第103話 光り輝く白き神娘
無数の木に守られた島の中心の大穴、そのまた最奥に住むは守り神。
さすればこの国は永劫の安泰を得るだろう。
誰が言い出したのかも分からない言い伝え、食の好みが激しい悪魔の我儘を叶えるための隠れ蓑。
『で? 策は? まさか何の考えもなしに飛び出した訳じゃないよねぇ』
「……ごめん」
穴から飛び出し木の影へ、隠れる場所が変わっただけの僕達はオファニエルと悪魔の戦いをただ眺めていた。
『遊ばれてるって感じでもないけど、本気でやってる感じでもないんだよね』
たとえ流れ弾が飛んでこようとも『黒』には当たらない、だから堂々と戦闘を観察出来る。
『オファニエルじゃ君が命令する隙も作れないか。いくら今夜は三日月だって言っても弱すぎるよ、本っ当につまらない奴』
『黒』の髪に白が増え、髪をかき分け角が生える。
両目ともが赤く染まり、自らの影に手を翳すと見覚えのある刀が現れた。
『鬼をベースに外界からの干渉を遮断、こちらからの干渉を可能な限り……よし、いける』
「ねぇ…ちょっと『黒』、 何する気?」
『決まってるだろ、あの悪魔に隙を作んの。君が命令を書き込む隙ぐらいなら何とかなるって。
オファニエルは頼りにしたくないし、あの軍神様は手を出してくれそうにもないからさ』
「僕が……本当に出来ると思ってるの? 信用してくれるの?」
『君は思ってないの? それとも信用されたくないのかな』
まばらに伸びた白い髪が頬をくすぐる、『黒』の純粋な疑問に言葉が詰まる。
『僕はね、他者には期待しないんだ』
予想と反対の言葉は、さらに僕の声を止めた。
『だから君が失敗しようと、その結果この国が滅ぼうと、僕は君に失望しないし賢者の石探しをやめたりしない。
ま、気楽にやんなよ。君がやるべき理由なんてどこにもないんだから、君が背負う責任もないよ』
どこまでも無責任で、命の重みを理解していない『黒』は、その考えを僕に勧めた。
だからこそ心地良くて、薄ら寒い。
木陰を飛び出し悪魔に切りかかる、人間の作ったものが悪魔に効くはずもない。
悪魔にとっては鬱陶しい羽虫が増えたようなものだ、問題は僕の成否よりも前にあった。
『オファニエル! もっと踏み込んだらどうかな!』
『無茶言わないでくれ、強大な悪魔の爪は天使の魂に届くんだぞ? 君と違って私はただの天使なんだ』
『これだからつまらないって言うんだよ』
共闘のために必要なものが全て欠落した彼女達は互いの力を全く出し切れていない。
かといって今僕が出ていく訳にもいかない、魔物使いの存在がバレれば作戦は水の泡、それに僕の鼓舞でどうにかなるとは思えない。
永遠にやってこない隙を待つ暇はない、思いついたことは即実行に移さなければ。
僕は木の影を移り遮光布の下りた穴へ戻る。
「ウェナトリアさん! 手を貸してください、『黒』達だけじゃダメなんです!」
「……天使連中に出来ないことが私に出来ると?」
「軍人だったんでしょう? 戦い方は分かってるはずです。参加しなくてもいい、あの二人に指示を出すだけでもいいから……お願いします!」
ウェナトリアはじっと下を見つめていたが、深いため息をついて立ち上がった。
「お願いするのはこちらの方だ、あの悪魔は元々私の国の問題なのだから。
あぁ……もう一つお願いをしてもいいかな、私が戦っている間は目を閉じていて欲しい、隙ができたなら知らせよう。頼む、私を見ないでくれ」
「え? わ、分かりました。瞑っておきますけど……どうして」
僕の疑問には答えずにウェナトリアは戦場に飛び出す。
心にモヤが残ってはいるが、気にしている暇はない。
合図があればすぐに悪魔に飛びつき、命令を悪魔の深層意識の最奥に焼きつける。
妖鬼の国でも使った手口だ、集中と時間は必要だが難しくはない。
そう自分に言い聞かせていなければ失敗してしまいそうだった。
閃光と轟音が激しくなる、ウェナトリアの指示が飛び、悪魔の雄叫びが轟く。
僕は彼との約束を破ってしまった。
原因はと言えば約束を重要なものと考えていなかった事、それに悪魔に隙ができたと勘違いした事か。
ウェナトリアは目隠しを外していた。
本来そこにあるべきなのは二つの目玉だろう、だが現実は違う。
そこにあったのは緑に輝く八つの玉、一つ一つがギョロギョロと動き悪魔を映し森を映し僕を映した。
怯えた僕を。
八つの目全てが僕の方を向いた、その不気味さに僕は思わず声を上げる。
僕に気を取られたウェナトリアは悪魔の拳を真っ直ぐに受け止めてしまった。
『おい! 蜘蛛男、さっさと次の指示を……うわぁっ!?』
『自分で動きなよ、この指示待ち世代!』
『私は天使の中では自発的に動く方だ!』
有利に傾いていた戦況も、また不利へと戻る。
それもこれも全て僕が約束を破ったからだ。
目を閉じているという約束と、本当の姿を見ても怖がらないという約束を。
大木に叩きつけられた男の背には五対の蜘蛛の足らしきモノが生えていた、それを枝に引っ掛け木を伝い、悪魔の真後ろへと。
だが死角からの攻撃も決定打にはならない、僅かに身を反らせただけだ。
怒り狂った悪魔は滅茶苦茶に腕を振り回し、周囲の木々を薙ぎ払った。
僕は咄嗟に屈んで腕を躱したが、隠れていた木は倒れてしまった。
それに、男が家としていたあの木も。
あの中にはロージーと、繭があったはず。
悪魔は頭に血が上っていて僕には気がついていない、僕は穴だった場所まで走る。
だがその窪みにあったのは大量の美しい生糸だけ、人の姿はない。
呆然としたまま振り返ると、閃光も轟音も止んでいた。
あるのは荘厳な静寂と儚い光だけ。
先程まで暴れていた悪魔は一人の少女の前に立ち尽くしていた。
その少女は儚く白く、あの繭と同じ光を放っていた。
周囲の木から地面から、木霊が湧き出ては少女に魅了された。
この世の何よりも美しい光景だった。
輝く少女に、漂う木霊。
柔らかく細かな毛の生えた二対の翅をゆっくりと広げ、大きな黒い瞳で真っ直ぐに悪魔を見据えて、少女は言った。
「返して」
その瞬間、悪魔の体から無数の光の玉が湧き出ては空気に溶けた。
木霊が嬉嬉として飛び回り、木々が揺れた。
ふと、肩に触れた覚えのある体温に我に返る。
『黒』が僕の隣に戻ってきていた、そっと肩に手を置き、神秘的な事象を邪魔しないように小さく囁いた。
『ね、何これ』
「さぁ……?」
『ね、今さ、チャンスじゃない?』
ドン、と背を押され悪魔の前に突き出される。
悪魔は僕をその瞳に映しはしても見てはいない。
恐る恐る手を伸ばし悪魔の額に触れ、命令を心に焼きつける。
──もう二度と生贄を求めないように、この島の住民を守り続けるように──と。
僕がそう念じ終わると、悪魔は鈍重な動きで大穴の底へと落ちていった。
巣に戻れなどと言った覚えはないのだが。
その場にいた全ての者はただただ呆然と立ち尽くし、今までの異常な緊張と突然の緩和からその場に崩れ落ちた。
戦いは呆気なく終わり、誰も彼もが泥のような眠りについた。
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