第102話 全てを支配せよ
悪魔の足音はいつの間にか消えていて、それにも気が付かないほどに横穴の中は緊迫していた。
『朝だね、おはよう』
遮光布の隙間から太陽を確認し、『黒』はぼーっとした顔のまま挨拶をした。
「もう一週間もずっとこれだ、眠っていられない」
ウェナトリアは遮光布を畳みながら苛立ち気味にそう言った。
『でも、呪いで眠くて眠くて仕方がないと』
「みんな眠ってたもんね、僕も眠いや」
『君のは呪いじゃなくて生活習慣だろ』
ロージーは飽きもせずに繭を眺めている、彼女も一睡もしていないが平気そうだ。
「姫子……姫子。私よ、ロージーよ。覚えてる?」
『あーやってずっと話しかけてるんだよ、ちょっと不気味だよねぇ』
愛想笑いを返しながら、ウェナトリアが持ってきた果物を齧る。
甘酸っぱい味と香りが口中に広がる、異様な緊張状態にあったせいか、まるで何年も断食していたような気分だ。
「呪いを解く方法ってあるんでしょうか」
果物のおかげで頭が活性化した、今のうちに大事な話を終えておこう。
「悪いけどそっち方面には詳しくなくてね」
『温泉の国の時みたいにやれば?』
温泉の国の時……悪魔を弱らせてその隙に僕の力で操り、呪いを悪魔自身に解かせろと。
だが、それには問題がある。
まず戦って弱らせなければならないのだ、僕達にそれが出来るのか?
「生贄が貰えないと分かれば大人しくなると思うのだが、どうだ?」
『ヤケ起こして暴れ回るかもよ?』
「大人しくなるとは思えませんよ、生贄を要求するような奴。生贄ってどうしても蛹じゃないとダメなんですか? もしそうじゃなかったら繭が割れても何の意味もないですよ」
そうだ、見境なく人を喰うかもしれない。
そう考えれば一人の娘しか人間を喰わないというのは、他の悪魔に比べれば良心的なのかもしれない。
「過去の記録にも生贄を捧げる以外の手段はないと書かれている、誰も試そうともしなかったらしいな」
うっとりと繭を眺めるロージーに三人でため息をつく。
「どちらにせよ悪魔を倒す他に手はないか。いや、だが……そうすると別の問題が出るな。天使や人間に攻め込まれる」
『神速の軍曹様の本領発揮って?』
「そのあだ名は恥ずかしいからやめてくれ」
朝早く狩ってきたらしい鹿の肉を食みながら、僅かに顔を赤らめる。
「どうせ悪魔には勝てやしない、私は軍曹止まりの退役軍人、今は戦いなど……とても」
顔を伏せ、ウェナトリアは黙ってしまう。
だが確かに、いくら強くとも人間は悪魔に太刀打ち出来ない。
「ねぇ、『黒』は本当に戦えないの?」
ならば頼れるのはこの中で唯一人ではない『黒』だけだ。
『知ってるだろ、僕の能力』
「でも飛んだり、呪いを解いたり、天使の力は使えるんだよね」
『まぁ……ね。一応天使でもあるから』
「なら鬼の力も使えるんじゃないの?」
角を生やした姿を見たことがある、鬼の力ならば悪魔にも対抗できるのではないか。
『……勘のいい子だね』
「出来るんだよね?」
『言っとくけど勝てないよ。所詮は僕だから』
「じゃあ、どうすればいいのさ」
もう何の手立ても思いつかない。
僕はいつだって誰かに助けられていたのだ、僕自身には何の力もないのに。
また誰かに頼むのか? 何の見返りもなく僕が頼んだというそれだけで誰が戦ってくれるんだ?
