温泉の国の海底には

第36話 角と兎


温泉の国。

小さな島国で、活火山の多い温泉大国。

そして同時に地震大国、海中に潜む大蛇が原因という伝説があるそうだ。


この国のお土産屋は中々充実している。

宿に着いて早々に土産を選ぶ僕の手をアルが引く。


『土産になど用はないだろう?』


「そう? 誰かに渡してみたいな、とか思ったんだけど」


『再開の予定を立てた者がいたか? 無駄遣い禁止だ』


「けち……あ、指輪」


『それはマリッジリングだぞ、貴方には必要ない』


「分かってるよ。でも、なんか……必要だった気がしてさ」


アルにせっつかれて、土産に後ろ髪を引かれながらも温泉に向かう。と、暖簾の前で止まってしまった。

右は赤い布に大きく『女』と書かれた暖簾。

左は青い布に大きく『男』と書かれた暖簾。

僕は男だ、それは分かっている。

なら何故止まったのか?


「アルって……どっち?」


そう呟いて足下を見るが、アルの姿はない。


『何をしている! 魔物用の温泉はこっちだぞ』


アルは僕の隣には居らず、廊下の先に進んでいた。

急いで追いかける、前をよく見ていなかったせいか、人にぶつかってしまった。


「す、すいません! 大丈夫ですか?」


『……ええ』


急いで起き上がり手を差し出す。

ぶつかったのは若い女だ、触れた手は細く柔い。

病的な程に白い肌に、透明に近い白の髪。

血の色によく似た赤い瞳、長い睫毛は透けている。

助け起こすと、その拍子に頭に乗せていた白い布が落ちる。


「……っと、はい。どうぞ」


拾い上げて、女性に差し出す。

彼女の額に角を見つけた。

赤い角が左右対称に一つずつ、白い髪をかき分けて佇んでいる。


『…っ!』


両手で角を隠し、僕を突き飛ばすように走り出す。

呼び止める事も出来ずにただ呆然と見送った。


『おい、どうした? 何だ今の無礼な女は』


「………角」


『何?』


「あ、いや何でもないよ。行こうか」


アルを連れて、『魔物』と書かれた暖簾をくぐる。

温泉を楽しみにしてパンフレットで仕入れてきた知識を披露するアルの話も上の空に、さっきの女性が頭に浮かぶ。

角が生えていた、見間違いじゃない。

走って去っていった、見られた事には気がついている。


そんな事を考えていると、ふと気がついた。

彼女が角を隠していた布を、持ってきてしまっていた事に。






魔物用の温泉は多種多様。

マグマのような高温に、凍えるような低温。

魔物に合わせて、という事なのだろう。

ならアルは?


『む、ここだな』


「40~50℃、毛の多い魔物用…へぇ」


湯船に浸かったアルは幸せそうな顔で縁に顎を置いている。

頭の上にタオルを置き、すっかり温泉を満喫中。


湯船に人は見当たらない、一応外には『人も可』とは書いていたのだが。

アルの浸かっているこの湯なら入れそうな気もするが、どうにも大量に浮いた毛が気になってしまう。


どちらにせよ僕は先に体を洗う、湯船の近くの桶を手に取り、まず頭を洗う。

泡を流している最中、足下に毛の感触。

アルが擦り寄っているのだろうと思い、微笑ましくなって目を開けた。


「……え?」


足下に居たのはウサギだ、しかも二匹も。

アルは湯船で顔を蕩けさせていて、僕の状況には気がついていない。


「ウサギだ、どこから来たの?」


白と黒のウサギは、揃って首を横に傾げる。


「可愛い。ねぇ、アル。この子達何て言うの?」


『ん……月永兎リュヌラパンか?』


気怠げに片目を開け、欠伸をしながら答えを返すアル。


「りゅ……? 可愛いなぁ」


ウサギを撫でていると、遠くの方から声と足音。


「ご、ごめんなさ〜い、私のウサギが…大丈夫でした?」


腰まである長い黒髪の美しいの少女だ。

潤んだ大きな瞳は、吸い込まれそうな黒。

慌てて腰に巻いたタオルを確認し、ここが男女兼用であった事を思い出す。


「は、はい……あなたのウサギですか?」


「私のウサちゃん達です。あんまり言うこと聞かなくって、困っちゃう」


白のウサギを抱き上げる。


「この子がプレーヌ」


桶に湯を汲んで、白ウサギを中に入れる。

そして黒のウサギを抱き上げる。


「この子はヌーヴェル」


白ウサギの入った桶に、黒ウサギも入れる。

そして少女は自分を指差す。


「私は鳴神なるかみ十六夜いざよいです」


「あ、ヘルシャフトです。こっちはアルギュロス」


右眼を隠すために髪を整えながら、もう片方の手で蕩けた顔で湯船を占拠するアルを指差す。


「わぁ……おっきなオオカミさん」


十六夜は無邪気な笑顔を浮かべてアルを眺める。

そして、慌てたように僕に向き直った。

白と黒のウサギが桶から飛び出て、湯船の縁に登る。

十六夜はそれに気がついていない。

特に問題はないだろうと僕は話を続けた。

アルが片目を開け、ウサギ達を見やる。

次の瞬間、破裂音が浴場に響いた。


「きゃー! 何してるのウサちゃん、めっ!」


「アル!? アル、大丈夫!?」


ウサギ達が二匹同時にアルを殴ったのだ。

それも鼻の頭を、かなりの威力で。


「ご、ご、ごめんなさい! ごめんなさい〜!」


『ぐっ…油断、した』


「きゃー! 喋ったー!」


「落ち着いてください! 十六夜さん!」


叫ぶ十六夜を何とかをなだめ、浴場を走り回るウサギ達を捕まえた。

こんな時にこそ魔物使いの本領発揮、とあるべきなのだろうが情けない事に忘れていた。

二匹のウサギが再び桶に収まる頃には二人とも肩で息をしていた。


月永兎リュヌラパンは下級魔獣最強とも言われる、非常に格闘能力の高い種だ。

その上月の満ち欠けによって魔力量が変動するという特殊性……今日は満月ではないが、それであの威力か』


「ごめんね…オオカミさん。大丈夫?」


『自分のペットくらい自分で管理しろ』


「アル。そんなに痛かったの?」


いつものアルならば気にするなとでも言いそうなものだが、今回ばかりはそうはいかない。

十六夜は泣きそうになって謝罪を繰り返した、その姿を見ているとこちらが悪いという気分になってくる。


『鼻を的確に狙うその判断能力に、敏捷性、瞬発力……恐ろしいな』


「痛かったんだね……よしよし」


十六夜に別れを告げ、浴場を後にする。

着替えとして渡された浴衣は着慣れないのもあってか落ち着かない。

夕食の後にもう一度ゆっくりと一人で入るとしよう、そもそも僕は食後に入りたいのだから。

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