第15話 またいつか


宿屋、二階の角部屋。

壊れた窓は修理中、砕けた壁も修理中。

その修理費用は僕が払う。


『すまん』


「いいよ、別に……大丈夫」


『目に光が無いぞ、しっかりしろ』


「いつも通りだよ、死んだ魚の目ってね、はは……」


『ヘル……済まない』


悔しさを堪えきれずに涙を流すアルを尻目に、僕は仕事紹介のパンフレットを捲っていた。

お菓子の収穫、の文字はそろそろ見慣れる。

お菓子の世話、の文字にも慣れてきた。

お菓子とはなんだろうか……おっとこれは考えてはいけない。

と、ベッドの上に見慣れない本を見つけた。

『歴史書』だ、こんな物買った覚えはない。

古そうなそれに気を使いながら、本を開く。


『ヘル! それに触るな!』


「うわっ! ……な、何?」


目次を見ることも出来ず、本はアルの尾に取り上げられる。


「あ、アル? それ何?」


『歴史書だ、『書物の国』のな』


書物の国。

公共施設の九割が図書館、識字率100%、個人経営の店は十割本屋、というあの国!

前から興味を持っていた、僕はそれなりに読書家なのだ。

……家に居て暇だったからとかではなく、純粋に。


「見せて!」


『ダメだ』


「どうして?」


『禁書だからな、貴方には危険すぎる。これはただの歴史書だが、悪魔や呪いについても多く書かれている。耐性のない人間が読めば二行で気が狂う代物だ』


「うわ……僕、大丈夫? 見てないし大丈夫だよね?」


『……大丈夫、だろう』


目を逸らされて不安を煽られる。

尾の黒蛇は本に巻きつき、僕から少しでも遠ざけようとしている。

それにしても、悪魔に呪い……か。

ふと、ある事を思いついた。


「それってさ、この国の呪いについても載ってるの?」


『ああ、それを調べる為に盗……いや、持ってきて貰ったからな』


「ふぅん、じゃあ解き方とかは?」


『無い。言っただろう』


「そう、じゃあ…かけたのは? 誰?」


誤魔化すようにグミを頬張るアルの目を見つめる。

根比べだ。

いつもは真っ直ぐな黒い瞳、誤魔化している今はよく泳ぐ。


『『暴喰の呪』をかけるモノなど彼奴しかいないだろう?貴方はあまり悪魔に詳しくないようだな』


「学校行ってないからね、悪魔の事なんて何も知らない」


『天使は?』


「もっと知らない」


深いため息をつくアル、その仕草はどこかわざとらしい。

グミを飲み込んでベッドの上に飛び乗ると、僕の頬に頭を擦る。


『ああ、可愛らしい私のご主人様。貴方の無知は愛らしいが、それは命取りとなる。それを防ぐのは私の役目なのだろうな』


自分に酔ったような演技臭いその台詞を聞き流して、もう一度『暴喰の呪』について質問する。


『あまりその呪いの名を口にするな。仕方ないな、本に載っていた訳では無い、私の憶測だぞ?』


「いいよ、当たってそうだし。」


『その信頼は嬉しいがな。悪魔の帝王、地獄の最高君主、名は……言いたくないな、勘づかれるのは避けたい。貴方もあまり悪魔や天使の名を呼ばないように、見つかってしまう』


「見つかったらどうなるの?」


『貴方の能力は珍しく、強力だ。それに気がついた者のする事は……予想がつくな?』


「殺されるの?」


『それは良ければ、だな。自我を消し能力だけを利用しようとする輩が殆どだろう』


その後、淡々と自我を消す方法や廃人にする方法についてを聞かされた。

聞いているだけで精神の磨り減るその話を聞けたのは、アルがずっと僕に体を擦り寄せていたからだろう。


「怖いな、やだなぁ、そんなのされたくないよ」


『何の為に私が居ると思っている、安心しろ』


「うぅ……もふもふ……アル、信じてるよ」


『任せろ』


アルの柔らかい銀の毛を堪能し、昼寝を始めた。

起きた頃には陽は落ちていて、仕事探しを忘れていたことに気がついた僕は絶望した。






請求書を見て絶望する僕の目の前に、女神……種族的には悪魔が現れた。


『もう! だーりんったらぁ、言ってくれれば良かったのにぃ!』


「メル…ごめんね、ホントにごめん」


『いーのいーの!』


修理代を全額肩代わりしてもらうという情けない真似をした。

メルは全く気にした様子もなく、手のひらサイズのグミを齧っている。

宿屋の主人はこれでもかと目を見開いていた。

当然だ、王女がやって来て金を払ったかと思えば僕の事を''だーりん''なんて呼んでいるのだから。

宿屋の客の目も痛かった、僕は早めにこの国を出た方がいいのかもしれない。

まぁ、明日出国予定なのだが。


「ねぇ、メル。せめて僕の事を違う呼び名で呼んでくれないかな」


『だーりんダメ?』


「だーりんダメ、恥ずかしい。名前でいいから」


『じゃあだーりんで!』


「ねぇ、聞いて。僕の話聞いて、お願いだからさ」


『だーりんが恥ずかしがるならもっともっと呼んであげる。それに……もっと恥ずかしい事もね。』


「アル、助けて」


開け放たれた窓から差し込む暖かい日差し、それで日向ぼっこをしている最中のアルに助けを求める。

だがアルは片耳を上げ、興味無さげに一瞥して終わりだった。


『ねぇだーりん、逢いに行ってもいいかな?』


「へ?」


急に真面目な顔をしたメルに、僕は素っ頓狂な声を返してしまった。


『だって、明日行っちゃうんでしょ? もう逢えないなんて嫌よ。だから、いつか逢いに行ってもいいかな?』


「あ、あぁ勿論……いい、けど」


『やったぁ! じゃあコレ大事に持ってて! ワタシだと思ってってヤツ!』


そう言うとメルは、真っ赤なリングを手渡した。

ハートの彫刻の施された、彼女らしく可愛らしいものだ。


「これ…って」


『角アクセ! じゃあね、だーりん! 愛してる!』


メルはそう言うと窓から飛び立った。

二対の蝙蝠のような羽は嬉嬉としてメルを浮かせている。


「ねぇ、アル」


『良かったな、この国では身につけてきた装身具を贈るのはこの上ない愛情表現だそうだ。大切にしてやれ』


「……僕、角ない」


『そういえばそうだったな、腕輪にでもしておくといい。貴方の細さなら入るだろう』


「そうする……って、細いって言うのやめてよね」


半分に割れるように開くリングを腕にはめる。

それは奇しくも僕の手首にぴったりで、決して外れる事はないだろうと思わせた。

ただ、派手な赤と可愛らしいハートのデザインだけが僕には似合わなかった。

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