第21話 嘯く狼


大口を開けて笑うゼルクと怯える僕の間に、アルが無理矢理入り込む。

漆黒の翼はこれでもかと大きく広げられ、尾の黒蛇が口を限界まで開いている。

それらとは裏腹にアルは唸ることもなく男をじっと見つめていた。


『あ゛? てめぇは呼んでねぇんだよ、後で殺ってやるから引っ込んでな』


アルは何も言わず、ゼロの目を見つめる。


『聞こえてんのか? 合成魔獣如きが調子乗んなや。お前最上級の三体、って奴だろ? 何番目か知らねぇけどよ、一位だって俺にゃ勝てねぇよ』


『……重々承知しております。その上で、貴方にはこの子から手を引いて頂きたい』


恭しく頭を下げ、アルは静かにそう言った。


『ふざけんな、俺のオモチャ盗ろうってのか? いーぃ度胸してんなぁ!』


『お言葉ですが、貴方は少々お遊びが過ぎるかと。貴方も堕とされたくはないでしょう?』


ゼルクの顔から笑みが消える。

八つ当たりで床を踏み抜き、隕石が落ちたかと思わせるほどの跡を作った。


『堕ちる…だと? 俺が? 脅してんのか?』


『事実を申し上げたまでにございます。殺戮は許容されても、たった一つのモノに執着するのは……些かまずいのでは?』


『…っ、んなわけ…ねぇ』


『なら……試すか?』


アルの雰囲気がいつもと同じものになる。

だが、その声はいつも以上に低い。


『一時の感情でその身を堕としたいのならな』


『チッ、あーぁーあー分かったよ! クソッタレ!』


ゼルクの目から爛々とした輝きが消える。

異常な威圧感も消えると、冷たい目に見下された。


『足を治してもらおうか、出来るだろう?』


『ムリムリ、専門外! 俺は戦闘タイプでね。あぁ…この店行ってみ、俺の名前出せばタダだからよ。

だから……アイツには言いつけんなよ? もし堕ちたらテメェら一番にぶっ殺すからな』


最後に僕を睨みつけて、ゼルクは壁を破って帰っていった。

アイツだとか、堕ちるだとか、訳が分からない。

一つだけ分かるのはアルのおかげで助かったということだけだ。


「ありがとう、アル。助かったよ」


『いいや、危なかった。ホラを吹くのも大変だな』


「ホラなの? すごいねぇ、よくやるよ」


『完全にという訳では無いがな』


アルは緊張したとその場に寝転がり先輩に背を撫でさせる。僕はゼルクの置いていった名刺を拾った。

『ラビ』と大きく書かれたピンク色の名刺、特に説明はなく、裏には場所だけが記されている。


「オオカミさんオオカミさん、ZEROなんで帰ったの? なんか怖がってたみたいだけど」


『まぁ、説明してもいいだろう。彼奴は人ではない、だが魔物でもない。彼奴は天使だ』


「は? 」

「え? 」


名刺を眺めていた僕も、アルの言葉に素頓狂な声を漏らす。


『ヘル…達、そう驚く事も無いぞ、彼奴のように人として生活する天使は多い、悪魔もな。どちらにも関わらないに越したことはない』


「いや、そうじゃなくて。天使って……もっとこう、良い奴だと思ってた。なーんかショック」


「そ、そう…ですよね」


魔法の国ではあまり天使についても悪魔についても教えられていない。

だが、天使は良くて悪魔は悪い、という印象はどの国にもあるだろう。


『天使か、あまり知らんがろくな奴はおらん、らしい』


「へぇ…って、ヘルさん怪我は?」


「意識飛びそうに痛い」


「そうですよね……ねぇ、アル。この店行ってみようよ」


『む……まぁ、他に手もないか。天使の紹介というのは気に食わんが』


足を再び白い布で巻く、こびりついたりしないように緩めに。

処置ではなく人目を避ける為だ。

幸い名刺の店の場所は遠くはない、問題はこの時間まで開いているかどうかだ。


アルの上に先輩を乗せて、僕はその隣を歩いた。

振動を与えないようにそっと歩くアルの仕草は新鮮で、可愛らしいなどと感じてしまった。

先輩は荒い息を繰り返し、もうあまり呼びかけにも答えない。

急がなくては。




「……この辺りのはず、なんだけど。」


『迷ったのか』


「迷ってないよ!」


名刺に記された場所はこの辺りのはずだ。

他の通りとは違って、ネオンの色がピンクばかり。

甘い香りも漂い、少し目が回ってくる。


「……ここ、娯楽の国の一番名所」


「ヘルさん! 起き上がらないでください、すぐに着きますから」


『ヘル、『ラビ』という店はどこだ?』


「もっと奥のハズ、有名店」


「アル、あまり喋らせない方がいいよ」


大丈夫、と無理に笑う先輩は見ていて悲しくなる。

アルの背に体を預け、また荒い寝息を立て始めた。


『奥……か。こっちだな』


「何の店なんだろ」


『気づかんのか? この辺り一帯は似たような店だぞ?』


「分かんない。えっと…マッサージとか書いてるけど?」


少しバカにしたように笑うアルに腹を立てつつ、絶対に当ててやろうと周囲を見渡す。

目に入った派手な看板には、マッサージの文字があったのでそう答えたが、似たような店というアルの言葉の意味は分からない。


『くっくっく、可愛らしいご主人様。貴方にはまだ早い、知らなくていいな』


「ば、馬鹿にしないでよ! 教えて! 僕は君が思ってる程子供じゃないよ!」


『ほう、子供ではないか。ならば説明してやろう。この辺りの店は全て三大欲求のうちの一つ、性欲を満たすためのものだ。成程、一番人気も頷けるな』


顔が熱くなるのを感じながら、聞かなければ良かったと後悔した。

何も言わなくなった僕を面白がっているに違いない。

きっと笑っているのだ、証拠にさっきからずっと翼が揺れている。





奥まった路地裏にその店はあった。

有名店という割には随分奥まったところにある。

ひび割れたネオンは『ラビ』の文字を作り、不定期に点滅していた。


「あ、開いてる……? よね。失礼しまーす」


小さなドアを開けると、見た目そっくりな二人の少女が出迎えた。

桃色の髪と目をした少女の見分け方は……髪の分け目が反対、といったところだろうか?


「いらっしゃいませー」

「初めてですか? それとも常連様?」


「あ……えっと、初めてですけど」


入口で固まっている僕を押しのけて、アルが中に入っていく。

二人の少女はそれを怖がることもなく平然と言った。


「お連れ様? あら、三人ね?」

「オオカミさんは人と? 魔物もいるけど…どうする?」


『治療は出来るか?』


「治療?」

「怪我?」


僕が先輩の足を指差すと、二人の少女は慌てて『まにゅある』と書かれた冊子を捲り出した。

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