第142話 酷似


怪物化していた後遺症か、まともな食事をとっていなかったからか、僕の体は衰弱していた。

元々そこまで食べる方でもないのに更に食が細くなっていて、アルに小言を言われてしまう。

ロキの家で果物と菓子を貰い、ベッドに転がって口を動かしていた。


『行儀が悪いぞ、ヘル』


「ん……なんか、上手く体を起こせないんだよね」


寝ながらの食事など本意ではない、まぁ理想としていた時期はあったが。


「ねぇ、アルはにいさまがどこに行ったのか、本当に知らないんだよね?」


『あ、ああ、知らない』


分かりやすく目を逸らし、アルは床に寝転がった。

普段ならその仕草の可愛さにほだされてしまうことだろう、だが今の僕にはそんな心の余裕はない。


「……本当に、知らないの?」


『知らんと言っているだろう、私は何も聞いていない』


「…………アル」


『知らん』


ベッドと床の隙間に頭を突っ込み、僕の言葉を否定し続ける。

アルの言葉は明らかに嘘だが、真実を引き出すのは難しいだろう。

魔物使いの力を使えば……可能、だろうが信頼にヒビを入れるような真似はしたくない。

嘘をついている時点で、疑っている時点で、理想的な信頼関係には程遠い。

だがそれでも僕はアルに嫌われたくなかった、万に一つでも嫌われる可能性がある行為はしたくなかった。


「散歩、行ってくる」


そう言って僕がベッドを下りると、アルも起き上がる。


「来ないで、一人にして」


『ヘル……分かった』


アルは渋々腰を下ろし、僕は部屋を出た。

扉が閉まる直前にアルの謝罪の声が聞こえた気がした。



散歩、なんて言い訳だ。

歩き回る体力もなければ、一人で帰る自信もない。

僕は庭に来ていた、巨大な狼と蛇に会いに……と言った方が正しいか。


「君はフェンリルだっけ、君は……ヨル、なんとか」


よく覚えてないな、まぁ一度聞いただけだから仕方ないか。

僕はこの魔物達に違和感を覚えていた、最近分かるようになってきた魔力の違いとやらか。

この魔物達は操れる気がしない。

魔性というよりは神性なのだろう、神聖な雰囲気ではないが力強さはビリビリと感じた。


「あれ、なにそれ。こぶ? ぶつけたの?」


蛇の頭に膨らんだ部分を見つけた、僕の頭くらいの大きさだ。

巨大な彼らが怖くて遠くの木の裏に隠れて眺めているために分かりにくいが、痛そうにしている様子もない。

蛇のコブを観察するのに夢中になって、注意力散漫になっていたのだろう。

背後に忍び寄った影に全く気がつかなかった。

音もなく空を飛び、同じく音を立てずに地に降り立ち、''それ''は僕の真後ろにいた。

鈴の鳴るような鳴き声を聞いてようやく僕は振り向いた。


「誰っ!? って、え。ドラゴン? いや、神獣……かな。君は……えっと、話せる?」


魔物──と言っていいのだろうか? まぁとりあえずは魔物と呼ぼうか。

その魔物は美しく神秘的で、天界にでも住んでいそうな雰囲気を持っていた。

涼やかな鈴の音は僕を癒し、額の美しい宝玉は僕を魅了する。


「綺麗……あ、えっと、ごめん」


だがその神聖さとは真逆の鋭い爪、五本に分かれた尾にまで同じく紅い鉤爪がついている。


「えーっと、僕はヘルだよ、よろしく……ね?」


恐る恐る挨拶をする。木のせいで逃げ道が塞がれており、この魔物から逃げることは叶わないだろう。それに僕は今、逃げたいとは思っていない。


微動だにせず僕を見つめる魔物、その黒い瞳には魔法陣が浮かんでいる。

逆さ五芒星の……淡い光を放つ、見覚えのある魔法陣。


「……にいさま?」


そうだ、兄の瞳にも同じような魔法陣があった。

