第20話 魔物使いの号令


振りかぶった腕を見て咄嗟にしゃがみこむ。

その行動に思考などない。

頭の上を拳が通り、レンガの塀を粉々に砕いた。


『へへっ……楽しませろよ?』


にぃ、と口の端を歪めるゼルク。

通行人が集まり、賭けが始まる。

''あのZERO''が町中でおっ始めるなんて、相当なやり手が相手に違いない、と。


「や、やめてください。僕、ただの子供です。そんな…闘ったりとか、出来ません」


腰が抜けて立てない。

だが、口はなんとか動いた。

走って逃げられるようになるまで、なんとか時間を稼ぎたい。

あわよくばこのまま帰ってくれないか、とも考えた。


『はぁ? ただの子供ですぅ? バカ言うなよ。そんな魔力漏らしてるガキいねぇよ !

それもかなり特殊……魔法使いの類じゃねぇしな。ほら立てよ!』


胸倉を掴まれ、僕の体が宙に浮いた。

地面に足がつかないという恐怖は耐え難いものだ。

それも人の手によってなら尚更。


『おっら……よっとぉ!』


投げられて、道の真ん中に叩きつけられる。

通行人にぶつかると、何故か歓声が上がった。

助けてなんて叫びは、ここでは何の意味も無い。

だが、叫ばずにはいられなかった。

予想通りに僕の慟哭は歓声に消えた、僕に対する罵声も聞こえる。


『あ゛ん? カラス…?』


もうダメだと目を閉じた時、頭上から無数の鴉の鳴き声が聞こえた。

大量の鴉が空を真っ黒く塗りつぶしている。

それはただの鴉じゃない。

一角鴉アキュリス、下級の魔物だ。集団で家畜を襲う害鳥。


『……ま、カラスなんざどーでもいいわ』


「や、やだ! 誰か…… 助 け て!」


『いい加減チカラ見せ……うおっ、なんだ!』


ゼルクの頭に急降下し、その角を突き立てる一角鴉。

一羽だけではない、無数の鴉が男に襲いかかった。

だがその角はゼロに触れた途端に砕け散り、鴉は悲痛な鳴き声をあげる。


『あ゛あ゛うっとい! 邪魔なんだよクソ鳥が!』


ゼルクの姿はもう黒に塗り潰された。手足を振り回し鴉を追い払おうとするも、その数に圧倒される。

だが、その足元…その周囲には着実に鴉の死体が積み上がっていく。


「……なに、何が起きてるの」


逃げる事も忘れ、ただその光景を眺めていた。

ああ、何故だろう。

頭が痛い、割れる、割れてしまう。

耳鳴りがする、鴉の鳴き声も、ゼロの怒声も、何も聞こえない。

視界が歪み始めたその時、黒の中から腕が伸びた。

その腕は僕の首を掴み、持ち上げる。


『……っのガキ、もういい。死ね』


首を掴む腕に力が込められていく。

折られる。

そう確信した瞬間。

誰かがゼルクの顔面を蹴り飛ばし、人を蹴ったとは思えない金属を殴ったような音が響いた。

何もかもがぼやけていく視界で羽根を模した飾りだけが目に入った。


「あぁ……間に合った? ヤバいヤバい、大丈夫かなー? ヘル君、君が生きてる方に持ち金全部賭けるからね、俺を勝たせてよ!」


朦朧とする意識は、誰かに抱きかかえられた事だけを認識する。


『あ゛ぁ゛!? 何しやがんだこのクソ野郎!』


ゼロの怒声が大気を震わす。

通行人の歓声が僕の耳を痛めつける。


「ああもう、うっさいな! じゃあねZERO! もう会いたくないよ!」


ふわ、と微かな浮遊感。

僕の意識が残っていたのはそこまでだ。







僕が目覚めたのは……どこだ?

見慣れない薄汚れた天井。薄い毛布に平べったい枕、そして。


『ヘル! 起きたか!』


「……アル?」


『……やはりついて行くべきだった』


横にはアルがいた。

冷たい床に寝かされて冷えた僕の体を温めるように横に寄り添う。

足に黒蛇が絡み、翼が僕を包み込む。

銀色の引き締まった体を抱き締め、ゆっくりと息を吸った。


『済まないな、一人にすべきでないと言っておきながら…こんな』


「謝らないでよ、僕が悪いんだから。ところでここどこ?」


『バックヤードだ、カジノのな』


「そっか…ねぇ、僕を助けてくれたのって誰?」


『知らん。私が来た時には寝ていた』


「え…? そう、なんだ」


バックヤードには他に人は居ない、もう終業時間をとっくに過ぎているのだから当然の事だ。

薄暗い部屋を出て、着替えの為にロッカールームへ。

そこにはまだ人がいた。


「ヘルさん」


「んっ……あ、あぁ、ヘル君」


蒼いグラデーションの髪の青年。僕の先輩だ。

顔色が悪い、声も小さい。

あの匂いがする。

僕の大嫌いな、血の匂いが。


「……どうしたんですか、その怪我」


「んー? ちょっとぶつけちゃった、かな」


苦しそうに不規則な呼吸を繰り返す。

多量の血を溢れさせ、形が歪んだ足を布で縛っている。

止血の為に巻いたそれは赤く染まっている、元の白などどこにも見当たらない。


「ぶつけただけでそんなになるはずないじゃないですか! こんな、酷い…!」


「へーきだって…心配性だな。君もさっきまで倒れてたんだから、早く帰って休みなよ」


「帰れないですよ!」


手当をする為に、乱雑に巻かれた布を剥がす。

張りついた血が嫌な音を立てながら剥がれていく。


『酷いな。もう歩けないと覚悟した方がいい』


「あっははー、手厳しいなぁオオカミさん」


アルの言葉は決して誇張などではない。

恐ろしい負荷がかかって潰れたようなその足は、元通りになるとはとても思えない。

淡い赤の筋肉が剥がれ落ち、裂けるように割れた骨は周囲の肉に刺さっている。

ぐちゃぐちゃ、という表現がここまで似合う傷はないだろう。

あまりの光景に目眩がする。


「アル、どうしたらいいのかな?」


『無茶を言うな、どうにも出来ん。私は癒しの業を持たんのでな』


「大丈夫だって、いいから帰りなよ」


「嫌です!」


「早く帰らないと、アイツに見つかっちゃうよ。バカだから場所までは覚えていないだろうけど、カジノの奴だってくらい覚えてるだろうし」


「アイツって……もしかして」


轟音、地響き。

僕の背後の壁が崩れ、絶対に聞きたくない声が聞こえた。


「おお…二匹ともいる、しかもオマケつきじゃん。ラッキー!」


瓦礫の山を降りてくる男……ゼルク!

赤紫の目は爛々と輝いている。口が耳まで裂けているのかと思うほど開き下卑た笑みを浮かべ、鼻歌を歌いながら鼻が触れるほどに顔を寄せる。


『クククッ…ゼルク様による楽しい楽しい殺戮ショーの開幕だぜ? もっと嬉しそうな顔しろよ…ハハハッ!』


最悪の時はまだ終わらない。

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