第12話 焦りと嘆き


メルは焦っていた。

あの魔獣の気配が追ってきている。町民達を振り切った…まさか、殺した?

そんな真似をするとは考えなかった。

あの魔物使いにそこまで執着する合成魔獣キマイラがいるなんて思いもしなかった。

なんて考えの浅い! そうやって自分を責めた。


勢いよく自室の扉を開ける。

気に入っていた筈のグミの弾力性も、今では苛立ちを加速させるだけだ。

天蓋付きのベッドの上で、ヘルは手枷を外すのを諦めて静かに泣いていた。


『ハァイ、まいだーりん! イイ子で待っててくれたみたいね?』


焦りと疲れで荒い息を感づかれないように、いつも以上に演技じみた言葉を吐く。そんな努力を知らないヘルは、メルの言葉を無視していた。

それに苛立ちを覚えつつも、メルはヘルをアルから隠すために手枷を外す。


『逃げようとしたらぁ……分かってるわよね?』


脅しをかける、が。

ヘルはそれを聞いていたのかいないのか、メルを突き飛ばしてベッドを飛び降りた。

だがその行動は無意味だ。

赤いドレスのスリットから、細長く黒い矢印型の尻尾が現れ、ヘルの足首に絡みつく。


『逃げるなって言ったのにぃ、酷いわ』


「嫌だ! 離してよ、アル……アル、助けて」


『泣かないでよ、別にとって食おうってわけじゃあないのよ?』


「………やだっ…… 離 せ 、よ」


先程まで人間らしくない力でヘルを捕まえていた腕から力が消える。

一瞬だけ、メルの動きが止まる。

逃げ出すのにその時間は十分すぎた。




メルの腕をすり抜け、グミでできた城中を走る。

ぐにゃりぐにゃりと沈む床や、血管を思わせるグミの形や色は平衡感覚を狂わせていく。

角のない階段を滑り落ちて、大広間に転がり出た。

そこは人で溢れかえっていたが、誰一人として僕を見た者はいなかった。


「なに……これ。どうなってるの」


そんな呟きが虚しくこだまする。

虚ろな目で唾液を零し、両手は垂れ下がり口からは無理矢理押し込んだような菓子が漏れ出ていた。

ここにいるのはそんな人間ばかり。

恐怖よりも嫌悪感が勝つ。

このどこかグロテスクな城の内装も手伝って、吐き気が最高潮に達する。


「ふっ、ぅ…ぁあ…気持ち、悪い……アル、どこにいるの」


ここまで走って体力も限界だ。

先程から耳鳴りと頭痛が酷い、目眩もする。

そう、丁度メルの腕を抜けた時からそれは始まった。

……何故、メルは僕の手を離したのだろうか。

そんな疑問は大広間の扉を壊す音と共に消え去った。


『みーぃつっけたぁ!』


嬉嬉として姿を現したメル。赤いドレスの隙間から、蝙蝠のような羽や矢印型の尻尾が見え隠れする。

赤い髪をかき分けて、羊のような角が見える。

羽、角、尾、まさか。


「………あ、く…ま?」


『……その呼び方あんまり好きじゃあないのよ。アンタ達とそう変わらないのにさぁ! 勝手に悪魔悪魔って、嫌って! ホントむかつく! 姉妹みんなも! お母様も! お父様も! 神様も! 大っ嫌い!』


メルに蹴り飛ばされ、壁に背中を打つ。

肺の空気が追い出され、喘ぎ喘ぎなんとか言葉を紡いだ。


「……ごめ、ん」


『…………は?』


「気に、障ったなら……謝るから。だから、どう呼べばいいのかちゃんと教えてよ。」


さっきのメルの発言に、過去の自分と同じ孤独を感じた。

僕は少し前に独りではなくなった、でもこの娘はまだ独りなんだ。

だったら、僕が僕にとってのアルのようになりたい。

この娘の孤独を少しでも癒したい。先程までの恐怖を無理矢理に捨てる、僕の方から歩み寄るんだ。


『なに、それ』


「少し前に自己紹介してくれたよね、あんまりちゃんと聞き取れなかったんだけど……その、メルで、いいんだよね」


『なんなのよ、アンタ』


「メル、ちゃんと教えてくれないかな、君のしたい事。協力出来るかもしれないしさ」


もっとも、この広間の現状がメルの仕業だとするなら協力すべきではないのだろうが。

だがそれでも、一度話をすべきだとは思う。

逃げ回って、泣き喚いて、助けを乞うばかりじゃなくて、一人でどうにか解決したい。


『さっきまで逃げてたじゃない…なんなのよ、調子狂っちゃう』


「それはっ…君が、手枷なんかつけるから、怖くなって。

だっ、第一! 僕を攫ってきておいて、逃げられないなんて思わないでよ! 君が悪いんだからね!」


『分かってるわよ! そんな事……分かってる』


「あ……いや、ごめん」


ぺたん、と床に座り込んだメルと目線を合わせる。

そうだ、ちゃんと目を見て話さないと。


『ワタシ…アナタの力を使って魔王になりたいのよ。そうしたら…嫌いなモノ全部、消せるから』


想像以上に簡単に口を割った。


「か、過激だね…嫌いなモノって、さっき言ってたの?」


やはり協力出来ないかも、なんて口を滑らせないように気をつけながらメルの話を聞く。

黙って頷いていればそれなりに話は進んでいく。


『そう、嫌いなの。むかつくの。いらないの。お母様のせいよ、お母様のせいで、ワタシは神様に愛されてない。悪魔だから』


「それで、その…君は。どうしたいの?」


『どうって、さっき言ったでしょ? 嫌いなモノ全部消したいの』


「消した後は、どうするの?」


『え? ……それは…ワタシの、好きなコトだけをすれば、いいの?』


「好きなことって何?」


『それ、は……あ、………無い?』


四枚の羽はぱたりと閉じ、尻尾は不安そうに揺れる。小さな肩が震えて、大きな赤い双眸が潤む。

震える指が、僕の肩を掴んだ。


『どうしよう。ないよ…何にもないよ。ワタシ、何にもない』


「メル……あの、僕」


何かを言いかけて、口を噤む。

抱き締めようとした腕を、そっと下ろす。

目の前で泣くメルをどうしていいのか分からない。

無責任に慰めていいのか。そもそも慰めていいのか。彼女はそれを求めているのか。

悪魔であるメルに人間の僕が何か出来るのか。

そんな葛藤が、疑問が、今更湧いてでる。

そんな僕が僕はたまらなく嫌いだ。



その時、グミの壁を壊す轟音が響いた。

思わずメルを抱き締めて、降ってくるであろう瓦礫から守った。



少年は生まれて初めて、誰かを守ろうとした。

少女は生まれて初めて、本当の人の心に触れた。

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