第134話 優しさの理由


見渡す限りの闇、何かが腐ったような臭いと大きなモノの呼吸音。

背後から光が届く、兄の魔法だ。


「……時間稼ぎは上手くいったかな? それでも厳しいか」


光を頼りに兄の足に縋り付いて呼吸音の正体を探った。

鰐のような頭、漆を塗ったような角、鋭い爪に大きな翼……これは。


「さて、ヘル。初仕事だよ。この竜を操って」


鎖と杭に拘束された竜は恨めしげにこちらを見つめている。


「何十年も前に兵器として使えるかもって捕まえたけど、御しきれずに閉じ込めてたんだってさ。可哀想だろ? だから出してあげないと、でも僕一人じゃ暴れちゃって出来ないと思うんだよね」


そこで君の出番だよ、と背後から両肩を掴まれる。

頭の上から降ってくる声は、気味が悪い程に優しい。


「……わかった」


この場に疑問を呈するのも、アルはと聞くのもいけない。

兄はもう僕に暴力を振るわない、なんの根拠もなく確信してはいるが、兄が恐ろしくて仕方ない。


恨めしげな緑の瞳に、酷く怯えて情けない顔をした僕が映る。

そっと手を伸ばし、鼻先に触れた。

くるくると甘えるような鳴き声を上げて目を閉じる。


「へぇ……! 凄いね。流石僕の弟! よく出来ました、よしよし」


頭を撫でられて、顔が緩んだ。

兄は変わった。

そのはずだ、そうでなければならないんだ。

僕に優しくしているのが何かの策のためなんて考えるなよ。

疑念は晴れない、そんな自分が嫌になる。


「鎖を解いても暴れないんだね?」


首を縦に振ると、兄は短い呪文を呟いた。

瞬く間に鎖はポロポロと崩れ、消えた。

自由になった竜は僕に鼻先を押し付けて甘える。


「にいさま。これからなにするの?」


僕も竜に倣って兄に甘える、後ろに倒れるように体重を預けて、声を少し高くした。

無意識に幼くなる口調には自分でも笑ってしまう。


「ここを焼き滅ぼす」


「え……? にいさま、なんて」


「ほら、もう時間がない。もう時期あの魔獣がここを嗅ぎ当てる。早くこの竜に乗せて、飛ばせて。この国を焼き滅ぼすんだよ」


「……なんで、やだよそんなの!」


兄の腕を振りほどいて向かい合う、兄は悲しそうな顔をして僕の肩に手を置いた。

兄の泣きそうな顔に気を取られていると、腹に強い衝撃を感じる。

僕の嗚咽なんて気に留めずに、兄は何度も膝で僕の腹を蹴った。

内臓がひっくり返るような衝撃で、胃の中身が逆流してくる。


「やっぱり君はダメな子だね。すぐにつけあがっちゃってさぁ、やっぱり躾に甘さなんて必要ないね、馬鹿に一番効くのは痛みなんだよ」


「にい……さ……なん、で?」


「そりゃね、君を庇ったのは反射的だったよ。僕なら後ですぐに治るとか、ヘルを他の奴に遊ばせたくないとか、考えてる余裕なかったからね。想定外の重傷で動けなくて、君の泣き声が聞こえてきて、思ったんだ。ああ、これは使えるなって」


膝から崩れ落ちる僕の体、兄は乱暴に僕の髪を掴んで起こした。


「……僕に愛されたいんだろ? なら黙って僕の言うこと聞きなよ、愛してあげるから。

ほら、起きて……起きろ。従順な玩具には痛みなんて必要ないんだよ? その足りない頭で考えなよ、僕に逆らう愚かさをさ」


くるる、と竜は困惑の声を上げた。

僕の顔を覗き込んで、僕の辛そうな顔が見えたのだろう。

兄に向かって雄叫びを上げて、その大きな口を開いた。

隙間なく並んだ鋭い牙に、流石の兄も顔を強ばらせた。

僕は朦朧とした意識で竜の顔の前に手のひらを向ける。


「……だめ。この人は、兄弟なんだ、家族なんだよ」


竜はさらに困惑した様子で、僕を見つめる。

兄に掴まれた肩が痛んだ。

無意識に力を入れているのだろう、兄は怖がって僕に頼っている。

兄がこの大きさの竜に負けるはずもないのに、原初的な恐怖は克服できないのだろうか。


「ありがとう、僕は大丈夫だから……ね?」


潤んだ瞳で微笑んで見せても、説得力など皆無だ。

竜の言いたいことは分かる。

どうして自分を虐げる奴を庇うの? そう言いたいんだろう?

