第22話 もう一人の天使


髪を左で分けた少女が裏方に引き、髪を右で分けた少女は対応を続けた。


『ゼルクという者に聞いてきた、タダになると言っていたが?』


「ぜ、ゼルク様? 分かりました! ツケておきます!」


カウンターに置かれたハートまみれのメモにゼルクの名を記す。

少女の字は印象通りというか、解読不可能なほどの丸文字だ。


「えっと…お二人様は、何かします?」


「何があるの?」


『何もせん!』


質問をしただけなのに、アルに尾で軽く叩かれた。


「色々ありますよ。でも今日は女のコあまり残ってないんですよ。魔物は……あ、スライムちゃんとスタチューちゃんは今すぐ出来ますよ。人は私ことアズちゃんと、奥に行ったハルちゃんくらいですかね。高いですよ?」


「へぇ……よくわかんないけど」

『ヘル!』


先程よりも強く、尾で足を打たれる。

そんな事をしている間に、もう一人の少女が戻ってきた。


「ハル、どうだった?」

「OKだったよ、アズ」


二人の少女に導かれ、一面ピンクの大浴場にたどり着く。

薔薇の浮かんだ湯船からは、甘い香りが漂っている。

予想通りというべきか、アルは顔を顰めた。


「怪我人さん」

「どうぞこちらへ」


大浴場の隅に小さな正方形の湯船、そこには薔薇も何も無かった。

そこに先輩の足を入れろと、そう言っている。


『大丈夫なのか?』


「ラビ様が来るまで待っててね」

「浸けておけば痛くはなくなるよ」


言われるがままに、先輩を抱き起こして足を湯船に浸ける。

お湯は透明なままだ、血が広がりはしない。

傷口の血が完全に固まるほど時間は経っていない、治癒の効能は期待してもいいだろう。


「ん……あれ、ここは?」


「ヘルさん、大丈夫ですか? 『ラビ』に着きましたよ」


「そっか、ありがと」


「いえ、あの…足は?」


「ん? あ……痛くないね」


不思議だね、と力なく笑う。

元気が戻ってきた先輩を見て嬉しく思うと同時に、申し訳なさがこみ上げる。

僕がいなければ、こんな怪我しなかっただろうにと。

そして、少し前から抱いていた疑問をぶつける事にした。


「……あの時、僕を助けてくれたのって、ヘルさんですよね」


「あれ、分かってたの?」


「はい。あの、助けてもらっておいてなんなんですけど。どうして……僕を助けてくれたんですか?」


「後輩助けるのは先輩の仕事でしょ?」


「そんな酷い怪我して。僕にはそんな価値……無いですよ」


「この怪我は蹴った時にやっちゃったんだよ、だから自己責任! 君は関係無い! OK?」


何も言えずにいると、頭に温かい手の感触。

髪を優しく撫で、にっこりと微笑む。


「君はさ、もう少し自分を大切にしてあげなよ。僕なんか…とか、僕なんて…とか、そんな事言っちゃあ可哀想だろ?」


「僕、僕は……そんな事言ってもらえるような人間じゃない」


「自分を卑下しない事! 自分を責めない事! これは先輩命令、分かった?」


先輩に聞こえるのか聞こえないのかも分からないか細い声で返事をする。

頭の上の手が髪をかき混ぜた事からするに、きっと聞こえていたのだろう。




キィーッ、と高い音を響かせて美しい女性が浴場に現れた。

淡いピンク色の髪は緩くカールがかかり、透き通った青い瞳には星が宿る。

そして何よりも、彼女の背には真っ白い翼、頭の上には光輪。

まさに『天使』という名が相応しい女性だった。


『はぁい、初めまして』


「……てっ、天使…?」


『うふふ、ラビエルって呼んでね』


全てを包み込むような優しい微笑み。

思わず眠ってしまいそうになる温かい声。


『さて、怪我はどこ?』


「あ、俺です。足……あ、右っす」


『あら酷い、何したの?』


「えっと……ZEROの頭蹴りました」


『元気ねぇ、でももうしちゃダメよ?』


先輩はしどろもどろに返事をする。

時折に顔を俯かせ、恥ずかしそうにはにかんだ。



「アズちゃんお背中お流ししまーす」

「ハルちゃんヘビさん洗いまーす」


二人の少女はアルの体を洗っている。

他人に触れられているのに目を閉じて気持ち良さそうにしているアルを珍しく感じた。

あまり他人に触れられるのは好きではないと言っていたのだが、案外そうでもないのかもしれない。



『治ったわよ、それじゃあ私はこれで』


「あっ……はい、さようなら……ラビエルさん」


「ヘルさん、随分ぼーっとしてますね?」


いつの間にかラビエルは帰っていた。

先輩の足は完全に元通りだ、怪我をしていたなど信じられない。


「のぼせましたか?」


遠くを見ているかのような顔はほんのりと赤い。


「……ラビエルさん。年下嫌いかなぁ」


「え?」


「そもそも俺って年下なのかな」


「どうしたんですか?」


「電話番号聞けばよかった」


うわごとのようなそれは、僕に言っているのかどうかが分からなくて返事に困る。

深いため息をつき、ようやく僕を見た。


「ねぇ…俺ってどう?」


かと思えば意味の分からない事を言う。


「ラビエルさんのタイプってどんなのかな。俺はどうかな…駄目かな…いけるかな」


「……ヘルさん?」


「ヘル君、俺って格好良い?」


「僕にとっては格好良い先輩ですよ」


「へへへ…ってそうじゃなくて、男として!」


「ええ…? 格好良いと思いますけど」


湯船に肩まで浸かり、顔を緩ませる。

様子がおかしいような…怪我の後遺症だろうか。


「例えば……君が女の子だったとして」


「は?」


「例えばだって。俺ってどう? アリ?」


「……アリなんじゃないですか」


「真面目に答えてよー!」


「無茶言わないでください。女の子になった事ないんですから分かりません」


のぼせるから、と半ば強制的に浴場から連れ出す。

着替えの時にもう一度見せてもらったが、足には傷痕一つなかった。



店を出ると、もう空は白んできていた。

人通りは少なくなり、道の端では酔いつぶれて眠る人までいる。

この国の退廃的な雰囲気が、ネオンに覆い隠される事なく晒されていた。


「いやー、足に怪我はよくするけど、今回はホンっトーにヤバかった!」


『自分の足くらい丁寧に扱え』


「肝に銘じまーす」


胡乱な街を歩くアルと先輩は、この景色の中で唯一はっきりと見える。


「いつも怪我って……やっぱり仕事とかですか?」


前を行く二人に置いて行かれないように、少し足を早める。


「それもあるけど、俺足には自信あってさ?」


先輩は振り返り、健康的な笑顔を見せる。

立ち止まって足を振り上げる、細長く引き締まった足は美しいと言うに相応しい。


「それで色々蹴っちゃってねぇ」


『怪我をする程強く蹴るのか』


「加減難しくってね、でも傷の治りは結構早い方だしさ、折れても歩けたり三日くらいで治ったりするんだよ。今回はまぁ、別としてね」


『………人間らしい生き方を心がけるんだな』


呆れたようにため息をつくアルを見て、思わず笑みが零れた。

この国に来たばかりの頃は警戒し過ぎていたのに、随分丸くなったものだ。

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