第141話 性質について


時はヘルが人の姿に戻る前に遡る。

エアはもう一つの魔術陣に移動し、トールと話していた。


『これが縛魂石だ。その名の通りにこの石は生き物の魂を封じ込める』


「知ってるよ、ありがと」


石を受け取り、エアは魔術陣の中へ。

祈るように両手を組む、その中には縛魂石が輝く。

エアが呪文を唱え始めると魔術陣が光り出した。

トールはその光景を憐れむような目で見ている。


「……片割れの魔性を移し給え、我の名の元に我に従い、転換の儀を行い給え」


転換術は二つの魔術陣を使う、対応する魔術陣を片割れと呼ぶ。

転換術は片方の魔術陣にいる者の性質をもう片方の魔術陣にいる者に移す魔術だ。

つまり、ヘルの魔性──魔物化を自らに移しているのだ。


エアの体は恐ろしい速度で変質していく、ジェル状の液体が肌を覆い隠していく。

急激な変質に伴う熱に体が耐えきれず、人間の体は爛れていく。残るのは魔物としての体だけ。


「……ぁ…ぐっ、移し給え。転換術!」


呪文が終わる、人の姿を捨てた魔物は人の声を捨て、哀しい鳴き声を上げた。


『おい、エア! 返事をしろ、エア!』


トールは光を失った魔術陣の外側から魔物に声をかける。

返事はない、眠ってしまったらしい。

トールがため息をついていると、空を走って見知った顔が現れた。


『よぉ、トール。お前が手伝うとは思ってなかったぜ』


『こちらの台詞だ、ロキ。お前が人間に協力するとは思わなかった』


ロキは転換術に手を貸したトールを遠回しに批判した。

平和な空気の漂わない会話をしていると、元人間の魔物が目を覚まし、鈴のような鳴き声で意味の伝わらない音を繰り返した。


『喋れねぇタイプの魔物らしいな、諦めろよ……多分だけど馬鹿とか言ってるよな?』


『被害妄想はやめろ』


『縛魂石使ってんならよ、中身は人間のままなんだよな? うわ……喋れねぇのはキツそうだな』


『声帯を作ればいいだけだろう?』


『んな自由に出来るならいいけどよ』


綺麗な声でひと鳴きし、魔物は飛び立つ。

翼もないのに浮遊するのは、魔物の特性なのか、魔法をまだ扱えるからなのか。


『飛んでっちまったな』


『結界から勝手に出ることは出来ないはずだ、弟にでも会いに行ったんじゃないのか』


『……弟には言うなって言われてんだよ、自分からバラしたりしねぇだろ』


『あの見た目なら分からないし、話せないからボロも出ない。顔を見たいんだろう』


『分っかんねぇな。弟とはいえ自分を身代わりにするなんてよ、考えられねぇ。しかもアイツは……大して可愛がってもいなかったのによ』


『エアは優秀な魔法使いだからな、むしろ魔物になった方がいいそうだ』


トールは術の直前、本人から聞いた言葉をそのまま紡いだ。

魔物の方が魔法を使いやすい、魔力の操作が上手くいく、人間よりも丈夫。

いくつか挙げられた怪物化のメリットは、どれも理にかなっていた。


『ばーか、本心なわけねぇだろ』


『なに? だがエアはそう言っていた』


『ばーか、ホンットにばーか』


ロキは過去に人間にも何度か悪戯を仕掛けている。

人間は理屈を捨てて感情で動くことが多々ある、ロキはそれを知っていた。

理解出来ない部分ではあるが、ロキはそんな人間を気に入っていた。

肉親を虐げるエアは気に入らない、それは今でも変わらない。


『けど、やっぱり兄貴ってことなんだろうな』


『向こうの世界において、最初の殺人は兄弟の間で起こったらしい』


『んだよ急に、人がしんみりしてんのに』


『自分に近しい存在だからこそあらゆる感情が向いてしまうんだろう。それと"しんみり"は嘘だな、お前にそんな感情は存在しない』


『す! る! 失礼だな!』


少しの間話しただけの人間、優れた魔法使いであり高い知能を持つエアには好感を持っていた。

トールは加工した縛魂石の残りカスを手のひらで弄び、友人未満の人間に思いを馳せた。


『さて、俺は気に入らない奴がいるんだ。ロキ、お前はどうだ?』


『何のこと………ああ、なるほど。いいぜトール、久しぶりに組んでやる』


『まぁ、お前の手助けなど必要ない。俺が侵入者を華麗に倒す様に見惚れるといい』


『お前の戦い方イマイチ泥臭ぇんだよな……』


トールは槌を両手で持ち、回り始めた。

遠心力を味方につけた投擲は地を削り雲を飛ばし、何かを貫いてトールの手に戻ってくる。


『いいよなー、ミョルニル。俺様も強い武器欲しいぜ』


『お前は便利アイテム色々持ってるだろう、そもそもお前のせいでミョルニルは未完成だ』


『それとこれは話が別……って、そうだお前! ヨルムンガンド殴っただろ! たんこぶ出来てたじゃねえか、この動物虐待魔!』


『手を滑らせた、すまなかった。しかしお前、息子を動物呼ばわりするのか……いや、確かに見た目はそうだが』


ロキは完全に油断していた、ミョルニルに当たって死なない生き物など自分の息子以外にはいないはずだから。

トールは不審に思っていた、妙に手応えが薄かったから。


『ひっどいなぁ、僕みたいな美少女に向かってそんなもの投げるなんて』


彼等の背後に『黒』は突然現れた。

不意打ちできたはずの『黒』はただニコニコと笑っている。

状況に不釣り合いな可愛らしい笑みが不穏な空気を演出する。


『いつぞやの女王クイーンじゃねぇか、お姫様をお守りしねぇのか?』


『番犬に引き渡して僕の役目は終わりさ』


『外したのか? バカな……』


『君の狙いはよかったよ? すり抜けたけどさ』


接触を『黒』が望まなければ、何人たりとも『黒』に触れることは叶わない。

それは武器だろうと何だろうと同じこと。


『せっかく面白いものを見せてくれたお礼をしよう。と思ったんだけど、君達はボク達が嫌いらしい』


『黒』の後ろから黒い子供が顔を出す、不気味な笑顔でこう続けた。


『まぁ、もうしばらくしたら出ていくよ。君達にはあんまり興味ないし。いいや、むしろ嫌いだね。特に君……火の性質を持ってるだろ? そういうの嫌なんだよねー、嫌いだ、大っ嫌い』


ロキを指差し、深淵のごとく黒い瞳で睨みつける。

『黒』はそんな子供の腕を引くと、空気中に溶けるように透けていった。


『なんなんだよ、アイツら。気味悪ぃな』


『……火の性質、か』


『なんだよ、なんか文句あんのか? 雷神様よ。そりゃお前の雷に比べりゃ俺の火なんざ大したことねぇんだろうけどよ』


『いや、苦手なのかと思ってな』


もしそうなら、あの連中に対してロキは使える。

トールは槌を担ぎ上げると、雷を呼び姿を消した。


『……しばらく退屈はしねぇかもな』


時が来るまでは悪戯の小道具でも作っておこうか、そんなことを考えてロキは家に戻った。

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