でもそんな事、僕にだって分からない。

きっと理由なんてなくて、説明するのなら「兄だから」という言葉を使うしかない。


「びっくりした……けど。操れるんだよね? 僕に攻撃させないでよ」


「わかってるよ、にいさま」


兄はまだ不安げに僕の肩を掴んでいる。

また竜が吼えるような真似をすれば、兄は僕を盾にするのだろう。

竜を操れない僕には価値などないのだから。

ここで竜を操って国を滅ぼさなければ兄はきっと僕を捨てる。

愛されたいなんて本当には叶わない我儘と、国──たくさんの人の生命。

どちらを取るべきかなんて分かりきってる、でも迷ってしまう僕は本当に駄目な奴だ。

完璧に兄の思いのままに動いたとしても、兄はきっと形だけでしか愛してくれない。

分かっている、分かっているんだ、そんなこと。


「……どうしたの? ヘル。早く竜を動かしてよ、焼き尽くすんだよ、ほら早く」


竜の額に手を添えて、力を使うことを意識した。

今まであまり意識したことはなかったからか、不思議な感覚だ。

何かを流し込むような──魔力、かな。

竜は落ち着きを取り戻し、穏やかな瞳で僕を見つめた。

きっとこの竜は、人を喰い殺せと言っても従ってくれるだろう。

だが、そんな真似はしたくない。


「……飛んで」


竜がその大きな翼を広げ、僕と兄を背に乗せた。

薄い皮膜に風をはらみ、周囲の建物を足場にして崩しながら竜は雲の上を目指す。

飛行が安定する前に兄を説得しなければ。


「ね、ねぇ、にいさま」


「ああ、ちょっと待ってね。一人も逃したくないから、端から行こうかな、でもそうすると城が最後になっちゃうしなぁ」


「……なんで、国を滅ぼすなんて言うの?」


「僕をクビにしたから、かな? 前からここは滅ぼすって決めてたんだよね、僕の言うこと聞かない奴が多くってさぁ。一人でやってもいいんだけど、どうせならヘルの力見てみたいし」


どこまでも真っ直ぐな瞳が僕を射る。

解雇された腹いせなんて、そんな。

僕が何も言えずにいると、兄は日常会話のようにゆったりと話し出した。


「さっきも殺されかけたし当然だろ? ここが滅ぶのは必然。竜の生態も知りたかったし、本当に丁度良かったよ」


竜は二、三度回転し、翼を揺らすのをやめて大きく広げた。

飛行が安定してしまった、しかも真下に見えるのは──アレは、王城だ。


『見ぃつけ……たぁっ!』


兄が王城を見つけると同時に、無数のナイフが降り注ぐ。

ロキがアルに乗って追ってきていたのだ。

アルを見つけた安堵よりも、迫るナイフへの恐怖が大きくなる。


「反射……からの、火球 」


兄はナイフを弾き、頭ほどの大きさの火の玉を大量に飛ばす。

兄らしくもなく加減している、竜の力を最大限に引き出し見物するために、地上に被害を出したくないのだろう。


『ンなもん効くか!』


『おい! ヘルに当てるなよ!』


ロキはいとも容易く火の玉を弾く、滅茶苦茶な方向に飛んで下の家がいくつか焼けた。

僕を心配するアルの声を無視し、ロキは最後の火の玉を僕達の方へ飛ばした。

火の玉は竜の翼に当たり、皮膜を一瞬で焼き尽くした。


『あっ……ゴメン』


真っ逆さまに落ちる竜、流れる景色が妙に遅く見えた。

アルの声も、兄の声も、遠く聞こえた。

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