第107話 全てに愛されし娘


赤子の形をした根は力尽きたように動きを止める、鳴き声も止んだらしい。

ようやく『黒』も手を離したが、まだ耳に違和感が残っていた。


「『黒』? 急になんなのさ、あれなんなの?」


『魔法の国出身のくせに知らないの? マンドラゴラだよ、叫び声を聞くと死ぬっていうね』


そういえば、魔法の国にはマンドラゴラ農園があった。

収穫時期は辺り一帯封鎖していたっけ。

薬学に詳しくない僕には縁のない代物だった。

いや、無理矢理食べさせられたことがあったような……なかったような。


『あはははっ、うるっせぇ』


「ぐ……返せ」


『気絶もしてねぇのか? ホンットに頑丈だな』


僕の耳が塞がれて、一瞬遅れてウェナトリアも耳を塞いでいた。

青年と『黒』はまともに叫び声を聞いていたようだが特に変わった様子はない。


青年がマンドラゴラを持つ手を変えようとした一瞬をつき、ウェナトリアは背に生えた蜘蛛の足を振るってマンドラゴラを叩き落とした。

マンドラゴラはひとりでに走り、森の奥へ消えていった。

あっけに取られた青年は追うこともせずただ見送った。


「……国王様?」


茂みの奥から姫子が姿を現す、微かな光はその神聖さを増していた。


「姫子君!? ダメだ、来るな!」


ウェナトリアの叫び虚しく、青年が姫子の腕を掴んで茂みから引っ張り出した。


「『黒』、どうにかしてよ……このままじゃ」


『大人しくしてなよ、僕に何か出来るわけないだろ? もちろん君にもね』


姫子は掴まれた腕にも掴んだ青年にも興味を示さず、ウェナトリアの傷を見つめた。

姫子が手をかざすと柔らかな光が集まり血が止まる、清廉な光景に息をするのも忘れてしまう。


『全ての植物と虫に愛される天から降りし神娘の末裔……ね。

お前の力、こんな小さな島で腐らせていいのか? 俺様に協力すりゃそれなりの地位を手に入れられるぜ?』


「いらない、離して」


『……あ、そ。つまんねぇの』


姫子の手を離し、その勢いのままバランスを崩して倒れる……ことはなく、いつの間にか伸びた枝葉が姫子を支えていた。

そして同じく無数の虫が姫子を青年から守るように壁となる。


『やっぱ欲しいな……祝の席に大量の虫、とか面白そうじゃね?』


「面白くない」


『気が合わねぇな、虫と草操れりゃ悪戯し放題なのによ、勿体無い』


「勿体無くない」


『ははっ、興醒めだ』


青年が両の手を下ろすと、青年を警戒していた蔦も地に落ちた。

姫子とウェナトリアに興味を失くした青年はこちらに向かってくる。


『アンタとは気が合いそうだな。アンタ、退屈嫌いだろ?』


『退屈したら死んじゃうからね、でも君には関わりたくないな』


『正直なこった』


青年は空を歩き、『黒』の頬を撫でた。

僕は大人しくしていろと言われたことも忘れ、青年の手を振り払う。


『可愛いナイト連れてんだな』


『ナイト? この子はお姫様だよ。取られたら詰みの、ね』


『ははっ、そりゃキングじゃねぇのか』


『姫の方がはまり役だろ?』


『……確かに。キングって見た目してねぇな』


青年と会話を楽しむフリをして、『黒』は僕を背に隠す。


『ならアンタはクイーンか?』


『僕はそんなに強くないよ』


前に出ようとする僕を牽制し続ける『黒』、表情や口調からは読み取れない焦りが手で伝わる。


『そんなに退屈ならさ、どこぞの顔無し君でも誘えば? 世界が終わるほど楽しめると思うけどね』


『冗談にしちゃ笑えねぇな、良い案だが俺様はもっとくだらない悪戯で笑いたいね』


『そう? 残念』


『ああ、第一俺はアイツに嫌われてる』


