第132話 禁呪の使い手

崩れた家々、この中に人がいるなんて考えたくもない。

その中心に黒い影──大きく広がったアルの翼が見えた。

対峙しているのは兄だ。


『狼か? イイ趣味してんな、お前も』


「アル! あ、ねぇ、どうしよう。アル、アルが!」


『落ち着けって。この狼の父……ロキ様に任せときな』


ロキは僕を瓦礫の上に座らせ、声を張り上げた。


『よぉー! 随分盛り上がってんなぁ! 俺様も混ぜろよ』


トン、トン、と一定のリズムを刻んで短いジャンプを繰り返す。

準備体操のように思えるが、あの高いヒールで何をすると言うのだろうか。


「……誰? ねぇ犬、君の知り合い? 」


気怠げな兄の質問には答えず、ロキは隠し持っていたナイフを投げる。

ロキがナイフを投げるよりも早くアルは僕を見つけ、僕の元へ駆けてきていた。

だからナイフが狙うのは兄だけだ。


「反転魔法、ついでに裂風」


兄の前に現れた障壁は、ナイフの方向を変えロキを狙わせた。

ロキはナイフを危なげなく弾き落としたが、それに気を取られ魔法を正面から食らった。


「大したことないんじゃん、驚かせないでよね」


裂風、それは風によって対象の身を裂く魔法だ。

兄は真っ二つに裂けたロキを見て満足そうに笑う。

だが、僕は兄の背後に立つロキを見ていた。


『ばーか、よく見てみろよ』


ロキの嘲笑を聞いて兄が振り返るよりも早く、ロキは兄の胸を貫いた。

兄の胸の真ん中から生える赤い腕を見て、僕は思わず意味のない言葉を叫んだ。


『俺様が得意なのは変身術でね、人間ごときに遅れをとるわけねぇっての』


二つに裂けたロキの姿は、表面が削れた瓦礫へと変わる。

変身術とやらで自分の姿に見せていたのだろう。


『逆賊の死体……これで満足か? お姫様』


楽しそうに笑いながら、ロキは兄を投げて寄越す。


「………にいさま?」


『どうぞお納め……は? 兄様って、おい、どういうことだよ』


『ヘル、其奴が……ソレが、兄なのか?』


肩を揺さぶり、頬を叩く。

当然返事はないし、目も開かない。


「……死んじゃったの、にいさま」


悲しむことなんてない、悼む義理もない。

だってこいつはずっと僕を虐めてきたじゃないか。

それこそ死ぬような目にだって、死んだ方がマシって目にだってあってきた。

なのに、なのに、なんで。


「……やだ、やだよ、にいさま。やだぁ……置いてかないでよ、ねぇ」


なんで、僕は泣いてるの?


『え? えぇ……俺のせい? いや、えぇ…マジかよ』


『そういえば……貴様は誰だ』


『え、この流れで自己紹介はキツい』


『答えろ、恩人の名くらいは知りたい』


『ロキだけど……俺さっき名乗らなかったっけ? 聞こえなかった?』


アルは僕を思って僕から離れた、今の僕にとって最善の対応だ。

僕はみっともなく泣きながら、そっと兄の頬を撫でた。

その時だ。

赤い逆五芒星の描かれた黒い瞳が、僕を捉えた。

声を出す暇もなく、兄の手が僕の口を塞ぐ。


「動かないでね、動いたら……どうなるか、分かってるよね?」


僕、いやアルとロキに向けて、兄は警告を放つ。


『蘇生魔法? おいおい、禁呪じゃねぇのかよ』


『何をする気だ! ヘルを離せ、早く!』


「やぁーだね」


兄は僕の口から手を離し、代わりに首に腕を巻き付けた。

辛うじて呼吸ができる程度に締め付けられる。


『貴様……! それでも兄か! ヘルは貴様が死んだと泣いていた、聞こえていなかったのか!』


「聞こえてたよ、やだなぁ。弟なんだから兄が死んで悲しむのは当然でしょ? ねぇヘル。僕が生きてて嬉しい? ねぇ嬉しいよね」


「……くる、し」


「嬉しいかって聞いてんだよ! この出来損ないが!」


「………嬉しい、よ。にいさま」


首を絞める力が強くなる、絞り出した声はなんとか兄に届いた。


「そうだよねぇ、うん。嬉しいよねぇ。流石はヘル、僕の弟だ。僕のこと大好きだもんね、ねぇヘル。僕のこと……好きだよね?」


「う、ん。だい、すき……だから、ちょっと、はな……して」


「ああ、苦しいんだね? でも我慢できるよね、僕の弟なんだから、我慢してね」


言わなければ良かった。

兄は僕の苦痛を喜ぶ、余計に力が強くなって呼吸もままならない。


『うっわ……引くわぁ……キッつい兄貴。よく泣けたな』


『貴様も何か考えろ! ヘルを取り返す方法を! 早く!』


『落ち着けって狼さんよ、とりあえず動きを待とうぜ。何するつもりかも分かんねぇんだからよ』


膠着状態に入り、兄は僕を絞める力を弱めた。

逃げられはしないが、呼吸は楽になる。

今なら話もできるかもしれない、アル達が行動するための隙も作れるかもしれない。


「ねぇ、にいさま」


「ん? なぁに、ヘル」


形勢逆転の効果か、僕を痛めつけたからか、兄は機嫌が良い。

好機だ。


「にいさまは僕をどうしたいの? 何をする気なの?」


「……ヘルは黙って僕の言うことを聞いていればいい」


「でも、にいさま」


「うるさいな! 君まで僕に逆らうつもり!? どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ、僕に従ってれば全部上手くいくのにさ!」


兄の機嫌は変わりやすい、たった一つの言葉が命取りになる。

だが今回は、その矛先を僕に向けなかった。

全ての人に向けられる罵倒は、全員の注意力を鈍らせた。

気がつけば僕達は兵士達に囲まれていた。


「動くな!」


重厚な鎧に身を包み、槍を構えた兵士は叫ぶ。


『あーあーあーどうするよ。吹っ飛ばしていいのか?』


その問いかけは無意味だ。

ロキの指輪から真っ赤な炎が上がる。


「お、おい!」

「魔術!? た、隊長!」

「狼狽えるな、アレを使え!」


兵士達が盾を掲げると、刻まれた紋章が光り出した。

どこかで見たような……それよりも強力なような。


『まずい、魔封じの呪だ! 早く焼いてしまえ!』


『分かって……あっ』


ぷすん、と情けない音を出して指輪の炎は消える。

油断なく槍を振りかざす兵士達、いくつもの鋒先が僕を捉えていた。

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