そもそもあれほど強大な悪魔に誰が勝てるというのだ。
考えは行き詰まり、やっと進んだかと思えば初めに戻る。
息抜きにと外に出たが、気分は晴れない。
視界の端にチラつく大穴が心を掻き乱す。
そして、再びの夜。
足音に怯えながら息を殺す。
光が漏れないように気をつけながら遮光布の隙間から外を覗く。
悪魔の姿は見えないが、足音はより澄んで聞こえた。
昨晩と全く同じ──にはならない。
突然の閃光、目が眩み数秒間視界が奪われる。
一瞬の暗闇が晴れ、目に一番に飛び込んでくるのは大剣。
巨大な剣が強大な悪魔に振り下ろされた。
『天呼ぶ地呼ぶ人が呼ぶ……悪を倒せと私を呼ぶ!』
どこかで聞いたような声が轟き、森が再び光に包まれた。
咄嗟に目を閉じる、明るさのあまり何が起こっているのか全く分からない。
だが、『黒』には見えていた、僕は『黒』の独り言から事態を推測する。
『つまらない奴が来た』
つまらない奴、『黒』の知り合いでいて嫌われている人。
そうなれば選択肢は狭まってくる。
『月光の使者オファニエル参上! 加護受者がいなくとも、今宵月が見えずとも、私は君を打ち倒す!』
そう、月を思わせる美しさのあの天使だ。
加護受者は一緒にいないらしい、あの凶暴なウサギもいない。
輝く甲冑を身にまとい、オファニエルは一人で悪魔に向かっていく。
『相変わらず口だけは達者だね』
「いくらなんでも一人じゃ無理だよ、援護しないと」
『僕はやだよ、オファニエルには関わりたくない』
オファニエルが居るのなら今夜は安泰だ、あいつが囮になってくれる。と『黒』は壁にもたれかかる。
眠るように目を閉じているが、本当に眠ってはいない。
「この島は『堕落の呪』に侵されている、だが亜種人類は好んでこの島に住んでいるのだ。ヘルシャフト君だったね、何故か分かるかい?」
「え? 分かりません……けど、今はそんな事話してる場合じゃないですよ」
今しかない、そんな面持ちで話し出した彼だったが、僕は不要だと思った。
「強い悪魔がいれば天使は大っぴらには手を出せない、神魔戦争の火種になりかねないからね、一人や二人で「勝手にやった」と言わせるんだ。
それと、亜種人類を奴隷にしようと襲い来る人間のやる気も削がれるからだ。こちらも同じとはいえ木の多いこの島では亜種人類の方が圧倒的に有利だ。
だから、あの悪魔はこの国にとっては守り神だ。その守り神の機嫌を取るためには生贄が必要だったんだろう」
外では激しい戦いが繰り広げられ、爆音が鳴り響いている。
だがウェナトリアの優しく低い声は、その戦いを別世界の出来事のように思わせた。
「だが私には出来ない、何の罪もない娘を殺すなんて。だが娘の命と引き換えにこの島が滅ぶかもしれないなると、私は……もう、何をしていいのか分からない。
私が守るべきなのは国民だ、命に価値はつけられないが数の差はある」
ふらりと立ち上がるウェナトリア、その視線の先には繭があった。
彼の考えを察して、僕は彼の前に立ちはだかった。
「あなたは自分の代で終わらせるって言ったじゃないですか! あなたは姫子さんも過去の自分も裏切る気なんですか?」
「男なら初志貫徹、とでも言いたいのか? 何を犠牲にしてでも国民を守るのが国王だ」
「犠牲になるのはその国民でしょう?」
「私は……私は、もう」
「大丈夫ですよ、もうすぐあの悪魔は無償の守り神になりますから」
繭に跪くロージーを一瞥し、崩れ落ちたウェナトリアの横を過ぎ、ようやく目を開けた『黒』に合図を送る。
「どういう意味だ」
目隠しの黒布に涙のシミを作りながら、ウェナトリアは僕の腕を掴んだ。
「僕は魔物使いだ、って意味です」
温かい腕を振り払い、閃光が走る戦場へ身を投じた。
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