僕を完全に背後に隠した『黒』の手は微かに震えていた。

何かを思い出しているのか、青年との会話のストレスからか。

『黒』は何かを決心したように僕の手を握った。


『ところでさぁ、君いつから僕達を見てたわけ?』


『……バレてた?』


『隠れる気もなかったろ』


『堕天使の封印が解けたって聞いてな、面白そうだから見に行ったんだよ。

そこでアンタらを知って……面白そうだったから声をかけた』


『実害なさそうだからってほっといたけど、君のせいで僕が騙されたみたいになったんだからね』


『実際騙されてたろ? 変身や審査は見抜けてなかったじゃねぇか』


『……まぁ、ただの親切じゃないとは思ってたけど、まさか港が嘘だとは思わないよ』


青年は奇妙な装飾の金指輪を指先で弄びながら、退屈そうに会話を続けた。

緊張感の見え隠れする時間ではあるが、この二人は共に退屈を嫌う。

飽きるまでは腹の探り合いを続けるだろうが、飽きてしまえば互いに興味を失う。

『黒』はそれを狙いながらも、その策自体に飽きてきていた。


『そっちでは今海外旅行が流行りなのかもしれないけど、伝えておいて欲しいね。

ここはヤハウェの神の縄張りだって。アースやらオリュンポスやら……最近出張りすぎだよ』


『悪ぃがそれは飲み込めねぇな、俺にゃそこまでの力はねぇからよ』


『よく言うよ』


その後も二、三会話を続け、機は熟して腐り落ちる。


『あ、イ〜イこと思いついた。確かあのヤドリギは……くくくっ』


互い違いに行った質問を返さずに青年はいきなり笑い出すし、大きな独り言を始めた。


『まだあの遊びは流行ってたよな〜、どうなるかな〜』


心底楽しげに笑う青年を見て直感する、ろくな事にならないだろうと。

まぁ、直感というよりは予想に過ぎない。

彼の話や性格から鑑みれば誰にでも分かる未来だった。


「……なんだったんだ」


青年は瞬く間に姿を消した。

それは透明化した訳でもなく転移術を使った訳でもない、空を走って消えたのだ。


『アース神族の悪戯っ子、名前は……何だったかな、まぁとにかくもう大丈夫だよ。飽きたみたいだから』


「ならいいが、こんな浜を作られては休まらんな」


また侵略に怯える日々が始まる、ウェナトリアは頭を抱え込んだ。

そんなウェナトリアに寄り添うように、姫子は優雅に手を振った。

すると両端の崖からせり出した根と枝が砂浜を覆い隠すように伸び、絡んでいく。

息付く間もなく光まで追い出された。まるで鳥籠のように島を隠す。


「これで、いい?」


「あ、ああ……君の力か、素晴らしいな」


「悪魔から取り返した御白様達の力、今島に溶けてる」


「へ、ぇ……? とにかく助かったよ」


訳が分からないという顔を押し隠し、ウェナトリアは姫子に紳士的な笑顔を向けた。

姫子はそれに対して無反応だったが、気持ちは伝わっているはずだ。


『それは良いんだけどさ、僕達どうやって出ればいいの?』


「シュピネ族が作った木と糸の船ならあるが、どうかな?」


『僕はともかくこの子は人間なんだよね』


とても水に浮くとは思えない作りの船。

拾った枝を無理矢理縛ってくっつけたような、何の計算もされていない船。


「大丈夫だ、この糸はシュピネ族のものだから。繭から取った物ではないよ」


『……はは、なら安心だね』


明らかな嘘だ、言葉とは正反対の表情だ。

だが『黒』はウェナトリアの言うままに僕を船に乗せた、いざとなったら抱えて飛んでやると言って。

''いざ''とならないように祈りながら、不安に満ちた船旅に漕ぎ出した。

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