第135話 顕れるモノ
硬いレンガに頭から落ちた。感覚が薄くなって、鈍い痛みと遠い轟音が訪れる。
竜は近くにいない、僕は投げ出されたらしい。
ここは……どこだろう。
ロキが弾いたいくつもの火の玉で王城は大きな損傷を受けていた。
そのため、僕は屋根や最上階ではなく、地下まで落ちたらしい。
あれだけの高さを落ちてきたというのにまだ意識があるとは、僕も丈夫なものだ。
上を見上げれば火の玉と僕の落下によって作られた大きな穴があった。
背の下には壊れた木製の棚、破片が背にいくつも刺さっていた。
普通なら死んでいる──何故、僕は生きているのだろう。
僕は体は普通の、いや普通よりも弱いくらいだ。
だと言うのに、何故。
『くく、くふふっ、ふふ、ふふふふふ』
笑い声が聞こえる。
気味の悪い、男の声だ。
頭が……熱い、傷を負ったであろう場所が、熱い。
熱い、熱い、熱い。
焼けているように、溶けてしまいそうなほどに。
『あーあ、あーあーあー、使い過ぎちゃったね?』
黒づくめの男には見覚えがある。
今のように顔は見えていなかったが、僕を助けてくれた人だ。
今は白衣は着ておらず、顔が分かるせいで逆に誰か分からなかった。
「ない……君?」
『あはっ、覚えてたぁ? ありがとね』
壊れた城にも、僕の傷にも、何の疑問も抱いていない。
それどころか楽しんでいるような……いや、気のせいだろう。
冷静な人なんだ、きっと。
『ねぇ、体はどう?』
「いた……違う、熱い。すごく、熱いよ」
『熱い…? ふぅん、効き目出てるねぇ』
何を言っているんだ、この男は。
『キミにあげたお薬、覚えてる? あれねぇ、人間用だけど人間が飲んじゃダメなんだよ。まぁ面白いから飲ませるんだけどさ。その為に頑張って作ってるんだし』
先程飲んだ物と同じ液体が入った小瓶をチラつかせる。
『ボク特製の薬は他にも色々あるけど……キミにあげたのは怪物化するヤツ。まぁいつ頃なるかは個人差がありますってね』
傷の痛みと熱が消える、代わりに体が……内臓が、熱くなる。
内側から焼け爛れて溶けて、怪物化する?
「……嘘、だよね。嫌だよ、僕……そんなのやだ」
『うんうん、いい顔するよね、君』
「嘘って言ってよ、ねぇ、熱くなるだけだって、ちょっとした副作用だって」
『信じたくない、自分に都合の悪いものは信じない。人間らしいね、好きだよそういうの、もっともっと見せてよ』
僕の顔を掴んで、無理矢理立たせる。
初めてまともに見た男の顔は、人間ではないと確信できるほどに恐ろしく美しい。
『ふふ、ふふふ、あっははははは! イイ、イイ、イイよ、最っ高!』
その下卑た笑い声も、愉悦に歪む顔も、聞いているだけ見ているだけで気が狂いそうになる。
気づくのが遅すぎた、この男は知覚してはならない存在だったんだ。
吐血する僕を見て男はさらに笑い声を大きくする。
冷たいレンガの上に落ちた赤黒い血は、煙をあげてレンガを溶かした。
ドロリと固形物も見える、内臓が溶けだしたのかと腹を摩った。
口の中の鉄っぽい味と熱に耐えながら男を睨む、それすらも楽しんでいる様子だったが、不意に男の笑い声が止まった。
視線を男の体に移せば、腹を貫く黒蛇と目が合った。
『ヘル! 無事か……違うな、その血はどうした』
黒蛇を乱暴に抜かれると男は倒れ、その影からアルが現れた。
僕に駆け寄り頬を舐めて、傷を確認した。
『外傷が……無い? そんな馬鹿な。ヘル、この血はなんだ』
「……吐いた。僕、もうダメだよ。」
『何を言っている、落ちた衝撃で少し内臓傷ついただけだろう。すぐに治療してもらうから安心しろ』
「違う、違うんだよ、アル。僕……もうすぐ、怪物になっちゃうんだよ」
アルは僕の体に顔を擦り寄せて、すぐに離した。
異常な熱が伝わったのだろう。
先程の吐瀉物が溶かしたレンガも見て、アルはようやく僕の状況を理解した。
重苦しい沈黙を破ったのは、ごぽごぽという気味の悪い水音だった。
アルが殺したはずの男の口と傷から、泡立つ液体が溢れ出している。
『……と、とにかく、地上に戻ろう』
アルは僕を背に乗せて翼を広げる。
止せばいいのに、僕は途中で振り返った。
男の体から溢れ出した液体、そこから生える無数の触腕、鉤爪、手。
鈍重な動きで液体から体が引き上げられる、体──なのだろうか、アレは。
地上に戻ると、王城に居たのであろう人達に囲まれる。
兵士達の奥に見える豪奢な格好をした太い男は王だろうか、なんて呑気に考えていた。
僕は……今、少しおかしい。
今? これからずっとだ。少し? とてもの間違いだ。
地下から響く咆哮を聞いて、何故か僕は安らいだ。
僕達を取り囲む兵士達に、魔法陣が浮かぶ。
呻き声を上げて動きを止めた兵士達、狼狽える王。
王の背後には兄がいた。
「……死ね」
何かを呟き、王に触れる。
風船のように膨らんで破裂した王の肉片が僕の足元まで飛んできた。
アルは僕の様子を伺いながら兄を警戒した、血に怯えない僕を不思議に思っているような気もした。
自分でも不思議だ、赤は恐ろしい色だったのに。
今は寧ろ……おいしそう。
…………今、何を考えていた? 死体を見て、何て。
「ヘル。ヘル、怪我はない?」
兄が僕の顔を覗き込む。
アルが兄を押し退けようとするのを止めて、見つめ返した。
「ヘル。お返事は?」
「大丈夫、にいさま。にいさまは怪我してないの?」
「したけど治ったよ」
僕が気遣ったからか、兄は機嫌を良くして僕を抱き上げた。
「ん……? 君、随分と熱いね」
額を合わせ、熱を測る。
兄は何も分からなかった様子で、そのまま僕を抱いていた。
アルが不安そうに僕を見上げていたが、僕は兄の服に付着した血に夢中だった。
おいしそう、きっとおいしい、飲みたい、食べたい。
お腹がすいてきた、魔法陣に邪魔されてほとんど見えない兄の白い肌が、何よりも美味しそうに見えた。
……我慢、できない。
「……にいさま」
「ん? なぁに、ヘル」
こちらを向いた顔を押して、首筋に顔を埋める。
兄は特に嫌がる様子もなく僕の頭を撫でた。
甘えているとでも思っているのだろうか。
まぁ、油断しているのなら都合が良い。
無数の触腕を振り回す肉の塊、叫び続ける混沌。
物影から這い出た少女はそれに触れ、呆れたように話しかけた。
『何で出ちゃうかな……僕は知らないよ?』
触れれば消えてしまいそうなほどに儚い美しさを持つ少女──『黒』だ。
『黒』は巻きつく触腕も這い回る腕も気にせずに続けた。
『戻れないの? 人間の姿の方が何かと動きやすいだろ? え? 何? 別の……分かったよ、仕方ないね』
縛るように巻きついた触腕をすり抜け、『黒』は消えた。
咆哮は止まない。
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