第37話 一人の中の三人


脳内で会話をする事はあるだろうか。

──自問自答? 違う、そんなものじゃない。

──他人との会話シミュレーション? もっと違う。


自分の中の違う自分と話すのだ。

いわゆる別人格、多重人格。

私の場合はそれなのだ。



ここは脳の中の部屋。

現実には存在しない思考の中だけの部屋。

真っ暗な会議室で、砂嵐のモニターの明かりだけが私達の姿を明確にする。

影は私を入れて三つ。

分かり易く白、灰、黒、としよう。

私は白だ。

色素の抜け落ちたこの見た目は『白』と呼ぶに相応しい。


勿論一人一人に名前はある、だがそれを呼ぶ事はしない。

私達は自分こそが主人格だと考えており、名前を呼ぶ事はその存在を認める事だ、自分以外を主人格だと認める行為だ。そんな事は許されない。

だから私達は私達を『色』で呼ぶ。


『ねぇ、『灰』、どうしよう。人に角が見られてしまったかもしれないの』


『灰』と呼んだのは灰髪灰瞳の少女、私よりも少し若い見た目だ。

無邪気な彼女はこう答える。


「そんなぁ、でも確かじゃないんでしょ? きっと大丈夫! もし見えていたとしても見間違いで済むわ!」


『どうして貴女はそう楽観的なの』


「だってきっと大丈夫だもの! それにロマンチックじゃない!」


『はぁ?』


「ぶつかってしまった事から始まる恋もあるのよ?」


モニターの砂嵐が落ち着いてくる。

音声がはっきりし、映像が現れる。

映し出されたのは黒と白の混ざった髪色の少年。

派手な見た目とは裏腹に気の弱そうな、良く言えば優しそうな少年。


「かっこいいじゃない!」


『まぁ……そうかもしれないけど』


『灰』はニコニコと無邪気に笑う。

ノイズが消えて、少年の声がはっきりと聞こえた。


「す、すいません! 大丈夫ですか?」

「……っと、はい。どうぞ」


先程聞いたばかりの少年の声。

何故、何故、顔がどんどん熱くなってくる。

どうして、声を聞いただけなのに。


「優しそうな人! 私、好きよ!」


ああ、『灰』の感情に引っ張られたのだ、元が同じ人格なだけに良くあることで、嫌なことだ。


『はぁ? いきなり何よ!』


「好き! 好きなの!」


『く、『黒』! どうにかしてよ!』


立ち上がり、何かの舞台の上で踊る女優のようにくるくると回る『白』。

私はその収集を『黒』に頼む。


『黒』は黒い髪に黒い瞳の人格。

中性的な見た目をしているが一応女の人格らしい。

年齢もよく分からなければ、何を考えているかも分からない。


『聞いているよ』


『そうじゃなくて、なんとかして!』


『…………』


長い前髪で隠れた目は本に向けられている。

脳内で本というのもおかしな話かもしれないが、この世界はあくまでもイメージで出来ているもの。

つまり『黒』はそういう人格だという事。


「ねぇ『白』! 私と交代して! 彼に会いたいの!」


『嫌よ、貴女は前まで出ていたじゃない!』


「お願いよ! お願い!」


この国に来る前までは『灰』が出突っ張りだった。

温泉が好きな私は順番を待ってようやくこの国に来ることが出来たのに! なのに!


「ねぇ『黒』! 『白』に一緒にお願いして? 私、彼に会いたいの!」


『好きにしなよ』


「やった! これで二対一ね!」


『はぁ!? ちょっと待ちなさい!』


『灰』が会議室の扉を開く。

光が会議室を埋めつくして、何もかもを真っ白に染めていく。

『私』の意識はここで終わり。






浴場を出た頃にはもう夕食の時間だ。

アルを連れて、食堂に向かう。

大広間には背の低い机が並べられ、宿泊客は全員ここで食事を取るのだ。


『ヘル、何を探している』


「あ、いや……ちょっとね」


先程ぶつかってしまった真白な女を探している。

この布を返す為に、そしてもう一度謝る為に。

そして、出来る事ならば額の角が僕の見間違いだったのかどうか確認したい。


席は自由だ、魔物用の食事は席が決まってからの配膳。

アルを壁際に座らせ、僕は隅の席に着く。

あまりアルを衆目に晒すのも…と考えた結果だ。


『私の食事は肉なのだろうな?』


「ちゃんと注文してるよ」


「ウサちゃん達はニンジンなんですよ」


そんな声が聞こえて顔を上げる。

向かいの席には先程浴場で会った十六夜が座っていた。

ウサギ達は隣に行儀よく並んでいる。


『兎共をこちらにやるなよ、喰ってしまっても知らんぞ』


「アル、そんな事言わないでよ」


「ウサちゃん達、オオカミさんに喧嘩売っちゃ、めっ! ですよ」


「あの、十六夜さん、ちょっといいですか?」


ウサギ達に話しかけていた十六夜顔を上げ、僕と視線を交わす。真っ直ぐで大きな黒い瞳に見つめられると少し気後れする。


「僕、人を探してて……その、名前は分からないんですけど。真っ白い人なんです、髪も肌も。でも目が真っ赤な……その、細身の人で。見てませんか?」


「う〜ん…分かりませんねぇ」


「そうですか」


こんな滅茶苦茶な説明では会っていても分からないだろう、そう思いながらも適した言葉を考えられずにいた。


「見かけたらお伝えします!」


「あ、ありがとうございます」


元気に笑う十六夜は、ウサギ達がアルの元に向かっていることに気がつかなかった。

アルは必死の威嚇も虚しく、また鼻に拳を入れられていた。

そんな騒ぎの間に魔物用の食事も配膳され、夕食が始まった。


広間を見回すが、あの女性らしき人は見えない。

宿泊客だと思っていたのだが……もしかしたら僕に角を見られたせいで部屋に篭っているのか、それとも帰ってしまったのか。

そう考えると罪悪感が湧いてくる。そんなわけないと言い聞かせるが、そうすればするほど湧いて出てきた。


ふと、横を見る。

灰色の髪と瞳の少女が美味しそうに刺身を口に運んでいる。

一口頬張る事に、無邪気な笑みを浮かべるその少女に見蕩れてしまう。

……あの女性に、似ているような。

いや、違う。

彼女の髪はもっと透き通るような白だ。

彼女の瞳はゾッとするような赤だ。

それにこの少女は彼女に比べて少し幼い。


なんて事を箸を止めて考えていると、少女がこちらを向いた。

僕の視線に気がついたのだろうか、当然だ。

あんな見方をしていたら、きっと気味悪く思っただろう。

気持ち悪い男に舐めるような視線で見られた、なんて思っただろう。


「……美味しいよ?」


「へっ?」


少女が話しかけてきた。

予想外の事態と言葉に間の抜けた声を返してしまった。


「生のお魚は苦手?」


「えっ、あぁ、いや、好き……だよ」


「そうなの? 食べていなかったから、苦手なのかと思ったわ」


「あ、その…みとれてて……っじゃない! そ、その、なんでもない! なんでもないからね!」


少女は不思議そうな顔をしていたが、再び刺身を頬張るとまた幸せそうな顔に戻った。

ああ、何を口走ってしまったんだ。

聞かれてしまっただろうか、変に思われただろうか。


性懲りも無くちらりと少女の方を見ると、それに気がついて無邪気な笑みを返してきた。

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