第133話 兄弟だから

僕達を取り囲み、魔封じの呪を使い、兵士達は槍を振りかざす。

ロキは空を走り槍を避け、兵士を次々に蹴り倒す。

魔封じはほとんど効いていないようだった。

僕の予想とは違って、彼は悪魔ではないらしい。

アルは全身の力が抜けて崩れ落ちたが、ロキの隣にいたために重傷は負わなかった。


僕はその光景を他人事のように眺めていた。

目の前に鋒先が迫っていたはずなのに、僕には刺さっていない、どこも痛くない。

なら、すぐそばで聞こえる悲痛な声は誰のもの?


「はは、はは……ははっ、魔法さえ封じてしまえばお前など恐るるに足らん! ははははっ!」

「ざまあみろ! さんざん俺たちを馬鹿にした罰だ!」


兵士達の笑い声、恨みに満ちた嘲り。

槍が引き抜かれると、力の抜けた体が僕に倒れ込んだ。


「なに、なに……これ。あつ……ちが、さむい、ちがう、気持ち悪い」


「……にいさま? なに、してるの? なんで……ケガしてるの?」


「痛い……いたい、ヘル、助けて。痛い……いたい」


「なんで、僕を庇ったの?」


再び槍を構えた兵士達の兜の隙間にナイフが刺さる。

笑い声は止み兵士達は真っ直ぐに倒れた。

鎧の隙間からヒールの先を突き刺し踏みつけながら、ロキは手間をかけさせてと罵った。


『よ、無事か? お姫様よ。早速だがあの狼を呪の範囲外まで運んでやれよ、呪術陣は壊せそうにないしな』


「で、でも、にいさまが。酷い……怪我で」


『自業自得だろ。まさかお前、兄貴の方が大事なのか? そんなクズの方が? 違うだろ、早く行ってやれ。これは魔力を吸い取る類のもんだ、魔獣が長居は危険だぜ』


ぐったりとして頭を地につけたアル、反射的に体が動く。

狼の方に向かおうと動いた体に絡みつくのは血まみれの腕。


「どこ……行く気? ねぇ、ヘル、僕を置いてく気? 違うよね、あんな獣よりも僕を優先するよね? ねぇ、答えてよ。ねぇ」


「で、でも、アルは魔獣だから、魔力を取られちゃうのは、危ないんだ。すぐ戻ってくるから……離して、お願い…にいさま」


「…………ヘル、君は、そんな子だったんだね」


ロキが兄の腕を蹴り、僕は解放された。

アルの元に走って抱えて引きずって、とにかく倒れた兵士達から離れた。


『あーあ、見捨てられたな、普段の行いのせいだな』


「……君でもいい、僕を運べ」


『やなこった。お前みたいなクズは嫌いなんだよ』


「悪神が……調子に乗るなよ」


『へぇ、俺様のこと知ってんのか。なら頼むのは間違いだって分かってんな。俺は俺が面白くて楽しいこと以外はやらねぇの』


ロキは兄に何か話しかけている様子だったが、介抱するつもりは無いらしい。

アルを運んで戻ってきた僕は、兄の体の下に手を滑らせる。


「あ、あの、手伝って……くれないかな」


『くれない。ここで死ぬのが似合いだろ』


ロキはアルのいる方へと歩いていく。

兄を背負い、手まで使って這いずるように歩いていく。


「…………ヘル。僕のこと、嫌い?」


「なに、いきなり。僕はにいさまのこと……にいさまのこと、好き、だよ」


「本っ当に、ダメな子だね君は。嘘もろくにつけない」


「嘘じゃない! 嘘じゃ……ない、よ」


自分に言い聞かせるように、何度も何度も否定する。

歩く度に倒れそうになる、その振動が伝わるたびに兄は痛いと声を上げる。

幼い頃に魔法で痛覚を消してしまった兄は、誰よりも痛みに弱い。

僕に無茶苦茶できるのも、痛みを知らないからなのだろう。

これからは少しくらい優しくなるのではないか、なんて、そんな甘い考えも浮かんだ。


「……ねぇ、にいさまはどうして僕を庇ったの? 僕が痛がってるの好きなんだよね」


淡い希望。

僕を大切に思ってくれているという愚かな幻想。


「馬鹿だね、僕が好きなのは僕に虐められてる君だよ。僕以外が痛めつける君なんて許せない。君は僕だけの玩具なんだから」


予想はしていた答えだ、だが、心に冷たいものが流れる。

薄い光の膜を越えると、兄の傷が再生していく。

呪の範囲外に出たのだ。

痛覚を消す魔法も元に戻り、兄は詰まることなく話し出した。


「魔法の国は腐ってた、進歩する気を失って弱い魔法の上に胡座をかいてた。この国も同じだよ、非科学的なものを否定してる。馬鹿みたいだよね、魔力を使わずに生きるなんてさ。その癖さっきみたいな呪術とかは使ってるんだよ? もう訳わかんないよね。それにさ、知ってる? この国で最も優れた兵器を作ったのは人間じゃないんだってさ。はは、本当に、馬鹿ばっかり」


再生の終わった腕が僕に伸びる。

また痛い目に合わせられると身構えていたが、予想に反して兄は僕を抱き締めた。


「……ヘル、僕のこと、好き?」


「うん、好きだよ」


「嘘、ちょっと上手になったね」


「ちがっ、本当に、僕は……!」


「いいよ、もう。嫌いなんだろ。ずっと前から知ってた。分かってるよ、僕みたいなの、嫌いで当たり前」


今まで見たことのないような安らかな顔で、誰よりも優しく僕の頭を撫でた。

ああ、本当に嘘じゃないんだ。

こうやって優しく僕を可愛がってくれる時もあったんだ。

だから、嫌いになれなかった。

期待を捨てられなかった。

希望をいつまでも引きずっていた。


「ヘルは可愛いね。痛がってなくても可愛いよ、やっぱり泣き顔が好きだけどさ。本当に……僕の自慢の弟だよ、ヘル。愛してる」


捨てなかったのは間違いじゃなかった。

ずっと会いたくなかった、けれど会いたかった。

今度こそ今度こそって、ずっと思ってたんだ。


「にいさま……! 僕、ずっと、信じてた。にいさまがまた抱きしめてくれるって、ずっと信じてたんだ!」


完全に傷の癒えた兄は、立ち上がってまた僕を抱き締めた。

嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

長年の願いが叶った、そう思ったから。

そう、思ったんだ。

それが間違いだなんて言わないで。


「……じゃあ、一緒に来てくれるよね。君の力を僕のために振るってくれるよね」


「…………にいさま?」


遠くの方からアルが走ってくる。

兄はそれを見て舌打ちをした、衣に描かれた魔法陣が怪しい光を放つ。


「空間転移魔法、ああ、それと置き土産に……氷散弾」


アルが僕を呼ぶ声だけが耳に届いた、光の洪水は僕の視界を奪い取り、一瞬知覚を失わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る