第159話 淫蕩の悪魔

''おっとっと、本を読まれる訳にはいきませんね。この先が分かっては面白くない。

「た、ただの日記ですよ。恥ずかしいから見ないでくださいな」とでも言っておきましょうか。早く展開を考えないと……これ以上突っかかられてはたまりません''



『ほう……日記。魔獣が入り込んだというのに随分と悠長だな』


やはり、この男は怪しい。

アルの疑惑は確信に変わる。



''中々細かいですね。「筆を握ったまま震えていただけですよ、文字なんてどこにもありゃしません」とでも言いましょうか''



『今は落ち着いているようだな?』



''「そりゃあ貴方様が大人しくて知能の高い魔獣だと分かりましたから」なんて軽く褒めておきましょうかね''



男の言動には全く筋が通っていない、それに今もまだ何か書いている。

あの本に何かあると踏んだアルは、一瞬の隙を突いて男の手から本を奪った。


「あ、ああ! や、やめてください!」


男は途端に焦りだした、今度は本心だ。

アルは男を無視してドアに体当たりをして外に転がり出る。

外は濃霧の森……では、ない。

霧どころか木もない、ごく普通の郊外だ、少し離れてはいるが他の家も見える。


『どういうことだ……ここは何処だ』


いや、それよりも何よりも主人は何処へ行った。


『おい、そこの貴様! ここは何処だ、ヘルは何処にいる!』


視界の端で動いた人影に声をかける、アルは一瞬後にそれは間違いだったと後悔した。

声をかけたのは幼い少女、異様に露出の多い格好で、全身に刺青……描いているだけか? どちらかは判断し難い。

いや、それよりも目立つのは少女の頭に生えた三本の角だ、額の右側に寄って生えている漆を塗ったように美しい角。

そして……何よりも、この押し潰されるような暴力的な魔力。

間違いない、彼女は悪魔だ。それもとびきり上級の。


『も……申し訳御座いません! 無礼な口を……!』


口をついて出た言葉は謝罪だ、頭を垂れて許しを乞う。

アルは確信していた、少女は自分のモデルとなった悪魔よりも上の位であり、自分に勝ち目はないと。


『んー? んーん、大丈夫〜、気にしないで〜、アシュちゃんそーいうの気にしないから〜』


気の抜ける声だ、が、気を抜いてはならない。

アシュ……と言ったか、少女自身の事だろう、アルは該当する上級悪魔を頭の中で探し始める。


「……やっば」


視界の端に逃げる男が映ったが、アルは頭を上げることすら出来なかった。

悔しさに歯を食いしばり、それと同時に該当者を思い出した。


『まさか……アシュメダイ様?』


『え〜良く分かったね〜! すごーい、賢いわんちゃんだね〜』


犬ではない、と反論したくもならない。


『ところでわんちゃん、アシュちゃんに何か用〜?』


『あ、いっ、いえ、大した事ではないのですが……少々道に迷ったのと、主を探しているのとで……困って、おりまして』


口調に最大限の注意を払う、アシュは今のところ気分を害してはいないらしい。

それに安堵しつつも、アルはまだ頭を上げられない。


『そっか〜、ここはね〜淫蕩に溺れる者の為の国こと、酒食の国だよ〜! アシュちゃんが地上で一番居心地の良い場所なの〜』


『酒食の……!? そうでしたか……ありがとうございます』


『それで〜市街地はあっちね〜、ここ端っこだから〜お店も何にもないの〜。それで〜……なんだっけ? ああ、そうそう、ご主人様がいないんだよね〜? たいへーん』


コロコロと表情を変えながら、ふらふらと足を揺らす。


『んー……あ、SM系のお店なら〜、あっち行ってからそっち行って、そこをちょいっと行ったところだよ〜?』


『………え?』


『……ん? ご主人様を探してるんだよね〜? なら店行った方が早いよ〜?』


『はぁ……? はっ!? い、いえ、私が探しているのはそういう主ではなく、その……飼い主と言いますか、個人なのです、ヘルという男の子でして』


『んー………? あぁ! もう決めたコがいるんだね〜? ごめんね〜。ヘルって男の子かぁ……んー、年分かる〜? あと服装とか〜、国内放送出したげる〜。』


妙に話が通じていないような……まぁ、探す手助けをしてくれるならどうでもいい。

アルはそう自分を納得させた。

そして覚えている限りの服装と、その他の情報を伝える。


『オッケーオッケー、大体分かった〜。連絡しとくね〜、ゆっくり市街地に戻ろー』


街に帰る頃には見つかっているだろう、アシュはそう言ってアルを先導する。


『それにしても〜、人間かぁ〜……ねぇ、わんちゃんって人型に変身出来るの〜?』


『いえ、そういった術の類はからっきしでして』


『そうなの〜? ふーん……SM獣姦かぁ……イイ趣味してるなぁ〜ヘルってコ。見つかってたらアシュちゃんも顔見に行くね〜? ついでに混ぜてくれないなぁ』


『私とヘルは………普通の主従関係です』


『ん〜? うん、分かってるよ〜?』


言葉が通じるのに意味が通じない、同じ魔物でその辛さを味わうことになるとは思わなかった。

訂正する気にもならない、とりあえずはこのままで差し支えないだろう。

再会時の反応を思い描くと、頭が痛くなってくる。


『あ、見えて来たね〜、もうすぐ中央広場だよ〜。ほとんどの店と家のテレビとかラジオとかの放送で呼びかけたから〜多分来てると思う〜』


中央広場……見事な噴水を中心とした巨大な広場だ。

アシュは噴水の縁に腰を下ろし、アルを誘った。


『来てる〜?』


『……いえ、居ません。』


『んー、おかしいな〜。あっ!』


『どうかされましたか?』


『んー、ヘルってコ、魔物使いなんだよね〜』


『ええ、それが何か?』


『ちょっと前にね〜、魔物使いがこの国に来たんだよ〜、同じコだよね? その時にさ〜ここからちょっと離れたとこの領主がそのコ狙ってさ〜、結局返り討ちにあったらしいんだ〜』


アルは以前酒食の国に来た時の話だと察した。

領主の吸血鬼とその息子、あの時は大変だったなと過去に思いを馳せる。


『ええ、存じ上げております。私も居りました』


『同じことになってたりしないかな〜、ほら、この国治安は割とイイんだけど〜やっぱり〜吸鬼が多いから〜、吸鬼って〜、魔力貯め込んでるコ見ると、結構手荒な真似に出るから〜』


アシュの言葉はアルの不安を煽る、アルは噴水の縁に上って周囲を見回す。

だが、それらしき人影は見当たらない。


『ま、こうやって放送出せば〜、攫っちゃってても連れてきてくれると思うよ〜?』


呑気な考え方だ、と狼は心の中で毒づく。


『それにさ〜、魔物使いでしょ〜? 痛いことされる前に、何とかすると思うけどな〜』


私もそう思いたい! アルは心の中で叫んだ。

アシュの言っている通りなら魔物に危害を加えられることなどありえない、だが今まで何度もあった。

成長途中の魔物使いの力は、完璧ではないのだ。

髪と目に黒色が残っているのがその何よりの証拠だ。

それに、ダンピールのような半端者だったとしたら、力の効き目はさらに落ちる。

アルの不安は全く拭えない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る