今思い出しても身震いがする、まだ兄がそこまで僕に辛く当たっていなかったあの日。

僕が学校を辞めさせられて泣き続けていたあの日。

兄は自らの眼球に針を刺し、鮮やかな色のついた液体を少しずつ流し込んでいた。

兄はその後身体中に刺青を施していったが、あの日ほどの衝撃はなかった。


「似てる……けど、魔物が刺青なんてする訳ないし。にいさまはこの魔物を参考にしたのかなぁ」


そっと顔に触れると、少し目が鋭くなった気がした。

気に入らなかったのだろうか? だが動く気配はない。

もう少し、撫でてみようか。

魔物使いだという自信は、僕を大胆にした。


「……い、嫌? じゃない? えっと、撫でていいんだよね、噛まないでね?」


透き通った音が響く、返事だと気がつくのには時間がかかった。


「よしよし……ねぇ、君はここの子なの?」


ヒトガタではない魔物とは会話は成立しない、人に造られた魔獣を除けば。


「ちょっと、話を聞いてもらってもいい? つまんなかったら寝てもいいし、途中でどこか行っちゃってもいいからさ」


魔物は黙って瞳を閉じ、僕の前に座った。

その動作を肯定と受け取り、僕も座り込んで下手くそな話を始めた。


「にいさま……僕の兄弟がね、どこか行っちゃったんだ、用事があるって聞いたけど、なんか嘘っぽくて。

別にさ、今までずっと一緒にいた訳でもないんだよ? でもなんか寂しくて、っていうか……嫌な予感がして、仕方ないんだ。

もう二度と会えないんじゃないかって、そう思えて……怖くて、もう、どうにかなりそうで」


僕の話はめちゃくちゃな順番で、要点も定まらずにふわふわと宙を漂っている。

兄に話していたとしたら、どれだけ殴られただろうか。


「……ごめんね。僕の話なんて興味なかったよね」


それでも魔物はじっと僕を見つめていた、聞いていたのか聞いていないのかは終ぞ分からなかったが、聞いていたと思いたい。


「ねぇ、君……名前は? あるの? もし良かったら教えてくれないかな」


返ってくるのはよく通る美しい鳴き声だけ。

そこにどんな素晴らしい名前が発声されていたとしても、酷い拒否の意が込められていたとしても、僕には分からない。


「アルならなんて言ってるか分かるかな。勝手に名前つけたりしちゃダメ……だよね、やっぱり」


家を出る時の「来ないで」は今思えば酷い言葉だ、アルに謝らなくては。

会いたくなってきたのもあって、この魔物を紹介するという言い訳も用意して、僕は木に手をついて立ち上がる。


「君も来てよ、アルに紹介したいしさ」


そう言って魔物の横を抜けようとする。

だが、目の前に突き出された鉤爪がそれを阻む。

魔物の尾だ、五つに分かれたうちの一つが僕の眼前に迫っていた。

少しでも動けば目が潰れる、瞬きをすれば瞼が切れる、そんな近さだ。


「……え、あ、あの、どう……したの?」


刺激しないように、精一杯に穏やかな声色を作った。

つもりだったのだが、裏返ったそれは滑稽にしか聞こえない。

魔物はそんな僕を見て、何かを決めたらしく別の尾を木に巻き付けた。

僕を閉じ込めて、眼前の尾は下げられる。

同時に魔物は僕の服を噛んで座らせ、目線を合わせた。


「えっと、何、かな。動いちゃダメなのかな? 座れって?」


絞り出した声は震えていた、魔物は微動だにせず僕を見つめている。


その黒い瞳には見覚えがある。

兄が僕の''躾''を終えた後、気まぐれに見せる優しい瞳だ。

僕はその眼差しを恐ろしく思っていながらも、その優しさに期待していた。


今僕の目の前にいる魔物の満足げに細められた瞳は、兄のものと全く同じだ。

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