事もないとは、少々怪しい。

何者かの介在を感じ、走るのをやめて慎重に足を動かす。

歩き始めてしばらく、突然目の前の霧が晴れた。

そして現れたのは小屋、家畜用と揶揄するほど汚くもないが、人間用と言い張るには粗末が過ぎる。



''深い深い森の奥、迷い迷って辿り着くは不気味な小屋。狼はなんの躊躇もなく小屋に踏み込みます、愛しき主の居場所を知る手がかりになると信じて''



前足をノブに引っ掛け、倒れ込むようにドアを開ける。

橙色の薄暗い照明の下、一人の男が一心不乱に何かを書いていた。

古びた本にも見えるそれに綴られていく文字、それは少し蠢いて見える。



''「おや珍しい、こんな森の奥に……」とまで言ってワタクシは驚愕で言葉を失います。突然魔獣が家にやって来たのですから当然でしょう? ああ、もちろん驚いた演技でございますよ、ワタクシにはこの後の展開も何もかも、全て分かっていますから''



『……子供を見なかったか?』



''ふむ、どう答えるべきでしょう。直接目で見た訳ではありませんが、彼の存在は知っていますからね、今どこにいるかも分かります。

ですがそれを言うのは良くない。ワタクシは傍観者で助言者の役割ですから。

だから……そうですね、こう言いましょう「い、いえ、誰も見ていません。」と、怯えた演技も忘れずに。

さてこれにて狼は小屋をあとに……いえ、早すぎますね。どうしたものか……''



怯えているような男にアルは不信感を抱いていた。

最初から疑ってかかっているというともあるが、何より不審なのは男の手だ。

突然魔獣が家に来れば驚くだろう、怯えるのも当然だ。

だが筆を止めないのはどういう了見だ? そもそも何を書いているのだろうか。


『そうか、邪魔したな。ところで……何を書いているんだ?』


まわりくどいやり方は苦手だ。

アルは男に近寄り、机に足をかけた。

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